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大地は雨をうけとめる 第6章 シリンデの領域

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「おれはあのチビに対してそういう風には考えられないよ。あいつが街で物乞いでもしてたら、おれは知らんぷりして違う道へ行こうとするだろな。そしたら、あいつが目ざとく気づいて、『行かないでよ、ヘゼ。従兄弟じゃないか。昨日からなにも食べてないんだ』とか何とか哀れっぽく追いすがってくる。うん、目に見えるようだ」
 パルシェムそっくりな口真似で、最後はさも嫌そうに言う。アニスはつい笑ってしまった。
 風がそよぎ、霧が吹きちぎれ、流れて行く。
 二人は思わず立ち上がった。芝居小屋の幕が開くように、あたりの景色が彼らの前に広がる。
 雲間から現れた丸い月が煌々と照らしていたのは、枯れた草がところどころに生えているだけの荒れた土地だった。一抱えぐらいもある円錐形の岩が、固い地面から突き出たように転がっている。
 振り返れば、二本の塔がそびえ、狼か犬の遠吠えが不安をかきたてる。
「薄気味の悪いとこだな」
「うん」
 アニスはさっき、ユフェリじゃないかと言ったが、本当にそうなのか自信がなかった。もし、ユフェリだとしたら、『囚われの野』に近いところかもしれない。
 以前に来た『囚われの野』は死してなお欲望や執念に捕らえられたままの魂や、死んだことに気づいていない者が集まって、それぞれの望む世界を作り上げている。金の亡者や終わることのない戦乱の中で戦い続ける兵士たち、浮かばれないままの自殺者。
 御寮様のお母さんは今でもあそこにいるんだろうか?
 ルシャデールの母セレダは彼女が六歳の時に自殺していた。アニスは四年前にユフェリを訪れた時に、セレダを見ていた。首を吊ったままの状態で、行方不明になった夫の名を呼んでいた。
「おい」
 へゼナードがアニスをひじでつついた。青ざめた顔は円錐形の岩にじっと向けられている。
 アニスははっと気が付いて、後じさりした。良く見ると、どの岩も膝をかかえて座る人の姿だ。全体が黒っぽく、彫像のようだ。
「なんだ、あれは?」
 アニスはわからない、と首を振った。岩の一つに、そーっと近づいてみる。四十くらいの女だった。三つ編みにした髪を結い上げ、ショールを肩に巻いている。
 恐る恐る触れてみた。手に砂のようなものがつく。柔らかい石のようだ。やけに生々しいのは、髪の毛やまつ毛の一本一本や唇のしわまであるせいか。
「彫像……か?」
 へゼナードもさわってみる。
「うわっ!」
 髪の毛がぱらぱらと砂になって崩れた。顔を見合わせる二人。
 その時、しゃがれた歌声が風に流れてきた。
 
「ひょいほい、ひょいほい、
 今日も麗しき御方様のため、
 哀れなホユックは働くのさ
 ひょいほい、ひょいほい
 昔の悪さをつぐなうために
 いかさまホユックははたらくのさ
 ひょいほい、ひょいほい」

 年を取ったせむしの男だった。右手にカンテラをかかげ、左手にさげているのは木桶のようだ。黒いマントにすっぽり身をおおっている。さっき、霧の中から現れた人物とは違う。額から頭頂部にかけて禿げあがり、そのまわりの薄い髪は雪のように真っ白だった。左目には黒い眼帯をかけている。
「なんじゃ、新入りか」
「僕たち、道に迷ったんです」アニスは言った。「教えてください、ここはどこですか?」
 せむしの老人は二人をじろりと見た。まるで奴隷商人が奴隷を値踏みするよう抜け目ない眼差しだ。
「ふん、新入りにしては元気がいいと思ったわ」
 老人は木桶とカンテラを下におろした。
「ここはどこですか?」アニスはもう一度たずねた。
「御方様の御料地じゃ」
「御方様とはどなたですか?」
「もちろんシリンデ様じゃ。まさかシリンデ様を知らんとは言わんじゃろな?」
 どこのシリンデだ? 小声でへゼナードが聞いてくる。
 アニスが知っているシリンデは一人しかいない。そのシリンデなのか? カデリなら途方もない考えだが、ここがユフェリなら、ありえなくもない。
「月の女神にして処女《おとめ》たちの守護者、荒ぶる男たちの女王、冥界の支配者、シリンデ様……ですね?」
「本当にいるのかよ?」
 神和家の小侍従とはいえへゼナードにとって、神は遠い存在だ。
「うん、いると思う」
 アビュー屋敷をうろつくカズックは、カズクシャンの街の守護神だった。神と言うにはさばけているが。
「幽霊が見えるのに、神の存在は信じないのか?」
「おまえ、幽霊と神は違うだろ。神なんてものは、他に食っていく道のない奴らが、他人から金を集めるために創りだしたようなもんじゃないのか?」
「違うよ」アニスはきっぱりと言った。「別に『神』という名でなくてもいいんだ。だけど、僕らを愛し、見守ってくれる存在は確かにいると思う。願い事を叶えてくれるような者ではないだろうけど」
 それは幼い頃から彼の中に根付いている信仰というよりも確信だった。最初は祖父(本当は父のじいやだったが、祖父として一緒に暮らしていた)から聞いたことだ。空に、風に、木々や草花の中に、小さな虫の中にも、あらゆるものの中に神がいるのだと。
 せむし男は二人の会話にかまわず仕事を始めた。木桶の中からハンマーを取り出し、人型の岩を一つ一つ吟味していく。
「あった、これじゃ」
 そうつぶやくと、ハンマーを振り上げ、岩に打ち下ろした。岩は一瞬にして細かい砂となって崩れ、小さな山となったが、一陣の風にすべて吹き飛ばされた。あとには何も残っていない。
 二人は唖然と見ていたが、へゼナードの方がおずおずとたずねた。
「何をなさっていらっしゃるんですか?」
「ここにいる必要がなくなった奴を追い出したのさ」
「追い出した……」
「ここにある岩はみんな人間の魂が固まったものなんじゃ」
 どういうことですか、とアニスがたずねると、せむしの老人は面倒くさそうに教えてくれた。
 ここは、生きてはいるが意識がない、あっても、もうろうとした状態の人間の魂が集まる場所だという。酒や麻薬、高熱、狂気などで正常な意識を失った者がここに来る。
「道を見つけて、すぐに向こうに戻って行く者もいるがね、戻れん者も少なからずおる」
 道を見つけられない者は、さまようことに疲れて、座り込む。そのまま石のようになってしまうのだという。
「じゃあ、さっき壊した石の人は……死んだんですね」
「ああ、そうじゃ。ここには死んだ者はおれんからな。それより、おまえさんたち、道を探したほうがええんと違うかね? 向こうに未練がないなら、それでもかまわないがね。ひっひっひ」
 耳障りな声でせむしの老人は笑った。
「あなたは……ここの番人をしているんですか?」ふとアニスは興味を持った。
「番人というより仕置きされてるんじゃよ」
「仕置き……」
「カデリで生きていた頃、御方様に仕える処女に悪さをしてな。巫女は美しい娘がそろっていたでな。若かったわしには目の毒じゃった。で、ある日、巫女を呼び出し、無理やり物置小屋に連れ込んでな」老人はニタニタと笑う。
「あとでそのことがばれて、わしゃ片目をつぶされ、七日七晩吊るされて、やっと息が絶えたと思うたら、御方様の前に引き出されておったんじゃ。御方様はえらいべっぴんじゃが、気性がきつくてかなわん」
「巫女さんはどうなったんですか」
「塔から身を投げてしまったよ」