和ごよみ短編集
《其の20》『たのみ』
僕がその朝市にいくようになって五ヶ月が過ぎた。
初めて出かけたのはまだ寒さの残る春のこと。隣の家の茂(しげ)さんに連れられてだった。
僕の親父と茂さんとは、幼馴染みで同級生だ。
かれこれ五十七年の付き合い。ふたりとも今年還暦を迎える歳だ。
よく茂さんは、僕を肩車しては「わしんとこの息子になるか」なんて言ったものだった。結婚は遅かったらしいが、綺麗な奥さんを貰ったと親父は酒を飲んでは、「羨ましい」とおふくろにぼやいていたらしい。僕も数回写真を見たことがあったが、その微笑んだ顔は穏やかで 目は星が輝いているくらい綺麗だった。…というか 写真撮影のフラッシュでそう見えていたのだろう。ただその写真は、何年も若さを変えぬまま、ロウソクの油煙で色を変えていった。
はっきりしたことは親父から聞かされていないが、茂さんの奥さんが産む前か産んでからなのか、赤ちゃんといっしょに命を落としたということだった。
それから、茂さんは、ずっと独身のままだ。
いい縁談があっても断っているのか、断られているのか、野菜作りは親父よりずっと上手いのだが、女の人とは不器用な感じなのかな。
その分、僕は茂さんに遊んで貰うことが多かった。
僕のおふくろだって、独身時代の写真をみれば けっこう洒落た女性だったようだけど、毎日親父と田畑仕事をしているうちに、化粧っ気もなくなり、もんぺのような綿パンと首まで覆う麦藁帽の似合うおばちゃんになった。それでも 朝摘みに出かけるときは、首から掛けるタオル選びには余念がない。朝の日課のようにつけてあるテレビの占いで『きょうのラッキーカラー』を見ては選んでいるようだ。
いつまでも元気でいて欲しい。いまさら照れくさい台詞だけれど、改めて僕は願っていた。
それというのも、今年になって親父が畑仕事のときに倒れたのだ。『作物に向かう時は神様に仕えるときだ』と絶対に酒を飲んで畑仕事には出かけたことがなかった親父が、急の雪囲いに晩酌の途中で出かけたのだ。おふくろも誰もいない畑で何が起きたのか詳しいことはわからないまま、病院からの連絡で僕たちは向かった。通りがかりに知らせて救急車を呼んでくれた人は、誰だったのか?すらもわからない。ただ 感謝するしかなかった。