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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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星のラポール

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 さて、これで奇妙な同棲生活が始まったわけだが、彼女に言わせるとこの辺りはエーテルが希薄で、何か食べないといけないのだそうだ。それはどうも自然が少ないことに関係しているようで、それで出不精な俺は仕方なく毎夜公園まで散歩する羽目になった。休みならまだしも、平日は仕事で部屋を空ける。彼女でも食べられるようなものや水を用意し、外へは出ないようしつこく言いきかせた。飛べない彼女は、一歩外へ出れば危険に囲まれているも同然だ。車や自転車もそうだが、猫などの動物に狙われる恐れがある。もし飛べたとしても、カラスに襲われるかもしれない。動物は人間よりも敏感だから、彼らに対しては現実的な危険があった。
 彼女は忠告におとなしく従った。その代わりに、日に一回は散歩に連れ出してやるのだった。奔放な彼女が一日中部屋にこもりっきりでは気が滅入るだろう。休みには少し遠くまで足を延ばして海を見に行ったりもした。好奇心旺盛なノーチェは見るものにいちいち歓声を上げ、やたらと質問を浴びせてきた。
 散歩中に自販機で缶コーヒーを買う行動にさえ、彼女の質問攻めに遭った。普段、何の考えもなく過ごしてきたことが、ノーチェの問いによって決して当たり前のことではないのかも知れないと思えてきた。
 ノーチェは意外といけるクチで、毎夜晩酌を共にしてくれたから、俺としてはかなり慰められていたのかも知れないが。
 だが、二週間ほどした頃、彼女の身に異変があらわれた。明らかに弱ってきているのだ。予兆はあった。気がつかなかっただけで、ここへ来てすぐにそれは始まっていたのかも知れない。エーテル不足もあるだろうし、ひょっとしたら食べ物も関係している恐れがある。慣れない添加物まみれの食事は、その小さな身体をゆっくりと蝕んでいたのだろう。
「お前、大丈夫か?」
 見るからにぐったりとしている彼女に、俺は訊いた。
「うん。なんだか最近、体がだるいの」
 おもちゃの椅子ではなく、テーブルの上、俺の前にちょこんと座ってノーチェが言う。「でも、見て? 少し羽根も生えてきたのよ」
「あ、ああ。そうみたいだな。でも、ずいぶんとヨレヨレじゃないか」
 それはまだ植物の芽のようなものだったが、見るからに萎《しな》びていた。
「大丈夫よ。大きくなったらピンと伸びるから」
「そうなのか」
 蝶やトンボの羽化みたいなものなんだろうかと思ってみる。だが、彼女の弱り方は放置できるものではなさそうだ。「なあ、明後日の休み。キャンプに行ってみるか」
 自然の中でなら、少しは回復するかもしれない。食事は出来るだけオーガニックのものを食べさせ、これ以上体力を減衰させないよう気をつけることにする。
「キャンプ?」
「ああ。山の方に行く。空気も綺麗だし、そこだときっとエーテルも多いはずだ」
「うん。でも、フナデも疲れてるんでしょ? 毎日仕事で」
「気にするな。仕事はお前がいてもいなくても行かなきゃいけない。俺もたまには自然の中でリフレッシュするのもいいだろう」
「うん、ありがと。フナデって優しいのね」
「優しくなんかないさ」
 慣れない自炊など、そうそう思いついて出来るものではない。仕事帰りにオーガニックのパン屋でビスケットを、果物はスーパーで無農薬のものを買った。ノーチェは俺のコンビニ弁当やカップ麺を欲しそうに見たが、理由を話して我慢させた。

 そして休日。レンタカーを借りて予約しておいたキャンプ場へと向かった。外出の時はいつもまともに話してやれないので、電車よりもこの方がいいだろうと思ったからだ。仕事では時々車に乗っているから、運転には不安はない。それに、駅からのバスの便もあまりなさそうだった。
 後部座席には買った時の箱に収めたミニチュアの家具セット。クーラーボックスには刻んだ果物。車に乗ったことのないはずのノーチェは、高速道路に入ってもスピードにさほど恐怖感を感じないようだった。 いつも散歩で車は見かけているから、信号待ちの列でも驚きはしなかった。
「壁ばっかで、何も見えない」
 遮音壁が続く高速道路で、彼女が言う。「つまらない」
「そう言うな。これを降りたら、これまでと全然違うから」
「うん。楽しみにしてる」
 休憩なしで2時間以上かかって山あいのインターチェンジで下りる。
 料金所を出てすぐに窓を少し開けてやった。
「うわぁ、気持ちいい。この星って、こんな所もあるんだ」
 高速に乗る前との景色の変わりように、彼女が目を瞠る。実際にそれを確かめたわけではないが、小さな目を真ん丸にしているであろう彼女の顔が目に浮かんだ。それと、大きく深呼吸しているであろう姿を。
「むしろ、こういう所の方が多いよ」
「へえ。じゃあ、フナデはどうしてあんな所に住んでるの?」
「田舎には、何もないからさ。コンビニも店も、それに仕事も」
「ふうん。色々と厄介なのね」
「人が少ない分、空気もきれいだってわけさ」
 国道から県道へ入る前にスーパーを見つけて、そこで買い物をする。そこからさらに山の方へ分け入り、ようやく目的地に到着した。
 管理事務所で鍵を受け取り、バンガローへと向かう。天気予報では降らないと言っていたが、山の天気は変わりやすい。休日とはいえ、梅雨時のこの時期のキャンプ場は閑散としていた。未舗装の道の両側に点在するバンガローは、どれも無人のようだった。まだ時間も早いから、夕方になってから来るグループもあるのかも知れない。
 目的の小屋の前に車を停める。バーベキュー用のスペースのある二人用のもの。
 わずかばかりの荷を下ろし、室内へ運ぶ。中は艶やかな木の内装だった。テーブルと二段ベッド、テレビと小さな冷蔵庫が備え付けられていた。必要にして十分だ。マンションの俺の部屋よりずっと豪勢に見える。
 窓を全開にし、網戸だけにして風を通す。山の冷気が部屋に流れ込み、ノーチェが心地よさげに胸を反らせた。
「どうだ? 来てよかっただろ?」
「うん」
 久しぶりに、この笑顔を見た気がした。無理をしていない、する必要もない無邪気な笑み。一泊二日でどれほどの効果があるのか不明だが、少しでも良くなってくれるのなら何も言うことはない。
「ねえ」
 ノーチェがテーブルの上から見上げる。「私、散歩に行きたい」
「そうか。じゃあ、少し歩くか」
 少し休みたい気分だったが、あまりにも嬉しそうな彼女を見ていると、そうも言えなくなった。寝るのは後でもいい。運動した後の方が二人とも気持ちよく眠れるだろう。
「おい、あんまり急くな」
 ドアを開けると、すぐに飛び出そうとする彼女を制止する。まだ飛ぶことはできないから、玄関前の段差をいちいち飛び降りている。人間にすれば自分の背丈よりもあるそれを、いとも容易く降りられるのは、残りの羽根のせいなんだろうか。そんなことを考えながら、彼女の後をついて行く。
「山には、街とは違う生き物とかがいるから気をつけろよ。あんまり俺から離れるな」
「分かってる」
 そう言う端から駆けてゆき、手近にあった大木にしがみつく。かなり人間の手が入っているとは言え、自然の中にいると彼女は本物の妖精のようだ。少しばかり生えかけた羽根が痛々しいが。
「ねえ」
作品名:星のラポール 作家名:泉絵師 遙夏