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天空の庭はいつも晴れている 第12章 地上の庭

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 ドルメテが終わった翌日に、シャムに話した。信じてもらえないのでは、と心配したが、彼はアニスの話を黙って聞いてくれた。そして、固い表情で「わかった、ありがとな」とだけつぶやいた。
 その後、彼がどう考えたかはわからない。しかし、一週間ほど前の夕方、薬草園で見かけたシャムは花を摘んでいた。花はもう『庭』へ届いただろうか。
「……なんだか期待してしまったんだよね」ルシャデールが言った。
 え? アニスは聞き返す。
「私の母さんも、もしかしてシャムのお母さんみたいに、思ってくれるようになってないかと」
 その後でアニスの両親を見て、さらに奇跡を夢見たのだという。
「ふふ、同じだったけど」
 ルシャデールは自嘲的に笑う。
 アニスは頻伽鳥の歌を聞いた夜に、彼女が「人は死なない」とはっきり言ったことを思い出した。『庭』へ昇ることなく、自らの想いに呪縛されたまま生き続けるというのであれば、死ぬことよりも辛いかもしれない。それを見てきた彼女にとっても。
「いいえ」アニスは言った。「時間はかかるかもしれないけど、必ずお母さんは御寮様のことを思い出します」
『庭』の本質は愛。すべての魂は庭を目指し、最終的には、遥かな始源の地へ還っていく。そう、サラユルが言ってた。
「信じているんだ、おまえは。一点の曇りもなく。単純だね。でも」ルシャデールは小さく息をついた。「そういうところがまぶしい」
 ややあって、ルシャデールは羊皮紙を折りたたんだものをアニスに差し出した。
「これをやるよ。誕生日の嫌がらせだ」
 彼は目を見開いてそれを受け取る。誕生日の嫌がらせ? 確かに今日は僕の誕生日だけど。何だろう?
 羊皮紙を開き、彼は、あっ、と小さく声を上げた。
「これ、あの地図ですね?」
 橋の地図屋で手に入れたユフェリの地図だ。こちらに戻るとともに失われたが、あれをそのまま羊皮紙に書き写したものだった。父の筆跡もそのままだ。
「二回ほど降りてきてもらった」
「えっ?」
「だから、おまえの父さんにこっちへ降りてきてもらって、最初は教えてもらいながら私が描いてたけど、だめだった。で、私の体を明け渡して、描いてもらった。だから、描いたのは私じゃなく、おまえの父さんだ」
 えええー! と遠慮なく不満の声を上げるアニス。
「それなら僕も会いたかったです。どうして呼んでくれなかったんですか?」
「誕生日の嫌がらせだと、言ったろう!」
「えー……」一瞬絶句し、その後でアニスは思い出す。家族を亡くしてから誕生日を祝ってもらったことはなかった。ルシャデールは面白くなさそうな顔でそっぽ向いている。
(きっと、これは祝ってくれてるんだ。『嫌がらせ』は照れ隠しだ)アニスはぽっと微笑む。
「ありがとうございます」
 すると、ルシャデールが手の平を上に向けて差し出す。
「私には?」
 自分にも誕生日の祝いをくれ、ということらしい。
「いつですか?」
「知らない。三月の末頃から四月の初めくらい」
正確な日はわからないのだろう。彼女こそ一度も祝ってもらったことないに違いない。
「じゃあ、三月二十一日。春分の日」
「なんで?」
「ハトゥラプルでは、その頃になると白鳥や雁が北への渡りを始めるんです。雪が縮むように溶け始め、畑には雪融けを促すために灰をまいて。冬に眠っていたものが動き出す。そんな頃です」ルシャデールにはふさわしいように思えた。
「うん、いいね。で、今年の分は何をくれるの?」
 それを言われるとアニスは困る。今のところ、ジュース五杯分くらいのこずかいを月に一度もらっているだけだ。すると、ルシャデールが抜け目ないまなざしを向けて言う。
「欲しいものがある」
「何ですか?」
 嫌な予感がした。
「聞いたと思うけど、侍従見習いとか何とか……」
「……御前様に言われました」
 大変なのは目に見えている。どちらかと言えばやりたくない。そうなると、やはりクランあたりが候補だろう。
 その話は少し前から使用人の間にも広まっていたようで、クランは以前よりはっきりと正真正銘の嫌がらせをしてくるようになった。洗濯に出したアニスの服が燃やされていたり、偶然ぶつかったように突き飛ばされたり。常時顔を合わせるわけではないから、あまり気にはしないようにしているが。
(あんなやつが御寮様にちゃんと仕えてくれるんだろうか?)
はなはだ疑問だ。
「やってよ。四十年分の誕生祝でいいから」
 四十年。十歳のアニスにとっては一生と言われているのと同じだ。まるで御馳走でもてなされた後に剣を突き付けられたような気分だった。答えかねているアニスに、ルシャデールは癇癪《かんしゃく》を起さず説得しようとしていた。
「別にデナンと同じにならなくてもいい。私だってトリスタンと同じにはできないと思う。夜中に病人なんか来たら、思い切り嫌な顔をしそうだ。ある日突然、何もかも放り出したくなるかもしれないし。でも、おまえが侍従でいてくれるなら、何とか持ちこたえるかな、とも思うんだ」
 僕は持ちこたえられるんだろうか?アニスは自問する。やってみないと、たぶんわからない。彼の思いは何年か前のハトゥラプルに飛ぶ。

『ためらう時は止まれ。わからない時は……やってみないとわからないと思った時は進んでしまえ、そして自分を信じるんだ』
 あれは僕が木に登って落ちたときだったか。
『父さんもそんなことあったの?』
『そりゃ、あったさ。一番大きいのは母さんと駆け落ちした時かな。それまで畑の仕事なんてやったことなかった。でも、やってみないとわからないって思った。で、おまえたちとここにいるのさ』

「あまり気は進まないけど」
「やってくれる?」
「うん」
「だめだと思ったら、いつでも辞めていいよ」
 そう言われるとアニスはあまり面白くない。ひ弱で頼りないと思われているようで。
「でも、条件がある」
「条件?」
「うん。『庭』を作ろうよ。あの『天空の庭』をこっちにも作ろう」
 アニスはルシャデールの手を掴み、ドルメンを出た。さらにギントドマツの林を抜ける。ずっと左手に屋敷が、正面から右方に庭と薬草園が広がる。
 いつも以上によく晴れた空の下、緑濃く、夏の盛りはあちこちに生命力のきらめきを見せていた。
「地上にも『庭』はあるよ。でも、もっと素晴らしい庭」
 穏やかで陽気で、暖かで涼やか、優しくて揺るぎない。心を癒す清気に満ちた、あの『庭』を地上に持って来たい。
 ルシャデールは彼が言いたいことがわかったようだった。だが、今度は彼女の方が弱気になる。考え深げに、難しいよ、とつぶやいた。
「大人ってさ、目先の下らないことばからに囚われて、きれいなものとか、大事な物をどんどん捨ててってしまう。せっかく作り上げたものを簡単に壊してしまったり」
「壊したらまた作ればいい」
「四十年じゃ無理かもしれない」
「そしたら、僕たちの後の人がやってくれるよ。もし、やってくれなかったら、僕らがまた生まれ変わってきて、一から始めればいい」
 ルシャデールは笑った。
「壮大な計画だね」
「うん」アニスもくすくす笑う。

 どこかで雲雀《ひばり》が鳴いていた。
「ほら、あそこだ」ルシャデールが指差した。
 アニスも見上げる。