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大地は雨をうけとめる 第6章 シリンデの領域

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「なあ……おれたちどこを歩いているんだ?」
「うーん……わからない」
 じっとりとした濃い霧が周りを取り囲んでいる。他には何も見えない。その中を二人は歩き続けていた。どこへ向かっているのかもわからない。
「おれたち何時間、それとも何日歩いているんだ?」
「さあ」
 アニスは肩をすくめる。
 いったいいつからこの霧の中を歩いているのだろう。
 朝、御寮様をミナセ家に送り、その後へゼナードと共に、幽霊屋敷へ荷物を取りに行った。そこで管理人と称する老人が出てきたのは覚えている。アニスは無断で屋敷に入ったことを謝り、すぐに出て行くと言った。
 老人は怒りもせず、旅に出るのかね? とたずね、へゼナードがそうですと答えた。すると老人はそっちの扉の通路を行った方が街道に近いと教えてくれたのだ。扉を開けると真っ暗な廊下だった。二、三歩進んで、扉は音もなく閉まった。
 え? とアニスは思わず振り返った。しかし、それに構わず、へゼナードはどんどん先に進んでいく。暗闇がしだいに薄れ、気がつくと霧の中だった。それからずっと歩いている。
 どちらともなく、休もうか、と言ってその場に腰をおろした。
「ここ、ピスカージェン……なのか?」
 ヘゼナードは困惑した様子で息をついた。
 アニスは首を振った。
「違うと思う」
 ピスカージェン周辺で霧が発生することなど、十年に一回あるかないかだ。
「あの幽霊屋敷で真っ暗な通路に入った時、僕らはおかしなところに来てしまったんじゃないかな」
「……あのじいさん、生きている人間じゃなかったよな」
「えっ?」
「おまえ気づかなかったか? あのじいさん影がなかったぞ。だから、おれ、さっさとあの場を離れたくてさ」
 それで、足早に通路に入っていったら、このわけのわからない場所に来ていた。
「服がぬれてないね」
 さっきから不審に思っていたことだ。彼が育ったハトゥラプルは、夏はよく山から霧が降りて来る。山の濃い霧は服を湿らすので嫌いだった。でも、この霧は……煙のように乾いている。
「そういやそうだな」へゼナードも相づちを打つ。「なんだ、何か気づいたのか?」
「僕が思うに……いや、間違っているかもしれないけど……」
「言ってみろよ」
「ここはユフェリじゃないかと思う」
「ユフェリって、あのユフェリか?」
「他にどのユフェリがあるんだ?」
 だが、アニスが知っているユフェリとは様相が違っている。イルカのいた海や灯台野のように明るくはないし、囚われの野のような岩だらけの荒れ地ではない。といって、もちろん『庭』のような緑と花に囲まれた美しい園でもない。
「つまり俺たちは死んだのか? 死んだ記憶はないぞ」
「死んでなくてもユフェリには来れるよ」
 四年前にも経験している。それに、夢を見ている時にも訪れていることがあるらしい。だが、本当にユフェリなのか、確証はない。
 その時、霧の白い帳《とばり》が割れた。ぬっと現れた人影に二人はのけぞった。
「うわあああっ!」
 しかし、人影は彼らの方を見向きもせず、再び霧の中へ。互いにしがみつきながら、二人は消えた先を凝視していた。
「何だ、あれは? 幽霊か?」
 アニスはわからない、と首を振った。
「もし、ここがユフェリだとしたら、僕らも幽霊みたいな状態だ」
「おれたちも?」
 ユフェリは精霊や死者の魂が集う場所だ。肉体を持つ者は出入りできない。そのくらいはへゼナードだって知っている。
「じゃ、おれたちの体は?」
「幽霊屋敷にあるのかもしれない。たぶん、気を失った状態で」
「……誰か見つけてくれるかな? そのままだったらどうなるんだ? 死んだりしないのか?」
「大丈夫だよ、きっと。僕たちがミナセ家に迎えに行かなければ、何かあったと思ってくれる。君のところの御寮様は遠視ができるんだろ? 僕たちがどこにいるか、わかるんじゃないのか?」
「あいつの力か?」ヘゼナードは首をかしげた。「視えるったって、あまりあてにならないぞ」
「それならうちの御寮様が見つけてくれるよ」
 ルシャデールなら、求めるものがどの方角にあるかわかる。
「体は見つけてくれると思う。でも、ここにいる僕たちを、誰が見つけてくれるんだろう?」
「……元に戻れないって言いたいのか?」
 アニスは答えなかった。
(帰りたいんだろうか、僕は? 逃げ出すつもりで、準備したのに。そもそも何から逃げたかったんだろう)
「帰りたいのか、君は?」
「目的地はここじゃない」ヘゼナードはむっつりと答えた。そして、やおら立ち上がり、畜生! と、闇に向かって叫んだ。
「ヘゼナード?」
 座ったままアニスが見上げると、握りしめたこぶしが震えている。
「おれはこんなとこで足止め食っているわけにいかないんだ」
 暗くてよくわからないが、アニスには彼が泣いているような気がした。
「落ち着けよ、ヘゼナード」
 アニスは袖を引っぱり、座るよう促す。彼はため息ひとつついて、再び座り込んだ。
「何があった?」
「……親父が死にそうなんだ」
「えっ」
 半年ほど前から彼の父親は床についているという。
「近所の人がたまたまピスカージェンに出てきた時に教えてくれた。それで今年の初め、宮廷や斎宮院の行事が一段落したあたりで帰らせてもらったんだ」
 ああ、そういえば、と思い当たることがあった。一月の半ばからパルシェムの供についていなかったし、剣術の稽古も休んでいた。再び会ったのは二月も後半に入ってからだ。
 どうしたのかと聞いても、ヘゼナードは『ちょっとな』と言葉を濁していた。
「あまりよくないのか?」
「近所のまじない婆さんに診てもらったら、肺が悪いんだろうって。そんなに……長くないと言われた」
「……」
「むこうにいた一週間なんてあっという間だ。病気の親父を残して戻りたくなかったけど、親父はおれを心配させまいとして、熱があるのに仕事に出ようとしたりしてさ。おれ、こっちに戻ってから御前様に言ったんだ。小侍従をやめたいって」
「ヌスティ家を出るのか?」
 へゼナードはうなずいた。
「そうしたいと思ってる。おれ、ヒゲじじいには気に入られてないんだ。おれも嫌いだ。あんな陰険な奴。ま、侍従はちょっと気の利く奴なら誰でもいいし、ヒゲじじいにすりゃ水売りの息子より、もうちっと利用価値のあるのを小侍従に据えたいらしくてな。辞めるならどうぞ、と言いたいところだろうが、パルシェムのやつが承知しないんだよ。あいつ、あれでなかなか頑固だからな」
 確かに、彼のヘゼナードに対する固執と言ってもいい甘えっぷりは小侍従仲間でも時々話題に上がる。あまりよくない意味で。
「そんな……。彼にとっても叔父さんにあたる人なのに」
 アニスの言葉にへゼナードは首を振った。
「あいつにとっては、うちの親父はろくでもない叔父なのさ。死のうが生きようが、知ったこっちゃない。それより、誰が自分の面倒を見てくれるのか、そっちの方が問題なんだろ」
 へゼナードの父ソワックは、もともとオスジニの生まれで、早くに両親を亡くし十歳でタイル職人のところに弟子入りしたのだという。だが、十五の時に親方とケンカして飛び出てしまい、それ以来水売りをしていた。