和ごよみ短編集
《其の12》『みちる』
「晴れわたる空。心地よい風。煌めく黄緑色の絨毯のような風景。綺麗よねぇ」
「いっつも この季節になると言ってない?」
「そっかなぁ、でも去年は去年。この風景は今年だけのものだもの」
「じゃあ わたしもいつも通りに。『実りのこまんうちに一番ノリ』ってね」
風が吹くみち。
その風は、穏やかなようで力強い。季節をひとつ押しやるほどの勢いを感じる。
ほんわりと留まる春風を押しのけ、恵みの土地に新鮮な空気を送り込んでいるようだ。
春に整え、芽吹き、育ちつつある作物のまだ若い青々とした色は 此処にはない。
広がる麦の穂の揺らめき。
まるで 秋の稲穂のようにも見えるのに その姿は凛として美しい。たわわに穂を実らせているのに頭を垂れない姿は、これから息づく新しい実りのお手本のように、春から夏の躍動感を見つめるように、その刈り入れの時を待っている。
『麦秋(ばくしゅう)』
麦にとっては 実りの秋。
「だから それ読み方違うって…」
「いいの、いいの。小満(しょうまん)でも どうでも。それにこの言葉を覚えたのだって…」
「はいはい、私ね」
「そうそう。でね、わたし思ったの。暑いとか寒いとかって小と大があるのに 満って小しかないのかな?って」
「確かに… きっとその時期に不作だったら 寂しいものね」
ふたりして歩くその道。
中学の頃から 喜びも悩みも語りながら同じ学校へと通ったふたりも、今年はそれぞれの道を選ぶ高校3年生。言葉にしなくても、切磋琢磨、自分の進みたい夢を描いてきた。見つめる先に向かってさらに大きく強く気持ちが広がる。
「ねえ、進路希望書提出した?」
「したよ。今度の面談でほぼ決まり。これからは、そこに向かって努力努力ってね」
「そうね。……あ、そうだ」
麦の穂の茂る畑に近づくと、手の届く穂先を千切った。
「見つかったら 叱られるよぉ」
「かもね。でもさ、私……。はい、これ」
千切った麦の穂をひとつ渡すと、彼女は、胸元のポケットから生徒手帳を出して挿んだ。
「見つかったらね。でも もし何か言われたら『お守りにください』って言うわ」
「わたしも 挿んでおこっと」
「うん。私たちの希望が満ちたりますようにってね」
「いいね、それ。あ、わたしたちどんな実になるのかねぇ。楽しみだけど これから不安ばっかりかもぉ……」
「これから 模試だの補習だの 忙しくなりそうだけど 頑張ろうね」
「はぁあ、暑い夏でも 頑張らないと秋になって困るもんねぇ… 励まし合おうね!」
制服の袖を捲り上げ、小さく拳を握る。
揺れる黄緑色の麦穂が微笑んだ。
爽やかな風と明るい陽射しに煌めきながら。
ちるちるちる みちる……
― 了 ―