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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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時計

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2. 怪談


 緑の大地、遮るもののない青空、爽やかな風。人々が北海道に抱く印象とは、大体そんなものだろう。まあ、人によっては「美味しい食べ物」とか「寒い!」といったことしか思い浮かばないかも知れないが。
 綾音達の高校では、修学旅行といえば北海道と決まっているようなものだった。
 一日中バスに揺られていたせいで、第一日目にもかかわらず彼女達はひどく疲れていた。内地での観光と違って、北海道の場合は移動に非常に時間がかかる。それに、必要以上に車内で騒ぎ過ぎたためでもある。
 しかし、そこがやはり若さというものだろう。夕食を終え、風呂に入ってさっぱりすると、それまでの疲れはどこへやら、各部屋でおしゃべりの花が咲いた。
「ねえ、私、馬見たの初めて! あんなに大きいなんて!」
 綾音達と同室の御園優歌(みそのゆうか)が興奮した声で言う。すると苗穂(なえぼ)みゆきが冷めた口調で返す。「馬なんて、毎週見てるよ」
「あんたのは競馬じゃないの。あれはポニーよ、ポニー。分かる?」
 苗穂みゆきには四つ違いの兄がいて、それが大の競馬好きなのである。彼女も時々、兄に頼んで馬券を買って来てもらっていて、それがまたよく当たるという評判だった。
 ポニーと連発しているのは島松美依子(しままつみよこ)で、いつもは「ミイ」と呼ばれている。
 そんなやりとりを尻目に、吉野友里(ゆり)が今日通って来たコースについて文句を言っている。
「それにしてもねえ。あの黄金道路ってのには騙されたと思わない?」
 黄金道路というのは、襟裳(えりも)岬から十勝平野へ抜ける断崖絶壁の続く道である。バスガイドの説明によると、その名の由来は沿道の風光明媚なところから来ているのではなく、まるで黄金を敷き詰めたように多額の建設費を要したことに因んでいるのだそうだ。
 もっとも、実際にその説明を聞いていたのは前の方の席にいたごくわずかな者だけで、後ろの方はそれどころの騒ぎではなかったのだが。
 友里が愚痴ばかりこぼしているのには理由があった。
 この修学旅行では、クラス単位でコースを選択出来ることになっていた。今日の札幌から帯広までの間も、彼女達の選んだものとは別に、沙流(さる)川を遡って日勝峠を越えるルートと夕張から狩勝(かりかち)峠を経由するコースがあった。どれを選んでも、泊まるところは同じである。宿に着いてから峠まわりを選んだクラスの子の話を聞いて、友里はひどく悔しがったのだった。トンネル続きの襟裳コースよりも、峠からの眺望の方がいいに決まっていた。何せ、唯一の見どころのはずの襟裳岬も霧の中で何も見えなかったのだから、なおさらだ。
 誰かが持って来ていたカード・ゲームに興じていると、見回りの教師が来てすでに消灯時間を過ぎていることを知らされた。
 しぶしぶ彼女達六人は灯りを消して素直に布団に入ったが、このまま本当に眠ってしまう手はないだろう。何せ、せっかくの修学旅行である。やることはいくらでもあるのだ。
 ふと綾音が横を見ると、御園優歌が早くも軽い寝息をたてている。
「ちょっと優歌。何寝てんのよ」
 途端に揺さぶり起こされた優歌は、すでに寝呆けまなこだ。
「ん……。もう寝るんじゃなかったのぉ」
「まさか! 優歌、本気にしてたわけ? とんでもないわよ。夜は、まだまだこれからなんだからね。今度寝たら顔に落書きするわよ」
 呆れたと言わんばかりのみゆきの口調だった。
 と、いうわけで、彼女達は静かな(?)語らいの時間へと入ったのだった。こういうとき、まずは誰からともなく好きな人の話が持ち出されるものである。明確に相手の名前が出てくる場合もあるが、何時何分の電車にどこそこの駅から乗って……、といような、あまりはっきりしないものもある。そしてそれは、全て他校の生徒なのだった。まあ、それは当然のことながら仕方のないことだ。何故なら、彼女たちの通っているのは女子高だからだ。校内に好きな人がいるとなると、少々怪しいことになるだろう。
 そして、話は修学旅行の夜の定番、怪談へと移ってゆく。誰が決めたわけでもないのに、どうしてだか行き着くところはいつも怖い話になってしまう。
「ちょっと待って。私、いい物持ってるんだ」
 苗穂みゆきが大きな鞄から何やら取り出して来て、行灯(あんどん)型の電気スタンドに被せた。
 部屋全体が青い光に包まれる。怖い話にはうってつけの雰囲気である。
 みゆきが被せたのは、青いタオルだった。「何事もムード作りが大切なのよ。私が兄貴から教わったのは、競馬だけじゃないんだからね」
「くだらないことばっかり知ってんのね、あんたって」
 得意満面のみゆきに、島松美依子が馬鹿にしたように言った。
 六月も半ばとはいえ、北海道の夜は寒い。話によると、夏の一番暑い時期でも、雨の日などは震え上がるほど寒くなる所もあるという。
 皆、布団にくるまり、枕を抱えるような姿勢で話し手を見つめていた。
 同室の六人が順番に話してゆく。自分の恐怖体験を語る者もいれば、人から聞いた話をする者もいる。なかにはTVでやっていた話をしようとするのがいて、「ああ、それ知ってる」「あれ、怖かったよね」などとひとしきり騒いだりして、雰囲気が台無しになるという一幕も見られた。
 いつの間にか近隣の部屋から数人が入り込んで来て、人数は倍近くになってしまっていた。寒いため、相席ならぬ相布団になる。
 どこのクラスにも、怖い話をさせると右に出る者はいないという、一種の芸を持った生徒はいるものだ。それまで綾音は、彼女と話したことはあまりなかった。
 彼女の名は上東沙弥香(じょうとうさやか)。バスケットボール部に所属している、よく陽焼けした健康を絵に描いたような少女である。
 綾音達の高校はバスケットボールが強いことでも知られている。過去に全国大会で優勝もしていた。春夏冬の休み期間中とゴールデンウィークに合宿があり、夏以外のものは予算の都合で学校内で行われるのが普通だった。
 それは沙弥香が一年生のとき、ちょうど一年前の五月にあった合宿での出来事だった。
 沙弥香は最初に先輩からその話を聞いたとき、どうせ新入部員を怖がらせるためのでっちあげだろうと、たかをくくっていた。しかし、その後に引き続いて行われた肝だめしは、彼女の想像を超えた悲惨なものとなった。
 やり方は至って簡単なものだった。新入部員の一人ずつが名前を書いた空き缶を持って、指定された場所に置いて来るだけのことだ。しかし、誰ひとりとしてそれを成し得た者はいなかったのである。
 何人もの生徒が狂ったように泣いていたり、茫然自失したりして戻って来た。それを見ているうちに、彼女自身思わず震え上がってしまったという。
 沙弥香も、泣きこそしなかったものの、途中からどこをどう歩いて戻ったのかも分からず、持っていた缶もどこへやってしまったのかさえ忘れていたのだという。
「まったく……。生きた心地がしないっていうのは、まさにああいうのを言うんだわ」
 しみじみと沙弥香は言った。
「ねえ、それってどこなの?」
 美依子が訊く。
「あれ? 言ってなかったっけ。旧校舎の柱時計よ」
「で、その肝心の話ってのは?」
 みゆきが先を促す。
「そうよね。うん――」
作品名:時計 作家名:泉絵師 遙夏