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和ごよみ短編集

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《其の35》『はらう』





今年もきたこの日。季節の分かれ目――節分

どこでどう分かれているのか 私はまだ見たことがないけれど冬の終わりで春を迎えるのだという。こんなに寒いのに冬とのお別れだ。

私の知らない遥か昔、この日は大晦日のように特別な日だったらしい。
そんなことに興味を持って調べてみたことがあった。
『追儺』と書いて『ついな』と読む行事があったそうだ。新しい年を迎える前に邪気を祓う儀式らしいが 字を見ると「人の難を追う」と書く。儀式というのは 人に難儀な行事であるように思えて少々可笑しく感じた。
しかし、お祓いをすると どうだろう…… 「人の難を追いはらう」となる。
これで邪気が祓われるということになるのか。やっぱり可笑しさを此処にも感じる。

可笑しいことといえば、節分にはまるっきり関係のないことだけれど事のついでに……

このところ文章はパソコンで作成することがほとんどだ。不慣れな指先は上達など関係なくマイペース。この変わらない根性はわが指ながらあっぱれ。いけない。また逸れた。
そうそう便利な変換は時として私の困惑と驚きだという話をしてみよう。

ある時「はらう」の文字を変換したところ「払う」が表れた。打つたびに注意を払っていたにもかかわらず これでは適していなかった。大切な約束の犠牲を払って無い時間を作り、仕事をしたのに気付いたのは提出のときだった。やり直しを余儀なくされ、先方を待たせたレストランの食事代のお金を払うことで許してもらった。
これで一件落着とひょうひょうと帰り道。
今度は すれ違った自転車を避けて ふらふらぺたり。
地面に着いた砂汚れを掃うはめになるなんて まったくついていない。
ということがあった。このとき思ったね。「憑き物を祓わなくちゃ」ってね。

ぐるっと巡って ほんの通りすがりの一日なのに どうしてこうも気に掛るのか。
思い出を振り返り、幼少の頃までさかのぼってみれば、思い出のひとつふたつ出てくるもので、私が幼稚園での節分会。園長先生は女性だったからか 送迎バスの運転手さんが鬼役。かといっておじさんに豆をぶつけるわけではなかった。いつもありがとうの人なのだ。折り紙で作った紙升を手に おじさんが巻く豆のコブクロと紙で包まれたキャラメルやセロファンで包んだラムネ菓子を拾うのだ。それだけで充分 節分は楽しいと感じた。
作品名:和ごよみ短編集 作家名:甜茶