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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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 そう言うより他はない。
「降りるんですか?」
「いえ。……駅まで行きます」
 乗り過ごしたか何かだと思った運転士の問いに、暖野は応えた。それ以上何も言われることはなかったが、暖野は恥ずかしさでいっぱいだった。いや、それ以上に驚きで心臓が激しく打っていた。
 暖野が床に落ちた鞄を拾い上げて席に着くのを確認してから、運転手はバスを発進させた。
 まさか、これが動くということは――
 それは、とりもなおさず自分がこの時計の持ち主だということになるではないか。
 まさか、まさか――
 思考が“まさか”で占領される。
 試しに、もういちど時計を見てみる。やはり動いている。間違いない。
 間違いない――何が――?
 もう判っているにもかかわらず、そこから先を考えるのが恐ろしい。
 これから、どうなるんだろう――
 バスは相変わらず田園地帯を走っている。
 造成中の宅地などが散在している、なだらかな丘陵地。遠くには駅のある町の建物群が見える。
 外を見ていると、鼓動も少し落ち着いてきた。
 これが動いたということは――でも、何が起こるのかは分からないのよね――
 再び時計に視線を落とす。
 分からないことだらけだわ――
 気分が昂っていることは確かだった。何がきっかけで時計が動き出したのかも分からない。そしてあの話を信じるとすると、自分が本来の持ち主だということになる。
 だからって、何――?
 宏美なら、どうせ自分のものなら、わざわざお金を払う必要はなかった、などと言うだろう。
 そう考えて、暖野はふっと笑った。
 シートに背を預ける。
 彼女にとって今日は大変な一日だった。これが学園祭まで続くのかと思うと、それだけでも気が滅入る。
 ……今日は、本当に疲れたわ――
 目を閉じると、体が沈み込んでゆくような感覚が襲ってくる。
 体が重いというのは、こういうのを言うのだろう。
 どうして夜は眠れないのに、起きてるとこんなにも眠いんだろう――
 バスはちょうど橋を渡ろうとしているところだった。
 この川は、駅の近くの川と同じだろうか――
 そんなことを考えながら、暖野は眠りに落ちていった。

 目を開けると眩しい光が飛び込んできて、暖野は思わず顔をしかめた。
 バスは停まっていた。やけに静かなのはエンジンが止まっているからだ。
 と、いうことは、ここは――
「いけない!」
 暖野は急いで前へと駆けてゆきながら、胸のポケットから定期入れを取り出した。
「すみません!」
 運転手に謝ろうとして、暖野は言葉を失った。運転席には誰もいなかったからだ。
 普通なら、バスが着くと同時に乗り込んでくるはずの帰宅ラッシュの人達の姿など影も形も見えない。だがそれ以上に、駅前の雑踏や物音のひとつすら聞こえていないことに暖野は全く気づいていなかった。
 このとき、暖野がもう少し冷静だったならば、この後の展開は違ったものになったかも知れない。いや、もし異変に気づいたとしても結局は同じことだったろう。
 後になって考えてみれば、このときに降りるべきではなかった。しかし、彼女は降りてしまった。
「え?」
 地面に降り立った暖野は、まるで狐につままれたように立ち竦んだ。
 暖野が立っている場所。
 そこは、見知らぬ街角だった。
――ああ、まだ夢を見ているんだわ――
 暖野は思い切り頭を振った。
 ここは、どこかの駅前なのかも知れない。見ようによっては、駅前広場と見えなくもなかったからだ。ただ、彼女の見知った駅前の光景とは、ここはあまりにもかけ離れていた。
 石畳の広場の中央に円形の池があり、噴水が水しぶきを上げている。
 その向こうには堂々たる石造りの建物があった。駅のようでもあるが、暖野にとってはどちらかと言えば博物館や美術館のように見えたし、またその方が正しいような気がした。博物館なら、こんな時間にはもう閉館していて当然だろうからだ。これで誰もいないことにも納得がいく。
 だが、自分がどうして閉館後の博物館の前にひとりでいるのか、そしてなぜこんなところに来てしまったのかは分かりようがない。そもそも博物館など、学校の近くにはなかったはずだ。
 暖野はたった今降りたばかりのバスの行き先案内を見てみた。
【駅前・循環】
 表示におかしなところはない。乗ってきたバスは確かにいつもの駅前行きだった。
――どういうことなんだろう……
 広場には彼女以外誰もいなかった。西陽に照らされた広場には、暖野ひとりだけの影が長く伸びている。
 夢なんだ、やっぱり。そう、最近はひどい寝不足だったから――
 そう考えているときだった。背後で不意にエンジンの音がして、暖野は慌ててふり返った。ちょうどバスのドアが閉じるところだった。
「うそでしょ!」
 暖野はバスが停まっている所までのわずかな距離を駆け戻ろうとした。
 バスが動き出す。
「ちょっと! 待ってよ!」
 無駄だった。暖野の目の前をバスの最後尾がかすめる。
 少しの間彼女はバスを追ったが、到底追いつけるものではなかった。
 石畳の隙間に足を取られ、転びそうになるのをなんとか踏みとどまる。
 それまでだった。バスはもう、小さな点ほどになってしまっていた。
「ああ……」
 暖野は呆然とそれを見送りながら、嘆息した。
 彼女はしばし、何を考えることもできなかった。ただただバスの去った方角に、視線を投げるばかりだった。