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大地は雨をうけとめる 第6章 シリンデの領域

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 二十三の時に祭で知り合った娘エニと結婚の約束をした。しかし、彼女は街でも裕福な小間物屋の娘だったから、水売りとの結婚などとんでもないと反対され、駆け落ち。二人はペトラルの町に落ち着いた。
 一年後、居場所を探し当てた彼女の兄ノセルが、ペトラルへ来た時にはヘゼナードが生まれていた。そうなると連れ戻すわけにもいかず、エニは親兄弟から絶縁されたという。
 ヘゼナードが三歳になった年、エニが病に倒れた。ソワックは妻に少しでも滋養のあるものを食べさせてやりたかったが、水売りの稼ぎでは食べていくだけでも精一杯だった。
 恥をしのんで、ヘゼナードの父はエニの実家に金を借りに行ったが、もう関係ないと追い返されたのだった。
「おれはその時まだガキだったから詳しいことは知らないけど、後で聞いた話じゃ、かなりえげつないことを言われたらしい。どのみち、おふくろは助からなかったかもしれないけどな。それでも親父はパルシェムの親が死んだ時、あいつを引き取った」
 パルシェムの両親は流行り病で相次いで亡くなったのだという。店は繁盛していたが、多額の借金もあったらしい。店は借金のかたに取り上げられた。
「うちに来てからのあいつはひどかったぞ。『飯がまずい』から始まって、『家が狭い、汚い』だの、『働くのは嫌だ』だの。わがままが過ぎて、うちの親父に殴られることもあったな。あいつは体が弱かったせいか、母親に甘やかされて育ってんだ」
 そのパルシェムを養子に欲しいと、ヌスティ家から申し入れがあったのが一年前だった。
「いい厄介払いだと思ったんだけどな」
 神和家は裕福で、王家にも重んじられている。しかし当のパルシェムが嫌がった。
 それはそうだろう。一人で知らない家にもらわれていく。不安でないはずがない。へゼナードと父は、ヌスティ家に行けばおいしいものを毎日食べられるし、大きな家で贅沢ができる、おもちゃも一杯買ってもらえると、説得した。そのうち、パルシェムも折れてきたが、
『ヘゼが一緒なら行く』と言い出した。
 彼は行きたくなかったが、侍従として一緒に来てもよいという話がヌスティ家側から出て来ると、彼の父親が行くことを勧めた。
『ここにいたって、水売りや荷担ぎがいいとこだ。毎日、食うことに追われるだけの暮らしだ。しかし、神和家の侍従といや、そりゃあたいしたもんだって話だぞ。おれのことはいいから、パルシェムと一緒に行け』
 そうして彼は神和家の小侍従に決まってしまったという。
「おふくろが死んだ後、おれはよく親父の商売にくっついて行ったよ」ヘゼナードは懐かしそうに話した。「母を亡くしたかわいそうな子ってんで、お得意先のおかみさんたちが駄菓子をくれたりしてさ。舌足らずな口で『ひゃっこい水、ひゃっこい水だよ』って、街を流して歩いたもんさ。大人になったら、おれも水売りになるもんだと思ってたし、なりたかった」
 水売りがそれほどいい仕事とは思えないが、ヘゼナードが父を誇りにしているのはアニスにもよくわかった。
 その一方で、パルシェムがそんなにわがままとは思えなかった。昔のルシャデールと似ている。親に愛されなかった子と愛され過ぎた子の違いはあるが、どちらも不安で怯えていただけだ。へゼナードには、パルシェムの父親が金を貸してくれなかったことに対して、わだかまりがあるのかもしれない。
「で、勝手に出て行くことにしたのか」
「ああ……。四月頃から準備してたけど、あの幻視の件があっただろ、延び延びになってしまった」
「そしたらこんなことになった、ってわけか」
「おまえはどうなんだ?」
「え?」
「何だって逃げ出すんだ? 御寮さんだって、そう悪くないだろ。最初の頃はひどかったって、噂は聞いたけどな。でも、今はアビュー家の跡継ぎらしく振る舞っているじゃないか。愛想はないけど」
 どう説明すればいいのか。へゼナードの話を聞いた後では、自分の出奔の理由がひどくばかげていて、愚かしく、幼稚なものに感じる。
「うちの御寮様は……うん、僕にはよくしてくれる。侍従に決まる前から。他の使用人から『御寮様のお気に入り』とか言われてた」
 アニスは苦い笑みを浮かべる。へゼナードはその笑みの影にあるものを察したようだ。黙ってうなずく。
「パルシェム様とは反対に親に構ってもらえずに育って、他人に心を閉ざしていた。御前様にもなじめずにいて、その分、僕には……親しくしてくれた」
 ルシャデールは寂しくても、寂しそうな顔はしない。むしろ、それを隠すために不機嫌で、ふて腐れた顔をする。うれしい時も、照れ隠しに無愛想に口を曲げるから、身近に接していないと、彼女の機嫌はわからない。アニスはそれがわかる数少ない人間の一人だった。
「僕はあまり気が利いているわけではないし、御寮様が望むことをすぐに察することもできない。それでも、まあ、役には立っているんだろうとは思っていた」
 この四年間、ルシャデールの気持ちを一番よく理解しているのは自分だという自負がアニスにはあった。彼女の養父トリスタンよりも、侍女のソニヤよりも、彼女が胸にしまいこんだ悲しみや苦しみもわかってやっている。そう思っていた。
「でも、春頃から、御寮様は僕との間に距離を置くようになった」
「不思議ではないだろ。主従とはいえ、男と女だし」
 確かにその通りだ。
「……捨てられたような気がする」
「捨てられた? そういう仲だったのか?」
 アニスの発言に、へゼナードはすっ頓狂な声をあげた。
「違う……」うまく伝わらないことに、軽く苛立つ。「友達だったんだ」
「男と女で『友達』はないぞ。おまえ、御寮様に女を感じることはないのか?」
まるっきりないと言えばうそになる。
「ないわけじゃないだろ」
「う……ん。でも、洗濯のおばちゃんにも、それはあるよ。すねが色っぽいだとか」
「胸がでかいとか」
「尻がでかいとか」
 二人は顔を見合わせて笑いあった。
「でも、御寮様は妹か何かみたいな感じなんだ。もちろん、主人でもあるけど」
 兄と妹には見えないぞ、姉と弟ならともかく。へゼナードはそう言って笑う。
 実年齢でもルシャデールの方が四ヶ月程度年上だ。アニスとしては、彼女の世話をしてきたという思いがあるから、妹という言い方をしたのだが、実際にはそれ以上のもののようにも感じていた。
「片足一本なくしたような気分だ」
「そりゃ、片足ったら一本に決まってる」へゼナードが上げ足をとる。
「オリンジェなんかはさ、別に僕でなくてもいいんだと思う。君でもいいし。要するに神和家の小侍従、いやそうでなくても将来有望そうな奴だったら誰でもよかったんじゃないか? だけど、御寮様は違う。僕が荷担ぎでも、屑拾いでも、たとえ盲の乞食だったとしても、街で会ったら声をかけてくれる。反対に御寮様が街の辻占いをしてても、僕はきっと友達でいると思う」
 へゼナードは黙ってアニスを見ていたが、ややあって、いいな、そういうのは。とポツリと言った。