和ごよみ短編集
そして、この春から僕は兼業で田畑仕事を始めることにした。まるっきり初めてではないにしても、頑固な親父の手伝い程度で ほとんどド素人な僕だが、おふくろだけに任せるのは荷が重いと感じていた。
しかし、不安ばかりで行動ができない。そこで親父以上に僕の相談に耳を貸してくれる茂さんに話をした。茂さんは、大きな分厚い掌で大人になった僕の頭を撫で、黙って頷いてくれたのだ。
それから、茂さんが僕の親方。外せない勤めの合間に指導をしてくれた。会合へもそして朝市にも茂さんは、僕を連れ出してくれた。
今日は、八月一日。『その日は、必ず空けておけよ』と茂さんに云われていた。
八月の朔日で八朔。
「出かけるぞ」と茂さんが、いつもの作業着よりもちょっとましなポロシャツ姿で迎えに来た。僕に白い晒で包んだ二本の一升瓶を持たせ、この辺りの祀りごとの神社へと向かった。ほかの田畑を営む人たちも集まってきていた。
「田の実だ」
親父が出かけていたのは、なんとなく知ってはいたが、その呼び名を僕は初めて耳にした言葉だった。田の神に畑の神に秋の豊作を祈願する。そういうものらしい。
なんだ、知らないのか?とでも云いそうな顔つきで僕を見た茂さんだったが、そんな小言はひと言も触れず、日照りが続いたり台風の襲来にあっても 稲穂が出始める頃、実りの豊かになる頃まで無事に過ごせますように祈念するんだぞ、と家族を守るような優しさで語ってくれたのだ。
「まぁ、たのみの節句とでもいうのか、神頼みってことよ」
高らかな笑い声。最近は親父のそれを聞いていなかった僕は、感動した。
神事を終え、茂さんの家の前で別れ、自宅に戻るとおふくろが風呂敷に包んだ箱を僕に差し出した。
「何?」
「あんたが、これから頼りにする人だから、しっかりお願いしてきなさい」
「誰に?」
聞いた僕はまぬけだ。おふくろのこめかみに寄せた皺と(呆れた)とへの字に曲がった口元で僕は衿を正し、その包みを受け取った。
「行ってくる。これからも宜しくと頼んでくる」
今、親父の事もあって、兼業で頑張らないといけない。そうなると、おふくろだけでは田畑に掛る手が足りない。あまい考えとは承知だが、茂さんに助けてもらうことしか思いつかない。一人前に僕を育ててくれるようにと……
八朔の行事。神に秋の豊作を頼み、頼み事をする相手に贈り物をして繋がりを強めておくという二つの意味があると帰宅したとき おふくろは教えてくれた。
それならば、ぼくは大事な頼みごとをしたい。
何処に どうすれば良いのかわからなかったから、真っ青に晴れた空に向かって願う。
親父が、大好きな畑仕事に戻れますように。そして一緒に収穫できますようにと。
どうかどうか きいてください……
― 了 ―