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　こんな楽ちんな仕事で大手より優遇されてるなんて、超ラッキーだよね。
　うん、絶対そう。
　少なくとも、この時点ではそう思ってた。
　でも、世の中そんなに甘くない。

　一通り事務処理を終わらせた私は、社長に訊いた。
「社長、ウチの社名の由来って、何なんです？」
　そう、普通に読んだらイセカイ。イセカイトラベル。それとも、伊勢という方に重点があるのだろうか。前々から気になっていて、聞きそびれていたこと。
「それね、うん」
　友重がお茶を飲みながら言う。「イセカイがウチの売りだから」
「ですから、そのイセカイです」
「そのままですよ。こことは違う世界という意味です」
「はぁ……」
「だって、そうでしょう？　異世界なんて書いたら、お客様が来ないからですよ」
　いや、それは同じでしょう――？
「社長、冗談がお上手ですね」
「冗談？　そうではないですよ」
　そう言って、友重は私を吉村さんのデスクに導く。「吉村くん、ちょっと高穂木さんに見せてあげて」
　吉村さんは、読んでいた業界紙から目を上げて頷いた。
　黙って、それまで自分が座っていた椅子に座るよう、私を促す。
　吉村さんはいつも無口で、必要最低限のことしか喋らない。
　私が席に着くと、彼は端末のスリープ状態を解除した。
　日本語ではない文字列が表示される。
　私は吉村さんの方を見た。
「サンスクリット」
　と、一言だけ、吉村さん。
　いや、分かるよ。私は一応宗教学専攻だったし。
　でも、普通の事務用端末にサンスクリットはおかしいでしょう？
　そう思っていると、吉村さんは端末を操作して日本語に切り替えてくれた。
　最初からそうしてくれたらいいのに、なんでサンスクリット表記にしているのか分からない。
　見たところ、吉村さんはインド人でもなさそうだし。
　画面に目を戻すと、ツアーのメニューが列記されているようだと言うのは分かった。
　でも――

　ポロパン周遊1現地月1680万クレジット
　アスタート周遊15現地日1330万クレジット
　ルナ・ネオ探訪一泊2日500万クレジット

　訪問地とツアー日数だということは分かる。現地日とかは脇に置いたとしても、クレジットって何？
「これは――」
　私は、社長の方を見た。
「これが、当社のメイン業務。異世界ツアー」
「あの……本気で言ってます？」
「本気ですよ。何なら写真を見せましょうか」
　そう言って、社長が端末のキーを叩く。
　出て来た写真。
　どう見ても普通の遺跡とか山とか、別段変わった所のない風景。
「これって、疑似体験みたいなものですよね」
　私は言った。
　異世界旅行と銘打って、実際にそこへ行ったような体験をさせる、そういうことだろうと思った。
「違いますよ。本物の異世界ですよ」
「本物って……」
「最初にも言ったように、いずれ高穂木さんにもガイドとして行ってもらうので、少しずつ勉強してもらった方がいいですね」
「はあ……」
　社長は、冗談を言っているようには見えない。
　いつも通り、普通に業務指示を出す口調だ。
「吉村くん、彼女に資料を用意してあげて」
　そう言われて、吉村さんは私に席を空けるよう仕草で示し、代わりに自分が座った。
「じゃあ、時間もかかることだし、一緒にお茶でもしましょうか」
　社長はそう言って、自ら簡易キッチンに向かう。
「あ、それなら私が――」
「いいですよ。お茶を入れるのが私の趣味でもあるので」
　そう言われると、お願いしますとしか言えない。
　確かに、社長の入れるお茶は美味しい。
　これまでどこで飲んだものよりも格が違う。
　私は自分のデスクに戻って、散らかった書類を整理した。
「高穂木さん、こっちへ」
　社長に呼ばれて、私は応接セットの方に行く。
「あなたは、異世界があるとは信じられないようですが」
　ソファに掛けた私に、社長が切り出した。
「はあ、ここは普通の会社ですし、そういう所じゃないと思うんですけど」
　そういう所とは、ゲームやアニメの業界という意味で、私は言った。
「あるんですよ。異世界は」
「はあ」
「そうですね。一番分かり易いのが、パラレルワールドでしょうかね」
「並行世界ですよね」
「まあ、簡単に言えばそうですね。宇宙は単独では拡がりも奥行きも持たないので、複数なければならないのですよ。宇宙は並行世界の数だけ拡がりを獲得するのです。高穂木さんもご存知のように、宇宙は絶えず膨張していますが、そのエネルギー源は並行世界同士の繋がりによって維持されているのです」
「あの、ここは旅行会社ですよね」
　改めて私は確認する。
　どこか宗教めいたものを感じたから。
「もちろん、そうです。だから、異世界の基本として、よく知られたパラレルワールドを引き合いに出しただけです」
「と言うことは、社長の仰る異世界は、パラレルワールドとは別のものだということですか？」
「ええ。パラレルワールドを含む、知られている限りのこことは違う世界のことです」
　なんだか、頭がくらくらしてきた。
「高穂木さんは、大学では宗教学を専攻していたでしょう？」
「はい、そうですが」
「仏教思想やインドの古代哲学についても」
「はあ、とりあえずは」
「それが、あなたを抜擢した最大の理由なんですよ」
　もう、訳が分からなくなってきた。
　何ここ。旅行会社を装った宗教団体――？
「お茶が冷めますよ」
　社長が言う。
　お茶のことなんて、すっかり忘れてた。
　そりゃ、そうでしょ？　業務内容のお話の最中に宗教がどうとか言われたら、普通困るよね。
　私は湯呑みに手を伸ばし、一口すすった。
　やっぱり、社長の入れるお茶はおいしい。
　温かい液体が喉を通って行く。
　それで、少し気を落ち着かせることが出来た。
「社長はさっき、私にも異世界に行くようにと、おっしゃいましたよね」
「ええ、言いましたよ。今、吉村くんが資料を揃えてくれています」
「異世界って、そんなに簡単に行けたりするものなんですか？」
　あくまでもそれがあることを前提として話す社長と、それを否定しようとする私。このままでは話が進まない。
　どうでもいいけど、とりあえず社長の話に乗ってみることにする。
「行ける所もありますが、難しい所も。それは、この世界でも同じでしょう？」
「はあ」
「中国やアメリカに行くのは簡単でも、南極やマリアナ海溝の一番深い所に行くのは難しい。それと同じですよ」
　なんか、例えが全然違うぞ、と私は心の中で突っ込む。
「じゃあ、行きやすい所だと、どんな所があるんですか？」
「そうですね……」
　友重社長が考える。「言葉で説明するのも難しいので、とりあえず行ってみましょうか」
　は？
　行くって、異世界に？
　いまから？
　正気？
　そんな私には構わず、社長は吉村さんに声をかける。
「吉村くん。今から私たちはちょっと出かけるので、事務所の方を頼みます。――あ、もし何だったら閉めてしまってもいいですよ」
　閉めるって、まだ営業時間なのに？
　それから社長は私に向き直る。
「最初はびっくりするかも知れないですが、そのうち慣れますから」
　って、そういう問題？
　社長が自席に戻って、端末で何か操作する。