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大地は雨をうけとめる 第2章 小侍従の気苦労

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「ありがとよ。たくさんもらっちゃって悪いね、兄さん」
 彼らはちゃんと、金の出どころをわかっているようだった。
「お礼に好きな歌、歌ってやるよ。」
「それじゃ、ラフィアムの歌を」
「永遠の恋人、エルニセード・ラフィアムだね。ラフィアムといえば、シヴァリエルスへの恋歌だ」
 ラフィアムは千年ぐらい前の楽師だ。グルドールの女帝の皇子に生まれ、すぐに小国ペ
 シャヌルの王座についたが、実権はなく、十六歳になるまで幽閉されていたという。呪術師シヴァリエルスによって解放され、その後は楽師として名を馳せた。
 楽師はヴィクラを弾き始めた。

「シヴァリエルス、シヴァリエルス
 僕の美しい小夜鳴鳥よ、君に会いたい
 君は飛び立ったままどこにいる?
 悠久の風の中で舞っているのだろうか
 それとも天空の庭に枝をのばす糸杉に宿っているのか
 君に会いたい、今一度
 もしできるなら、この身を放り出しても
 君を探しに行くものを
 シヴァリエルス、君は今どこにいる 」

 彼らの歌を聞くアニスをルシャデールが見つめていた。
「どうかしましたか?」
 再び彼らは屋敷へと歩き出す。
「会いたいのかな、と思って」
「誰にですか? あ……」
 オリンジェのことだ。
「私には気をつかわなくてもいいよ」
「いえ……御寮様の方こそ、どうぞお気遣いなく」
「もし、仕事が忙しくて会う時間とれないなら、デナンに私から言ってあげるよ」
「いえ、本当に……大丈夫です」
 やっぱり知っていた。それより、妙に気を回すようになったと、アニスは感じていた。以前はもっとはっきりと言ってきたものだ。
 ユフェリへ行ったときに、友達でいる約束をした。表向きは御寮様と使用人だけれども、友達だよと。しかし、気づいたら、彼女はどこか引いている。離れたところから、何か言いたげにこっちを見ている。そんな感じだ。何が言いたいのか、気になって仕方がない。しかし、たずねてみても、何でもない、おまえの思い過ごしだ、としか返ってこない。
 急に機嫌が悪くなることもしばしばだ。もともと、癇癪《かんしゃく》を起しがちだったが、前は理由がつかめていた。
 トリスタン・アビューが何か知っているのではと、感じることもある。ルシャデールと彼のやりとりを見ていて、ニヤニヤと笑っている。
 といって、屋敷の主に対して『何か知っているんでしたら教えて下さい』などと聞くのは憚《はばか》られた。何と言っても、自分はルシャデールの侍従なのだ。
兄貴分のようなシャメルドに相談したら、
『馬鹿だなあ、女なんてそんなもんだぞ』で終わった。
 そんなこと言ってるから、女の子に振られるんじゃないのかなあ。そう返したら、誰に物を言ってるんだ、と首を絞められてしまった。

 ルシャデールが寝室の姿見を割ったのは、翌日の午後だった。ソニヤによれば入浴の後、何を思ったか、飾っていた壺を投げつけたという。
「突然どうなさいました?」
 床に散らばった破片を片づけさせる間、別室でアニスは主人を問い詰めた。
「何でもない」
 ルシャデールはソファにもたれ、やや虚脱したように窓の方を見ている。
「理由もなしに鏡を割られたのですか?」
「……イライラしたから」
「何にですか」
「いろいろなこと」
「といいますと?」
「……」
 彼女の眉尻が上がってくる。怒鳴り声が飛んできそうだ。
 ルシャデールは息をつき、アニスの方を振り向いた。その顔は怒っていない。感情を呑み込んだような疲れた顔だ。
「悪かったと思ってる」
 素直に謝られると、アニスもそれ以上は問い詰めづらくなる。それに、彼女が表面上、従順になる時は、むしろ頑固になっていることを彼は経験から知っていた。本当のことは決して話さない。
「もし、悩んでいることがあるなら……何でも打ち明けて下さい。以前は、半分八つ当たりしながらも、わたしに話して下さいました」
 ルシャデールは再び、窓の方を向いてしまった。
「それは……侍従として聞いてるの? それとも友達として?」
 三年前、一緒にユフェリへ行った時、友達でいようと約束した。だから、身分の差はあっても親身に彼女が抱える問題をできるだけ軽くしてやりたいと思っていた。時に、友達としての考えと、侍従としてすべき方向が違っていることもあるが、それをなんとかうまくすり合わせてきた。
「両方です」
「じゃ、今日を限りに友達の方は解任」
「えっ?」
 どういうことですか? と、たずねる前にルシャデールは立ち上がって、ドアの方へ向かった。
「他に話すことはない! 庭を散歩してくる」
「御寮様!」
 アニスも慌てて立ち上がるが、服の裾を踏んでつまづいてしまった。
 何やっているんだ、僕は。
 みっともなさに頭を抱えたくなりながら見上げると、ルシャデールが立ち止り、振り向いていた。嗤ってはいない。ただ、憂いを含んだ静かなまなざしで彼を見ていた。ふっと微笑ったかと思うと、
「ありがとう」
 そうつぶやいて出て行った。
 友達を解任? どうして? 僕が何かしたのか? 
 侍従をクビというならまだわかる。自分はその器じゃないと、常々思っていたからだ。しかし、友達であることをやめるというのは……理解できなかった。
 起き上がったものの、アニスはその場にへたりこんだままだった。
「あら、御寮様は?」
 快活な高い声はルシャデールの侍女ソニヤだった。
「散歩に行きました」
 アニスはつとめて平静に答えたが、心の動揺を隠しきれていなかったのだろう。
「何かありまして? 顔色がすぐれませんわ」
 何でもありません、大丈夫です。そう言おうとして顔を上げると、ソニヤの心配そうな顔がすぐ前にあった。深い褐色の瞳に、亡くなった母の面影がよぎり、彼の細くて弱っちい突っ張り棒はぽきんと折れた。口から出てきたのは、いとも情けない声音だった
「ソニヤさん……」
 アビュー家に来たのは二年前だが、お屋敷勤めの長いソニヤはよく行き届いた侍女だった。
 総じて、貴族は神経質だったり、傲慢だったり、気難しい人間が多いのだが、その中でも神和家はユフェレンということもあって、理解しがたいことも多い。だがそれも、ソニヤは四十過ぎた女の気負わないたくましさで、動じることなく乗り切ってしまう。
 アニスにとっては、ルシャデールのこと以外でも頼りになる存在だった。彼は今あったことを、二年前からのことも含めて話した。
「そう、友達だったの」
アニスの話を聞いて、ソニヤは微笑んだ。
半時たつが、ルシャデールはまだ戻ってこない。屋敷の中は静かだった。
「そうね、御寮様があなたに寄せる信頼は、単に主人と使用人という風には見えなかったわ」
「信じてもらえないかもしれませんが、四歳ぐらいの時に僕は御寮様にお会いしたことがあります。ええ、もちろんここに来る前です。僕はネズルカヤにいましたし、御寮様はカームニルにいらっしゃったはず。僕は近所に来た子だと思って、遊ぶ約束をして、その後はそれっきり。あ、そんな顔しないで下さい。僕だって御寮様に言われるまで、すっかり忘れていたし、夢か何かじゃないかって気もしているんです」