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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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1. 時計


 店の名はルクソールと言った。
 暖野がこの店の存在を知ったのは、この夏のことだった。駅前通りを脇道にそれて少し行ったところに、ルクソールはあった。
 暖野は窓際の席に座っていたが、そこから特に何が見えるというわけでもなかった。見えるものと言えば、くたびれたような町並みと、店の前を通るわずかな人と車だけだった。
 暖野がこの席について、すでに半時間余りが過ぎていた。彼女の前には、とうに空になったティーカップと、中途半端なページに栞を挟んだ文庫本。そして彼女は制服姿だった。群青色のブレザーにプリーツスカート。
 あちこちの学校で女子の制服がおしゃれになってゆく中で、彼女たちの学校ではいまだにデザインを一新するという噂すら聞かれなかった。しかし暖野はこの制服を気に入っていた。色合いは明るめだし、校章が刺繍されたブラウスも他校に較べて今さら新しくする必要もないと思われるほど洗練されているように感じられたからだ。
 暖野の学校では、私立であるにもかかわらず寄り道を特に禁止していない。共学である上に遠方からの通学が多いからだろう。もっとも、禁止しても無駄だと学校側が割り切っているのかも知れないが。
 今、暖野がここにいるのは、宏美との待ち合わせのためだった。クラブの関係で二人が学校を出る時間には差がある。その日もバレー部の練習が早く退けるというので、一緒に買い物にでも行こうという話になったのだった。
 暖野はすでに、ここへ来るまでに一時間ほど図書館で時間つぶしをしてきていた。にもかかわらず宏美はまだ来る気配がない。テーブル上に置かれた携帯電話にも何のメッセージも入ってこない。
「今日はミーティングだけだって言ってたのに……」
 暖野は呟いた。
 ルクソールは、二人が待ち合わせにいつも使う店である。いつもとは言っても、知ったのは今年のことだから、そう何度も来ているわけでもないのだが。
 表通りから離れていて、静かな雰囲気なのも暖野は気に入っていた。あまり忙しそうな店だと落ち着かないし、同じ学校の生徒に見られるのも少々気恥ずかしい。別段悪いことをしているわけではなくても、いわれもなく後ろめたいような気分になる。その点、ルクソールはどこか隠れ家めいた雰囲気もあって、ゆっくりと時間を過ごせた。
 宏美には趣味が古臭いとけなされたが。
 空になったカップを見るともなしに見る。
 本当は紅茶と一緒にケーキも頼もうかと思ったのだが、宏美が来るまで待とうと我慢したのだ。べつに二度食べてもいいようなものだが、そんなことをしたら太ってしまうとの思いが、彼女を辛うじて踏みとどまらせた。
 一度は読みかけの文庫本を出してはみたものの、喫茶店で読書をするということに慣れていないせいか落ち着かず、結局また閉じてしまった。
 電車の中では平気なのに、こんな静かな店内で集中できないのも変なものだと思った。
 暖野はしばらく外を眺めやって宏美がまだ来そうにないのを確かめると、思い切ったように席を立った。
 ルクソールは小さいながらもアンティークショップもやっている。店の雰囲気からしてどうやらそちらの方が本業らしかった。店の主人もよくカウンターの上で何かをいじくり回したりしている。
 ただ、この店に暖野たち以外の客がいたことは今まで一度もなかった。
 主人は今、姿が見えなかった。さっきまではカウンターの向こうにいたはずなのだが。
 暖野は店の奥へ足を向けた。荷物はそのまま置いてあるので、勝手に帰ったと思われることはないだろう。
 正真正銘のアンティークショップには、いくらなんでも入りづらいものがある。しかし暖野はこういう時代がかったものが元来好きな性質(たち)だった。
 何十年、もしかすると何百年もの時を経てきたもの達は、それなりの存在感をもっている。匂い、雰囲気――いや、それ以上の、言葉では表せないような何かをもってしまったもの達。暖野はそれらを見ているとき、なぜかしら暖かさのようなものを感じるのだった。
 そう大きな店でもないので、店内の半分を占めるアンティークコーナーも小さい。そんな場所にやたらと多くのものを詰め込んであるため、見た目にも狭っ苦しかった。
 喫茶コーナーからはコの字型の通路で一巡できるようになっているが、その通路すら人ひとりがようやく通れるくらいの幅しかなかった。
 象嵌の施されたオルガンやチェスト、脚のねじくれた椅子などが所狭しと押し込まれ、まるで秩序のない屋根裏の物置のような様相を呈している。
 奥にある大きなものを買いたいという人が現れたら、いったいどうやってそれを運び出すのだろうと訝しくなるほどだ。
 だが、この無秩序さも暖野には好ましく感じられた。どこかに素晴らしいものが埋もれているかも知れない屋根裏部屋。ひょっとしたら宝の地図が――まあ、そんなことはないにしても、暖野にとってここは宝の山そのもののようにさえ思えるのだった。
 大きなものの上にはクロスやスカーフがかけてあり、さらにその上には小物類が並べてられている。
 値札などないため、それらがいったい幾らするのかなど見当もつかない。
 そんなものに手を触れてみる勇気など、暖野にはなかった。ただその前に顔を近づけ、できるだけ子細に鑑賞するだけだった。
 暖野は骨董品の放つ雰囲気を堪能しながら、ゆっくりと歩いてゆく。しかし、通路を半周もしないうちに、その足取りは停まってしまった。
 それは、銀細工の宝石箱とシックな模様のスカーフの間に半ば隠れるような感じで、そこにあった。
 まさに一目見たときからという表現がぴったりの出逢いだった。
 暖野はその懐中時計を見つけたとき、まるで雷に撃たれでもしたかのような衝撃を受けた。そして、その場から動くことすらできなくなってしまったのだった。
 どれくらい経ったのだろう。そうたいした時間ではなかったのかも知れないが、暖野にはとてつもなく長くも感じられた。彼女が我に返ったのは、誰かの気配でだった。
 いつの間にか店の主人が彼女のそばに立っていた。
「見つけたんだね」
主人というよりも、喫茶店のマスター。その中年の男性は、なぜかそんな言い方をした。
「これ……、幾らなんですか?」
 暖野は上ずったような声で訊いた。
「買うの?」
 マスターが訊き返す。
 暖野は頷いた。
 このとき暖野は、これが法外な値段かも知れないなどとは考えもしなかった。ただ反射的に頷いてしまっていた。
「3500円」
 マスターが言う。
「え?」
 あまりの値段に、暖野は自分の耳を疑った。「そんなに……」
 そんなに安くでいいんですか?
 そう言おうとして暖野は言葉に詰まった。
「どうしてだか、その時計は例外的に安かったからね。刻印が摩り切れてしまっているからなのか、向こうではたいした価値がないと思われたからなのかは知らないけれど。とにかく安くで買ったものを必要以上に高く売りつけるつもりはないよ」
 普通の高校生がアンティークに手を出すのには勇気がいる。そのことを察したかのようにマスターが穏やかな口調で言った。
「ちょっと、よく見せてもらってもいいですか?」
 雑多な品物の間からその時計を取り上げたマスターに、暖野は訊いた。