和ごよみ短編集
《其の16》『なごし』
梅雨の半ばを過ぎただろうか。
じめじめした空気が肌に触れ、体が重たく感じるすっきりしない天気。そうかと思えば、もうすっかり夏の陽気かと、汗ばむ額を捲り上げた袖で拭い上げる日。
そうだ、ぼくは、この時期になると思いだす。
急に背が伸びて 毎日のように膝のあたりが痛み、だらだらと通学路を歩いて帰っていた頃のことを……。
「にいちゃん、ちくわ、ちくわ 行こうね」
ぼくの姿を見つけると、何かしら声を掛け寄ってくる女の子がいた。あゆみだったか、あゆだったか、ぼくは、あゆと呼んでいた。歳も十歳近く下の子だ。友だちと一緒にいるときは、何度か無視をして通り過ぎたこともあったが、ぼくは、あゆのことが気になって仕方がなかった。
あゆは、ぼくの親父の営む小さな和菓子屋で働いてくれている丈(たけ)さんの娘だ。丈さんは、親父よりもずっと歳が上の人だったが、二度目の結婚で生まれたあゆを とても可愛がっていた。「歳を取ってからの子は可愛いんだ」と、その頃のぼくにはよくわからなかったけれど、店に来るあゆを 何となくぼくは遊んでやっていた。
あゆの母親も近所のスーパーでパート勤めをしていたらしく、あゆが、よちよちと歩く頃から おふくろにあゆを預け、丈さんは店で働いていたのだ。
そしておふくろは、買い物や店の手伝いに借りだされると、あゆの面倒をぼくに押し付けた。はじめは、確かに面倒を押し付けられた気持ちだったが、それもすぐに自身の中ではなくなった。照れくさいのもあって、頼まれるたびに愚図っては見せていたが、小さな手で、小さな体で ぼくを追いかけてくるあゆは、本当の妹のように可愛いかった。
「にいちゃん、あゆ ちくわ、くぐれるよ」
「あゆ、違うってぇ ち の わ 」
「ち く わ」
「だから ちのわ」
ちのわというのは、茅草(かやくさ)を束ねて輪を作ったもの。
その『茅の輪』は、神社の鳥居の下に飾ってあり その輪をくぐると身が清められ、不浄を祓う禊(みそぎ)の風習だ。左へ回り、次は右へ、そして左へと8の字を描くように三度くぐるのだ。
まだ小さかったあゆには、右も左もありゃしなかったが、頭に手を乗せてくぐれたことを褒めてやると頬を赤くしてはしゃいで喜んでいた。
「あゆ、うまくくぐれたね。来年は、ひとりでできるかなぁ」
「うん、にいにゃ、あゆっちゅできる」
言葉すら曖昧な頃から この日はあゆと一緒だった。