和ごよみ短編集
就職をして三年した頃に僕は入院した。仕事のし過ぎといえば恰好もつくかもしれないが、虫垂炎だった。とはいっても、一応入院だ。
卒業後も僕はひとり暮らしをしていたので、誰も身の回りのことをしてくれるわけではなかった。病室で使う小物すら揃えてくれる女性もいなかった。
そんな腹痛の状態で出会ったのが 今の妻だ。
看護師をしていたわけではなかった。病院内の売店で働いていた女性だ。
僕が、あまりに痛がりながら買い物をしていたのを見かねて声をかけてくれたのだ。
「それ」
「え?」
「そのメモは 買うものですか?」
「ええ、まあ」
「私、もう少ししたら休憩なので買って届けてあげますよ。あ、内緒ですよ」
僕は、わからない店内をうろつくのも少々辛かったので この女性の好意に甘えてしまったのだ。おおよそのお金とメモを渡し、部屋番号を教えた。
「わかりました。お部屋に気をつけて戻ってくださいね」
このことは、言葉にはしないものの いまだに恩を感じている。
そして、退院の日。朝の診察が終わり、昼過ぎには病院を出るはずだった。
えっと…… なんだったのかも忘れてしまうほどの事だったのだろう。
夕陽の傾く頃、病院を経由するバスを待っていると、彼女も帰る時間だったようで僕の横を通りすがった。売店のエプロンのない姿は、あの日と二度目だ。はつらつとした感じだ。そして、僕は挨拶のつもりで声をかけた。
「こんにちは」
「こんにちは。あ、あの日の売店の。ご退院よかったですね」
夕陽のせいとしておこう。その瞳がきらきらと見えて その後は勢いで声をかけた。
「先日のお礼に…… お茶でもどうですか?」
足を止めてくれたことは了解してくれたことと僕は思った。
「ごめんなさい。迎えに行かないといけなくて」
「お迎え… ですか?」
「ええ」
「じゃあ、ご連絡先を教えてくれませんか? 僕のほうも教えますから、えっと紙は…」
「じゃあこれで」
彼女は、携帯電話を出してくれたものの……
「あれ? わかんないわ。これが私の番号。メモしてください」
少々驚きながらも 押され気味に携帯電話に登録した。