時計
「そ。もちろん白紙。何をやったらいいんだか……」
綾音は宙を仰いだ。
「ねえ」
歌苗が言った。「あなたは、まだ二年生でしょ?」
「そうよ。――どうして?」
分かり切ったこと訊かれて、綾音は素っ気なく答えた。
「普通、そんなことは上級生がするんじゃないの?」
「それを、私が取っちゃったのよ」
「なるほど……」
歌苗は納得したように頷いた。
「ねえ。歌苗さんは、何かしたいことある?」
「私?」
いきなり考え役をふられて、歌苗はしばし黙り込んだ。
「私はね、本当のところ、何でもやりたいのよ。うん――何でも。そうね……」
自分の気持ちを確かめるように、歌苗は「何でも」と繰り返した。
「何でも――ねえ……」
綾音はそれを聞いて、さらに考え込んでしまった。「何でもと言われてもねえ……」
実際、何事にせよ「何でもいい」と言われることほど頭を悩ませることはないだろう。
しばらく、ふたりして頭を抱える。
「何か――、そうね。主題を決めてみたら?」
そう言ったのは、歌苗だった。
「主題? ああ、テーマね」
「そう。まず主題を決めて、それから考えたらいいんじゃないかしら」
「でも、何にするの?」
歌苗の案は、ごく当たり前のものだったが、綾音は今までそれに全く気づかなかった。しかし今度は主題(テーマ)探しで悩み始める綾音だった。
「思いつかないの?」
「うん……」
綾音は頭を掻いた。
「何か、頭に浮かぶ言葉はない?」
「そうね……」
綾音は考えた。しかし、いつもくだらないことばかり考えている頭脳は、考えようとするほどに真っ白になってゆくようだった。
「考えちゃだめよ」
そう言われて、綾音は赤くなった。
「何も考えないの。――それから、一番最初に浮かんだことを言ってみて」
綾音は言われた通りにした。
「……時間」
ややあって、綾音は呟いた。それは、頭に浮かんだことを口にしたというよりも、勝手に口が動いたような感じだった。言ってしまってから、綾音は自分自身で驚いた。
「時間――ね。なかなか素敵だと思うわ」
歌苗の言葉も耳に入らず、綾音は目を見開いてどことも知れぬ空間を見つめている。
「綾音さん」
「え? あ、はい」
名前を呼ばれてようやく我に返った綾音の声は、一オクターブほど高くなっていた。
「あなたが言ったのよ」
「私が? 何か言った?」
「言ったでしょ。先刻」
呆れ顔で歌苗が言う。
「ああ」
「憶えてる?」
「確か――、時間って……」
綾音はつい先刻自分で口にしたはずの言葉を、遠い記憶をたぐり寄せでもするかのような思いで言った。
「いいわ」
綾音がそれを憶えているのを知って、安心したように歌苗は言った。「じゃあ、それで考えられるわね」
「分からないわ……」
綾音は正直に答えた。
「でも、とりあえずはそれでやってみましょう」
歌苗は、『時間』という主題を気に入ったようだった。