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大地は雨をうけとめる 第2章 小侍従の気苦労

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普通は信じてくれないだろう、こんなこと。ただ、アニスは『友達』はあの時から始まっていると考えていた。
「驚いた。コルメスの道、ね」
 ソニヤは少し間を置いて言った。
「コルメスの道?」
「聞いたことない? 子供や時には大人が突然、行方不明になってしまうの。旅人が夜道で不思議な場所に迷い込んだ話とか、聞いたことないかしら。後になって、その場所を探しても見つからないのよ。行方知れずになった子が、ずっと離れた場所で見つかったり。だけどその子はどうやってそこへ行ったか、まるで記憶がないの。そういう現象を『コルメスの道』って呼んでいるわ。もちろん中には、人さらいに連れ去られた子もいるでしょうけど。でも、御寮様ならありそうね」
「だけど、もう友達は終わりだって、宣告されました」アニスはできるだけさばさばと言った。
「仕方ないわね。あなたには付き合っている娘さんがいるんでしょう? その娘さんにしてみれば、同じ年頃でいつも一緒にいる御寮様のことが気になって仕方がないと思うわ。御寮様だって、それがわかるから、距離を置こうとお考えになったのよ」
「えっ……」
 彼の中では、ルシャデールとオリンジェはまったく違う次元の存在だった。
「ねえ、イスファハンさん。もしよ、御寮様とそのおつきあいしている娘さんと、二人が同時に違った場所で危険な目にあっているとしたら、あなたはどちらに駆けつける?」
 この質問の裏に何があるのか、ソニヤが何を聞こうとしているのか、アニスには見当もつかない。
「たぶん……御寮様の方です。それが当然だと思いますが。それが何か?」
「難しい立場にいることに、あなたは気づいてないってこと、よくわかったわ」
「えっ? 何のことですか?」
「本当に気づかない?」
「何のことだか、さっぱりわかりません」
 ソニヤは謎めいた微笑みを浮かべる。
「え?」
「そういうあなただから、御前様はあなたを御寮様におつけしたのかもしれないわね」
 アニスには、ソニヤが何を言っているのか、よくわからなかった。
「ソニヤさん、何か知ってるんですか? 教えて下さい」
「御寮様はきっとあなたにだけは知られたくないと思っていらっしゃるわ。だから、私には言えない。今しばらくはそのままにしてさしあげて。御寮様も他にどうしていいか、おわかりになっていないでしょうから」
「よくわかりませんが……僕はどうすれば?」
「あれこれ考えて悩むより、成り行きに任せてしまった方がうまくいくこともあるわ。迷いながら進むよりも、立ち止ってしまう方がいいこともあるの。あなたなら大丈夫。きっとうまくいくわ」
 アニスはよくわからないまま、黙ってうなずいた。


「カズック! いる?」
 その夜、寝ようとして、再び寝床から身を起こした。
「呼んだか?」
 壁の鏡から、狐顔の犬がのっそり出てきた。
 カズックはルシャデールがカームニルにいた時からの仲間だ。彼女がフェルガナに来る時に一緒についてきた。
 もともとはカズクシャンの街を守る神だったというが、今では精霊のようなものだ。半肉半霊であるため、普通の人の目にも映るし、ものを食べることもできる。アビュー屋敷では使用人たちに「キツネちゃん」と呼ばれ、かわいがられていた。
「何だ?」
「御寮様が……なんだか悩んでいるみたいなんだ。僕は全然役に立たないし、そもそも僕のせいらしいんだけど。代わりに慰めてあげてくれないかな」
「あーあ」彼にもすぐにわかったようだ。「心配するな。年頃になったら、だれでもかかる病気だ。水疱瘡みたいなもんだ」
「病気?」
「病気に似ているってことさ。おまえはまだだったか」
 カズックは笑う。犬の笑い顔はすこし怖い。
「みんなして謎かけみたいなことばかり言う」
「焦るな、坊や。ものごとは、知るべき時があるってことさ」
「坊やじゃないよ」
「ふん、下の毛が生えただけじゃ、大人とは言わんさ。女の柔肌も知らんくせに」
「カズックは知ってるの?」
「この世の犬の半分はオレの血筋だ」
 本当かどうか確かめるすべはないが、彼はそう豪語した。
「人間の女じゃないんだ」
 アニスは笑みをこぼす。 
「おまえ、人間の女はまずいだろ。面倒なものだってのは、おまえだってわかってるんじゃないのか?」
「ああ……まあね」ちらりとオリンジェの顔が浮かぶ。
「そのうちデナンが適当なところへ連れて行ってくれるだろうさ。神和家の侍従にふさわしい『館』に」
「ああ……そうかな」何と言っていいやらわからない。
「変なところへ行くと病気を移されるからな。気をつけろよ」
「わかったよ。それより、、御寮様を頼むね」
 ああ、そう言って、カズックは頭をごしごしとアニスの夜着の裾にこすりつけた。
「何してるの?」
「慰めてやればいいんだろ?」
「慰めるって、変な事したらダメだよ!」
「ばーか、おまえ何考えてんだ」
 カズックは舌を出して、また壁の向こうへ消えた。
 脱力して、布団の上に倒れ込む。
 明日の朝はお勤めがある。夜明け前に起きて、ルシャデールの水垢離に付き合わねばならない。白い修道着を三枚着た彼女に冷水をかけるのだ。
 髪を簡単に結い上げ、きれいなうなじがあらわになる。うなじがきれいだ。水に濡れて衣服がはりついた体の線……。
(あ、まずい)
 思いがあらぬ方向に転がりそうになって、彼は布団を頭からかぶった。