和ごよみ短編集
この年もその日が近づいてきて、あゆは ぼくを見つけるたびに言うのだ。
その日とは、六月の晦日、三十日のこと。
一年の半分とは云っても日にちの多少はあるものの、半年という節目の日。
大晦日を「年越の祓」そして六月は「夏越の祓(なごしのはらえ)」という。
この半年の身に積もった罪や穢れ(けがれ)を祓い、暑い季節、病にかからぬようにとの願いと残り半年の無病息災を祈願する神事なのだ。
まだ、若蔵のぼくだが、これでも和菓子屋の長男なのだ。十数年とはいえ、我が家では日頃から和菓子を通しての季節の暦は 教えられて育った。
だから、この時期も我が家には大事な繁忙期。
朝から、小豆の煮える匂いが鼻をつく。砂糖が加えられて甘さの加わった匂いが鼻に残る。
親父や丈さんは、その匂いを嗅ぎ分ける。ぼくが言うのは百年早いかもしれないが、腕のいい職人だと思う。
煮る。蒸しあげる。捏ねる。・・・・・
繊細な手作業に思える和菓子作りも 暑さ我慢の体力勝負の男の仕事にぼくは思う。
親父たちが、作っていたのは、『水無月』という菓子だ。白の外郎生地に小豆をのせ、三角形に切り分けられた菓子。小豆は邪気を払い。三角の形は暑気を払う氷を表している。
しかし、この頃のぼくには出番などなかった。できることといえば……
ぼくは、着替えると あゆと氏神様の神社へ出かけた。
時々ぼくを見上げては 微笑む顔は何を考えているのかな?
あゆの小さな手を握り、そんな笑顔を見るような見ないような態度で神社に着いた。
「にいちゃん、あゆ ちのわ、くぐれるよ」
あゆは、きちんとその名を言い、ぼくの手を離し、見ててと云わんばかりの笑顔見せて 振り返った。鳥居に張られたその輪をくぐる。
左へ回り、次はくぐると右へ回り、そして左へと8の字を描くように三度くぐったのだ。
ぼくは、きちんとできたあゆを褒めてあげなければと思った。
膝を折り、あゆの視線に屈んだ。あゆの頭に手を伸ばす。だけれどぼくは、頭に触れることなく、ちいさなあゆの体を抱きしめていた。少しばかり瞼がこそばゆく感じ涙が溜まった。しまった、と零れないように上を向いたぼくの頬に あゆの口元が触れた…… 気がした。こんな小さな子に、妹みたいなあゆに、年端もいかないぼくが、初めての感情を抱いてしまった。
あれからぼくは、進学をし、地元を離れ大学にも入った。その傍らに親父の店を継げるよう和菓子だけでなく製菓全般の勉強もしている。
何年かかるかわからないが、ぼくの作った水無月の和菓子を食べて欲しい人が居るから。
「あゆね このお菓子だぁいすき」
今もそういってくれるだろうか?
毎年、この日は帰郷し、神社へと出かける。あの頃よりは大きくなった体を屈め、茅の輪をくぐり、邪気を払い、修行する。輪をくぐり終えると周りを探す。あゆの姿を……
「にいちゃん」何処からかそんな声が聞こえたようで振り返る。行き交う人の中にその姿は見つからなかったけれど、ぼくのこころの中にいつもあゆが微笑んでいる。
清らかな川を泳ぐ鮎のように 清々しい気持ちになれるんだ。
しゃんしゃん しゃん……
― 了 ―