和ごよみ短編集
《其の23》『はくろ』
まだ行き交う車もない登り勾配の道を少年は歩いていた。舗装された道の途中から けもの道ほどの山道へはいっていった。地元の者も、まれに山菜を取りに踏み入るくらいのその道は、人がゆうに通れる足場はあるものの 両側から茂る草木に足元を譲っていた。
「にいちゃん」
小さな声が 少年の足を止めた。
「ひな、ひなかぁ?」
草を腕で押し広げ、来た道の入り口を見ると、草木よりも背の低い女の子が立っていた。
「ひな、着いてくるなって言っただろ」
「にいちゃん、ひなも行くって」
「お帰り」
「帰られん」
少年は、やっと進みやすく広げた草に戻されるようにその少女のところまで戻った。
「かあちゃんには言ってきたのか?」
少女は少年の心配そうな眼差しにかまわず、顔中が微笑んでいるかの顔で首を横に振った。
「なんだよ。困ったやつだな」
「ひな いい子でいるから」
「ひなは いつもいい子だよ。だけど今日はいけない子だな」
「にいちゃん ひな いい子でいるから」
少年は、少女の頭に掌を乗せると諦めたような顔で 鼻息を漏らした。
「じゃあ、いい子のひなは どうしたらいいのかな?」
少女は、考えた。空に答えでもあるかのように上を見上げた。自分よりも背の高い周りの草など目に入らないほど遠く高い空を見上げた。
「わかったぁ。ひな、にいちゃんと手を繋いでる。かあちゃんと買い物行くときみたいに」
「そっか。じゃあちゃんと握っていなきゃ駄目なんだぞ。疲れたぁって座っちゃいけないんだぞ。ひなにできるか?」
「できる」
少年は、妹の手を取り、しっかりと握りしめた。背丈の高い草の先が 少女の頬を傷つけないように周りの草を踏みつけるように歩いた。
「ところで ひな」
しっかり握られた手元から視線を少年に向けた。
「にいちゃんは、何処に行くのでしょう? 痛い注射を打ちにいくのかもしれないよ」
「えー」
「こわぁい御屋敷におつかいに行くのかもしれない。ひなはこわくないのか?」
「にいちゃんと手を繋いでるから平気だもん」
「本当かなぁ?」
少女の手が少年の手をぎゅっと握った。
「やっぱりこわいんじゃないか」
「ひな こわくないもん」
「ひなは 強くなったんだな。もう少しだ。頑張れよ」
少女の肩の動きが 息をつくたび大きくなっていったが、手を離すことも足を止めることもなく懸命にすがって歩いていた。
木々の生えた土地につくと、振り返る道は 閉ざされたように草が覆っていた。
「ひな、頑張ったね。着いたよ」
木々の間の湿った土のにおいが、注がれる陽射しに萌えたっていた。
「ひな こっちだよ。ほらどうだい?」
「雨? きれい」
少女は細い指で葉に触れると ぴいんと葉が跳ねその雫が顔にかかった。
そして、驚いたけれど楽しいといった表情で奇声を上げた。
「しぃー。葉の妖精がびっくりしちゃうよ」
少年は可笑しそうに笑った。少女が、そのさまを小首を傾げてみると少年は呟く。
「まいったな。俺が『妖精が』なんて……」
秋の風が吹く。
揺れる葉の上に休む露は まだ眠たそうに白みを帯びて見える。
あの透明に輝き煌めく朝露にはないおっとりとした静やかな佇み。
秋風に吹かれ零れ散るさまの美しさ。
秋の草葉に宿る。
深まりゆく秋の季節を美しく包む柔らかな雫。
誰の心にも安らぎを感じるのは
まだひっそりとした時間(とき)の中に生まれた『しらつゆ』のせい
かも・・・・・・・
うるうる うるるん……
― 了 ―