時計
「そんなことない! どうしたの? 歌苗さん。あなた、どうかしてるわ!」
「どうせ私はどうかしてるわよ! 綾音さんから見れば、そうでしょう! ――でも、あなたは卒業しても、私のこと忘れないでいてくれる? 私の存在を認め続ける自信はある? ねえ、私はここにしかいられないのよ。遠くにいる人のことを忘れるより、私のことを忘れてしまう方が はるかに簡単だわ。綾音さん――あなたは卒業しても、私に会いに来てくれるって、約束できるかしら?」
「何も――。なにも、そんな言い方しなくたっていいじゃない!」
綾音は涙声になって言った。「どうして……、そんな哀しいことばっかり言うのよ……。私も、このままでいられたらどんなに嬉しいか。――でもそれが〈時間〉なんでしょう? あなたの言う〈時の流れ〉なんでしょう?」
肩で息をしながら、綾音は両の手に力を込めた。「――時間なんて……。時間なんて、くそくらえだわ!」
「そんな……、私――」
歌苗の瞳が揺らぐ。
「もう何も言わないで! くだらない泣き言を言うくらいなら、もう二度と私の前には現れないで!」
綾音は息を吸い込むと、それをそのまま止めて歌苗を睨みつけた。その綾音の表情は怒りよりも、むしろ深い悲しみに満ちていた。
薄暗い廊下を綾音は駆け出した。
「綾音さん!」
背後から歌苗の声が追ってくる。綾音は構わず走り続けた。瞳からは大粒の涙が溢れ、後に流されて光の粒子となって薄闇の中に溶けていった。霞んだ視界のせいで、どこをどう走っているのかさえ判らなかった。
ただ――こうして走り続けている間だけは、声を上げて泣かないで済む。
今の綾音に判っているのは、ただそれだけだった。