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大地は雨をうけとめる 第4章 逃亡計画

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 物置部屋の中は薄暗かった。採光用の小さな窓が高い位置についているだけだ。壁際にはずらりと、古そうな鎧が並んでいる。剣はいろいろ三日月刀や、細い片刃の剣もある。棍棒の先に棘のような突起付の鉄球をつけた、朝星棒と呼ばれるものもある。どれもこれも埃《ほこり》っぽい。長櫃《ながびつ》があちこちに置かれている。一つを開けると、弦の切れた弓が入っていた。
 あたりを見回し、出入り口みたいなものを探す。
 ない。今、入ってきた稽古場への戸だけだ。
 アニスはふと、長櫃の一つに目を止めた。それだけ埃がたまっていないことに気がついた。重い蓋を持ち上げると、そこには石段があった。地下へと続いている。
 え? これは……どこにつながっているんだ? 
 用心しながら、足を踏み入れる。蓋は開けたままにして、下に降りて行く。階段はすぐに終わり、そこからは平らな通路だ。少し奥の方に進むと、明かりは届かなくなり、真っ暗になった。ひんやりした石の壁と足元の感触を頼りに進む。
 やがて通路は行き止まりになったが、手で探ると、戸の取っ手が見つかった。開けると今度は螺旋階段だ。光が差し込んでいる。上に窓があるようだ。昇っていくと少しずつ明るくなっていく。数十段で上にたどりついた。天窓がある。そこについていた梯子を上り、窓を開けた。
 風が髪をなでて吹き過ぎていく。頭上には雲一つない空が広がる。
 四年前に訪れたユフェリを思い出させる空の青さだ。
『つまらぬ鬱屈など忘れてしまう』
 アルセラームの言葉を思い出した。アニスは注意しながら、屋根の上へ出る。稽古場の屋根は平なところに傾斜の緩《ゆる》いドームを乗せた形になっている。彼がいるのはそのドーム屋根の北側だった。
 手前には貴族の館が木々の間から見え隠れしている。その向こうには北方丘陵の稜線。
 そっと屋根の上を歩いてみた。ドーム屋根は明かり採りのため、一部分がガラス張りだ。踏み抜かないように気をつける。
「わあ!」
 頂塔部にたどりつき、思わず声を上げた。
 左手には王宮がそびえ、近くには貴族の館が立ち並ぶ。その先に広がるのはピスカージェンの街だ。オテルス大寺院の尖塔が朱色の屋根の間から突き出ていた。
 カベル川が光っている。アビュー家の屋敷からの景色もいいが、こちらの方が高台にある分、眺望がいい。
 アニスはしばらくその風景に見惚れていた。
 カルジュイク公にこの場所を教えたのは、父とデナンだったのではないか。ふと、そんな考えがよぎる。隠し通路の入口になっていたあの長櫃に腰かけて泣いている幼いアルセラーム。そこへ不敵な笑みを浮かべるデナンといたずらっ気に満ちた明るい瞳の父が現れて……。
 もちろん、それはアニスの空想にすぎない。
 それはそうと、へゼナードはここへ何しに来ていたんだ? 『鬱屈』を晴らしに?
それだけではなさそうだった。左手には武術指南院の院主コッフェルの私邸がある。右手には壁道と街の中心部をつなぐ道。前方は隣家の屋根だ。
「あっ!」
 屋根の上はうっすらと砂埃がたまっていたが、そこに点々と足跡がついている。真新しいものだ。ヘゼナードに違いない。
 たどっていくと、足跡は武術指南院の屋根の端から隣家の屋根へと続いていた。
 トカリスとかいう貴族の別邸らしいが、ふだんはほとんど無人だ。本棟は別にあるようなので、使用人の居住棟かもしれない。アニスがいるところからは、少し間があいている。
 そーっと下をのぞいてみた。石を積んだ塀が見える。ここは三階ぐらいの高さだが、地面の遠さにめまいがしそうだ。
(でも、これくらいなら飛び移れないことはないだろう)
 現にヘゼナードは飛び越えている。
 アニスは長衣の裾をたくし上げ、帯に裾を挟み込むと、えいやっと、向こうの屋根に飛び移る。
 漆喰がもろくなっていたのだろう。着地した時の勢いで、屋根に足を突っ込んだ。
「うわあ!」
 なんとか体勢を立て直すが、冷や汗がふきだした。呼吸を整え、さらに足跡を追う。
(こんなところ、誰かに見られたらまずいだろうな。神和家の小侍従がすねを出して、泥棒みたいに屋根を渡り歩いてるなんて)
 その一方で、思いもよらぬ冒険にワクワクしないでもない。
 細長い建物の端まで行くと、向こうは別の家の敷地だ。
(で……ここからはどこへ行けばいいんだ?)
 見回しても飛び移る屋根はもうない。あとは下へ降りるだけだ
(下へ? まさか! 絶対にケガをする!)
 考え込んでいると、黒っぽい影がひゅっと前を通り過ぎて行った。ざくろの大樹をめがけて、ヒヨドリが飛んできたらしい。赤い実が葉の影に見える。
「あ、そうか」
 屋根の下をのぞくと、太い枝が伸びていた。アニスが乗っても折れなさそうだ。ひょいっと太い幹をめざして飛び移る。
(いてっ!)
 細い枝が顔を打ったが、うまくいった。あとは樹のこぶや窪みを使って降りるだけだ。
 降り立ったのは大きな館の庭だった。人気《ひとけ》はない。
 崩れかけた塀に沿って糸杉が数本、天をさしていた。大理石の彫像にからみついたツタはとうに枯れ、装飾タイルをほどこした泉水盤はひび割れている。ぼうぼうと茂った雑草の下には煉瓦の舗石が見えた。
 草をかきわけていくと、大きな屋敷のテラスに出た。窓のガラスは割れ、中は薄暗い。廃屋のようだ。
(ここは……もしかして幽霊屋敷?)
 トカリス家別邸の隣は幽霊が出ると聞いたことがある。
 六十年前に当主が息子に殺されたのだという。息子は親殺しの罪で処刑され、家は廃絶した。幽霊の噂はその頃からあったようだ。老人が窓のところに立っていたとか、夜中に叫び声が聞こえるとか。トカリス家別邸に人が出入りしなくなったのもそれが関係しているのかもしれない。
 ユフェリを訪ねたことがあるにもかかわらず、アニスに霊感はない。しかし、見えないからこそ怖い。薄気味悪い。
 そーっと建物の中に足を踏み入れてみる。
 大広間とおぼしき部屋はひどく荒れていた。調度品はすべて処分されたのか、がらんとした室内は絨毯《じゅうたん》も敷かれていない。天井から吊り下げられたろうそく台は、三段づくりの大きなものだが、蜘蛛の巣におおわれていた。
 そろそろと、音を立てないように歩いた。
 ガタン! 
 はっ、と身がすくむ。隣の部屋あたりだ。幽霊なんかいるはずないと思いたいが、いることはすでに知っている。
 床に赤黒くしみのようなものが残っていた。血の跡じゃないだろな、と思いつつ、そのそばを通り過ぎる。後ろから何かに首を掴まれるような気がした。
 隣の部屋の戸は斧でも打ちつけたように壊れていた。そっと覗いてみる。
 へゼナードが背負い袋になにやら詰めている。
「へゼナード!」
「うわあ!」彼は少しのけぞってアニスを見た。「びっくりした。おまえか」
「何をやっているんだ?」
 床には毛布や着替え、携帯用の食糧、それに地図が散らばっている。どうやら『逃亡』の準備らしい。アニスは地図を拾い上げた。東フェルガナ地方の地図だ。
「本気なのか?」
 へゼナードは地図を取り返し、背負い袋につめた。
「止めるな。もう決めたんだ」
「止めないよ」アニスはあっさりと言った。「僕も行く」
「何をしに?!」