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和ごよみ短編集

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《其の29》『しぐれ』





紅葉を見ようと北行きの列車に乗りました。
まだ始まりかけた秋の街から 少し離れてみたくなったからかもしれません。
暮らしに不満はなかったけれど、不満もないほど変わり映えのしない退屈な日々に疲れてしまっていたのです。

週末を含め、溜まってきた有給休暇を使って祝日までの数日間会社を休むことにしました。
遠まわしに誘う相手も探してみたけれど、特別に仲良くしている友人もなく、恋人と呼べる相手もいません。
それよりもわたし自身が誰かといっしょに行きたいという気持ちが周りには落ちていなかったのです。
ひとり旅。
淋しいのか かっこいいのか、以前からしてみたい願望をどこか抱いていたのでちょうどいい機会でした。

日頃の窮屈なラッシュ時の電車を外し、早朝の電車に乗りました。満員電車は、コートを脱ぎたいほど暑く感じていたのに 数本と変わらないこの電車は、まだ人の温もりさえ疎らに感じました。無駄なくらい音を上げている車内の空調もちょうど良い温度を吹き出していました。
これを快適と云わずして 他に表現が見当たりません。 
乗換駅である大きな駅に着いたわたしは、人に押されるように車外へ出されるわけでなくホームに降りました。人に流されるように改札口に向かわなくても自分のペースで歩いていける。そんな時間ですら 楽しく感じることができたのです。

北へ行く列車のチケットを買う。切符の自販機で購入することもできるのだけど、こういう出会いは心が弾む気がして駅員さんとの対面で購入しました。
「おはようございます。**まで大人一枚。何時発ですか?」
爽やかな朝に 少々むさ苦しい雰囲気の男性でしたが、窓口から見える上半身の制服姿は似合っていたし、アナウンスで鍛えられたのか その声は少しドキッとするほど艶がありました。
「いい旅になるといいですね」
そんなおまけを言われてしまっては、朝一番の笑顔を見せるしかないと笑ってみました。

三十分足らずの時間とはいえ、吹きっさらしのホームで待つのは、しかも独りで待つのは傍目から気の毒そうに見えないかと可笑しな心配が頭をよぎり、クスッと人目を気にしながらにやけてしまいました。ホームまでの通路の案内を見つつ、疎らに開店している店頭を覗きながら歩いていきました。ゆっくりと階段を上がりホームに着くと 自動販売機で温かな飲み物を買い 残りの時間は待つことにしました。
加熱専用のペットボトルを手の中に握り込むとまだ熱い。肩に羽織ったショールの端で包んでしのぐ。
それもわずか……
冷えた空気は、その熱を奪い、掌にほどよく感じられてきました。
作品名:和ごよみ短編集 作家名:甜茶