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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Riptide

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 先月、正人のランドセルの留め金が潰れていることに気づいた明弘は、誰がやったのかということを聞き出すことはできなかったが、学校の行き帰りを一緒に歩くことで、いつかその姿を見かけたら、正人の代理として、普段はボールを遠くまで飛ばすことに使っている脚力を、そのまま翔平の脇腹に発揮するつもりでいた。正人は、明弘がそうして隣を歩いている限り、翔平がやってくることはないが、明弘はいずれ飽きてやめてしまうだろうと、諦めていた。二人とも、研吾と結子に相談する気には、なれなかった。二人は、明弘と正人の親にしてはかなり若い部類で、二人とも三十歳になったばかりだった。最近明弘は、両親も同級生も、さほど違わないように感じ始めていた。隣に机を並べて研吾が勉強していても、さほど違和感がない気がしたし、手紙を回している女子の中に結子が混ざっていても、独創的な内容を書き足して回すのではないかと思っていた。去年、家の横の空き地を、研吾がなし崩し的に『友達』に貸したとき、明弘は初めてそんなことを思った。明弘がリフティングの練習に使い、結子が野菜でも育てたいと言っていた空き地は、オフロードタイヤの踏み鳴らした跡で、工事現場のようになっている。
 歩いていても、明弘と正人は、特に話さない。ただ、歩調が合っていないと感じると、明弘が少し歩くペースを落とす。正人は、人の言うことを断れない割に、『人の用事を預かっていないとき』はマイペースで、縁石の上を虫が歩いていると、それが何か確認できるまで、屈みこんでじっと見つめたりする。いつの間にか視界から消えていて焦ったことが、明弘には何度もあった。
 二人は結局、ヘルメットの中でじりじりと頭が焼ける、海岸線の道を選んだ。明弘は、空気が通るように少しだけ浮かせているが、正人は、昆虫の殻のように隙間なく頭に押し付けている。明弘は、正人の方を向いて言った。
「最後、プールだから。ちょっと長めに待ってて」
 正人は、ヘルメットで重そうな頭を、一度振ってうなずいた。学年が二年違うと、時間割は合わない方が多い。そんなときは、正人が給水タンクの裏で時間を潰して、明弘を待つことになっていた。今日は両方が三時間目で終わりで、帰る時間はほぼ一致する日だったが、最後がプールとなると、着替えで手間取るのは避けられなかった。明弘は、一分でも早く帰りたい気持ちが足先に伝わって、浮ついた歩き方になるのを抑えながら、正人は昼からずっと家でゲームをするつもりなのかと思い、その横顔をちらりと見た。土曜日だから、研吾と結子は両方仕事に出ていて、夜になるまで家には誰もいない。もちろん、昼ご飯は用意されている。明弘は、それを平らげたら、そのまま家から飛び出して、何人かと海で泳ぐ予定だった。正人はおそらく、居間の大きなテレビで、じっくりゲームをする。同じ兄弟でも、ここまで好きなことが違うと、宇宙人の相手をしているようだった。
『誰だよ。名前を教えてよ』
 最初に気づいたとき、明弘は、潰れたランドセルの金具を見ながら言った。しかし、その言い方が逆効果だったらしく、正人は一言も話さなくなってしまった。明弘としては、同じような問題がクラスで起きたときに、同じような聞き方で解決した経験があったから、それを弟にも適用しようとしただけだったが、全く通じることはなかった。それが巻田翔平だということが分かったのは、同じようなことをされた四年生を弟に持つ同級生から話を聞いたからだったが、正人の意志を聞き出せない以上、明弘はまだ手を出さずにいた。
 蔦が這いまわる大きな家の手前で立ち止まった二人は、顔を見合わせると、道路を小走りに横断して、反対側の歩道に移った。海岸線の道は、ほとんどの大人にとっては『信号の少ない無難な道』だが、小学生なら皆知っている、忌み場所が一つだけあった。それが、その蔦だらけの一軒家で、商店や駐車場ですら、少しだけその場所を避けるように建っている。向かいのガソリンスタンドは、廃墟になってからは荒廃しきっているが、まだそっちの側を通る方が、二人にとっては安全だった。家の持ち主は、田井久雄という名前で、年齢は七十代半ばだが、その背筋は、校長先生よりもまっすぐに伸びている。前を通るときに大きな声で少しでも話すと、怒られることで有名だった。そのリアクションの素早さは小学生の理解の範囲を超えていて、時々、予知したようにがらりと引き戸が開くときもあった。田井には、さらに追い打ちをかけるような伝説があり、それは数年前、山歩きをしているときに、野生のイノシシを蹴りで倒したという『事件』だった。それから、急激に『タイキック』という通り名が広まった。明弘の親友である河田は、『タイキックは若いころ、うるさい小学生を蹴りで殺して回っていた』という、誰も信じないようなホラ話をあちこちで吹き込んでいる。明弘は、河田と話すのをいつも楽しんでいた。言うこともやることも荒唐無稽で、体育のときもルールをことごとく無視しては先生に怒られているが、父親は警察の人だ。明弘は、研吾が警察署に何かの手続きをするときに後をついていき、制服を着ている河田の父親を見たことがあった。四十歳にしては白髪が多くて、その表情は険しく、どこか体の具合が悪いのではないかと思ったが、河田曰く、そういう顔のときが一番元気で、面倒くさいとのことだった。
 明弘は、元の道に戻るタイミングを伺いながらしばらく歩き、曲がったポールの近くが光っていることに気づいた。正人が駆け寄って屈みこもうとするのを、明弘は手で止めた。
「危ない。ガラスだよこれ」
 正人は素直に言うことを聞き、身を引いた。明弘は、地面に散らばっているガラス片が、鏡のように景色を跳ね返していることに気づいた。すぐ傍にある、こじんまりと伸びた雑草の塊。その草を踏み潰すように落ちている大きなオレンジ色の塊を見たとき、それが車のドアミラーだということが分かり、明弘は、その破片を蹴飛ばした。
     
     
・午前七時二十五分
     
 突然急ブレーキを踏んだ紺色のハイラックスサーフは、車体を傾けながら待避所に突っ込んで停まり、後続車が思わずクラクションを鳴らした。それをやり過ごした後、ブレーキ痕が残っていないことをバックミラーで確認した酒井は、口角を上げて笑った。三咲はわざとらしく首を押さえながら、ダッシュボードにぶつかって足元に落ちたリュックサックを拾い上げ、胸の前に抱いた。同じように飛んで行ったスマートフォンのストップウォッチは二十五秒で止まっていて、三咲はそれも拾うと、誇らしげに数字を眺めた。
「今の運転は、わたしが警官なら捕まえると思う」
「たいていの法律には、やむを得ない事情のときはオッケーって、但し書きがあるだろ」
 酒井が言うと、三咲はささやくような声で笑った。
「そうだね。どうしたの? 諦めたの?」
「いいや、おれは目がいいんだ」
 酒井はそう言いながら、振り返った。彫りの深い眼窩の中で、大きな目が光を帯びた。三咲はそれを見るたびに、梟のぎょろりとした眼を頭に思い浮かべていた。
「でもさぁ。この車、上り坂は全然だめだね」
「ディーゼルだし、重い車だからね。仕方ないよ」
作品名:Riptide 作家名:オオサカタロウ