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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Riptide

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 いつもの港で、野球帽を目深にかぶった中原は釣り糸を垂らしていた。一時間前からで、今日は縁起のいい『人生百二十年』の読経はなかったが、魚を狙う海鳥は少なかった。しかし、海中の生き物が何かを感じ取って申し合わせたように、海の中も静かだった。そういうときは、日課のように近づいてくる猫と遊んで、早めに引き上げる。白足袋の黒猫と、茶虎の兄弟、尻尾だけに縞がある白猫の四匹が常連で、大柄な中原の姿を見つけると、周りを囲うように座り、日が上がりきって移動するのに合わせて、中原の日影に入るようにじりじりと移動する。黒猫は食いしん坊で、満腹になると中原の膝の上で寝る。茶虎兄弟は動きが遅く、黒猫が満腹になるまでは負けるのが分かっているからか、自分から積極的に動こうとはしない。白猫は近所の飼い猫で、小腹を埋める程度に魚をかじると、すぐに関心をなくして中原の影にすっぽりと収まり、そのまま眠るのが常だった。
 休日なので会社からの連絡が入ることもなく、中原はほぼ海の方を向いて、釣りに集中していた。しかし、今日という今日は、何も入っていないプールに糸を垂らしているようだった。この釣果だと、猫たちの昼ご飯も、自分用にタッパーに詰めてきた薄味の煮物か、それこそ釣り餌の小魚になりそうだ。
 港に着いたとき、駐車場にはすでに一台車が停まっていた。先客がいるのかと思ったが、人の姿はなかった。中原は、社名の入ったカローラバン越しに、『先客』の車を眺めた。オレンジ色のワゴンRで、そのホイールの隣に、白足袋の黒猫が座っていることに気づいた中原は、諦めたように笑った。
 今日は、猫ですら年寄りの相手をしない日らしい。
      
 廃墟の前を通り過ぎるときに、野生のタヌキを跳ねそうになった白戸は、その冷や汗が止まらないまま、ようやく海岸線を通る道路に帰ってきたところだった。パンクしたセドリックバンが路肩に停められていて、それが村井の車だということを知っている白戸は、そのままやり過ごしながら、ルール通りに切符を切っていれば、あの車だけで一束使い切りそうだと、ふと思った。信号待ちをしていると、浜辺から村井と思しき声が聞こえてきたが、わざわざ階段を下りていって声をかける気にもならず、白戸は青信号になるのと同時に、原付を発進させた。サーフボードを積み込んでいる車や、逆に下ろしている車がちらほらと目立ち、白戸はこのタイミングで交番に戻って昼ご飯を食べるか、もう少し先の方まで見て回るかを運転しながら考え、結局後者を選んだ。
 田井家を横目に見ながら通り過ぎたとき、待避所にあのハイラックスが停まったままになっていることに、気づいた。
     
 給水タンクの裏でしばらく待っていたが、明弘は来なかった。本当ならそのまま待っているべきだったのに、この場所をずっと昔から知っていたように、予想外の方向から翔平の顔が現れた。正人は跳ねるように駆けだした。学校から飛び出して、後ろを振り返ったときはいなかったのに、撒こうとして遠回りの山道に入ったときに、後ろから追いかけてくる足音が聞こえてきた。
 どうして自分が標的なのか。正人は走りながら考えた。今更考えても仕方がないことだが、他のことを考えるよりも、今は足をもつれさせないために、敢えて自分が置かれた状況に集中した方がいい気がした。翔平は足が速い。しかし、今日はランドセルの中身は軽いから、小柄な正人もスピードを出すことができて、差を詰められることもなく、互角だった。最も恐ろしいのは、今日逃げ切れるかということではなく、明弘が用意した『聖域』であったはずの給水タンクの裏でも、翔平は追いかけてきたということだった。カーブを曲がった正人は、後ろを振り返った。翔平の姿が一瞬消え、正人は苔だらけになった神社の石段を転びそうになりながら二段飛ばしで上がると、石を器用に踏みながら坂を駆け上がり、イノシシ避けの柵を乗り越えた。第四の道。何カ所か道の途切れている場所があるが、木の根を掴めば簡単に乗り越えることができる。自分以外の足音が消えたことに気づいた正人は、歩調を緩めた。ニ十分ほど林の中を歩けば、反対側に出られる。
 全体の半分ぐらいまで歩いたとき、木の幹から、靴のようなものが飛び出しているのを見た正人は、足を止めた。その足は一度引っ込むと、退屈したように小石を転がしながらまた出てきて、もう一度引くと、その小石を勢いよく蹴った。正人が恐る恐る前に回り込むと、悪いことをしていて見つかった小学生のように、女の人が首をすくめた。少し疲れた顔をしていたが、それでも笑顔を作ると、顔を傾けて目にかかった前髪をどけた。
「びっくりした。この辺の子?」
 正人は同じことを聞き返したかったが、女の人は大人だった。
「……、ハイキングですか?」
 訊くと、女の人はそれが一番近い答えか、しばらく考えていたようだったが、うなずいた。
「うん。休憩中なんだ。ねえ、ぼく」
「隅谷正人です」
「正人くんね。ここってさ、どんな感じになってるか分かる? 出口とか」
 ハイキングに来たのに、出口が分からないのだろうか。女の人の言っていることが矛盾しているように感じて、正人は首を傾げた。
「……、迷ってます?」
 正人が言うと、それも女の人は答えを熟考してから、首を縦に振った。正人は言った。
「まっすぐ戻れば、海の方に出ます」
「どっちかっていうと、抜けたいんだ。あっち側に」
 女の人は斜面に目を向けた。正人は、女の人が細い指で差した先を見て、目を丸くした。
「田んぼ側に抜けるんですか? 遠いですよ」
「そうなんだ。ぺらぺらのスニーカーでも、抜けられるかな?」
「石が多いんで、痛いと思います」
 正人が言うと、女の人は疲れた表情に戻って、また手近な小石を蹴った。その石の軌道を見た正人は、首を横に振った。
「あ、あの、あまり石を落とさない方がいいです」
「えー、なんで?」
 女の人は、つまらなさそうに眉を曲げた。漫画のページをめくるようにコロコロと変わるその様子は、見ていて可笑しかった。でも、さっきから女の人が蹴る石は、相当なスピードが乗った状態で、田井家の屋根にぶつかっている。
「あの、タイキックって知りませんか?」
 正人が言うと、女の人は首を傾げた。
「技?」
「来るんですよ。めちゃくちゃ怒りっぽいんです」
 正人はそう言って、自分が犯人扱いされないようその場を立ち去ろうと思い、一度後ろを振り返った。数十メートル後ろに、陽炎のように翔平が立っているのを見て、慌てて女の人の隣に隠れるように座った。女の人は正人が後ろにひっくり返らないよう、咄嗟に手で押さえた。
「どうしたの? タイキックって、技だよね。人なの?」
 女の人は首を前に傾けて、翔平の方を見た。
「あれがタイキック? じゃないか。友達?」
「違います。誰かいると来ないから……」
「へえ。どうしよ?」
「追い払……、いや、なんもしなくていいと思います」
 女の人はしばらく首を伸ばしていたが、あっと小さく声を上げた。
「引き返してったよ」
作品名:Riptide 作家名:オオサカタロウ