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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Riptide

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 今は止まれない。上谷は歯を食いしばった。ずっと点いている、ガソリン残量の警告灯。走り始めてすぐに、そのランプが一瞬光って消えたとき、上谷は初めて、ガソリンの残りが少ないことに気づいた。宇多はケチケチしていて、タンクに半分以上入れることすら、ほとんどなかった。大抵は千円分を入れて、少し走って、また千円分を入れる。宇多式給油法では、走り出した時点で高々数リットルしか入っていなかったはずで、今まさに、ガソリンが尽きようとしていた。ガソリンスタンドが運よく開いていたとして、滑り込めるだろうか。あの二人は、給油をじっと待つのだろうか。いよいよ痺れを切らせて、あの鈍く光る手斧で、今度こそとどめを刺しにくるのだろうか。そう思っていたとき、広めのわき道が海の方に下って折れているのを視界の隅に捉え、上谷は急ハンドルを切った。車体ががくんと傾き、高石の頭が揺れた。歩道とわき道を隔てるポールにミラーがぶつかって粉々に砕け、その音に高石が短く悲鳴を上げた。普通のスピードで走ればなだらかな坂だったが、車体が浮き上がった。着地したときに、バンパーの割れる甲高い音が鳴った。
「どうしたの!?」
 突然の進路変更に高石が言ったが、上谷は無言でハンドルを切ると、小さな港の駐車場に引かれたボロボロの枠線に吸い込ませるように、ワゴンRを停めた。同時に、咳をするように何度か息継ぎすると、エンジンが止まった。
「うそ」
 高石が目を丸くした。上谷は、急に噴き出た冷や汗を拭いながら、言った。
「ガソリンがなくなった。ここまでよく持ったよ」
「どうするの?」
「見えてないし、あいつらは、追い越すはずだ」
 上谷は、高石が右手に握りしめているスマートフォンを指差した。
「地図を見て」
 高石は、冷凍されたように固まっている指をかろうじてほどき、地図を開いた。電波が途切れ途切れで、しばらくぎこちない動きを繰り返した後、航空地図が姿を現した。左半分は海岸線、右半分は山。山を越えると、開けた土地がある。上谷はドアを開けると、高石にも降りるよう目で促した。
 二人は、さっきまで走っていた道路の巨大なコンクリート基礎を貫通する、歩行者用トンネルを抜けた。なだらかな雑木林が広がっていて、中腹に、ぐるりとバリケードのような柵が建てられているのが見えた。それを越えれば、望みの方向に進むことができる。
「この林を抜けたら、平地に出る」
 上谷は言った。高石は、その林の深さに唇を噛んだ。腕の傷は、そこまで深くはない。そこだけ湯に浸けられているように熱く、心臓の音に合わせて痛みが走るのはずっと変わらない。しかし、赤黒く変色した布切れは何時間もそのままで、血は止まっているようだった。高石は、助手席で女が揺すっていたリュックサックを思い出して、上谷に言った。
「水とかないよ。リュックの中だわ」
 見渡す限り、自動販売機といったものもなく、林を抜けた先に何かがあると信じる以外、希望と呼べるものはなかった。上谷と高石は一度顔を見合わせると、底の薄いスニーカーで、小石だらけの林に足を踏み入れた。
     
     
・午前七時二十分
     
 学校へ続く道は、全部で三本。海岸線をまっすぐ歩く道と、山道を迂回する少し遠回りの道、そして、バイパスのトンネルを通らないといけない三本目の道で、危ないからという理由で、学校からは通行を禁止されていた。実際には第四の道もあるが、それは学校すら把握していないルートで、一部の小学生を除いては、公式には存在しないことになっている。隅谷家は、貸しボート屋の店主である、大黒柱の隅谷研吾と、親が経営する地元のコンビニでレジを手伝っている、妻の結子、そして小学生の二人の息子で構成されている。研吾と結子は、『一番近いトンネルの道を通ったらいい』と、事あるごとに息子たちに言っていた。六年生になる明弘は、すぐ言うことを聞こうとする正人を、そう言われた初日に止めた。
『いや、危ないもんは、危ないからな』
 正人は四年生で、明弘とは、極端に正反対の性格だった。真面目だが、人に言われたことを簡単に聞いてしまう、流されやすい性格。それが親であろうが、先生であろうが、こうしたら、と言われたことは、ほぼ百パーセントの確率で、聞いてしまう。明弘はランドセルを肩にかけると、まだ朝ご飯を食べている研吾に言った。
「行ってくる」
「いってらっしゃい」
 つまようじの隙間から漏らすように声を出した研吾は、結子のグラスに麦茶を注いだ。結子も白い歯を見せて笑うと、明弘と正人の顔を交互に見ながら、言った。
「いってらっしゃいね」
 明弘は、家から外に一歩踏み出した瞬間、切り替わる。正人はそのままだが、自分はそうではいられない。外と家を隔てる一枚のドア。それがどれだけ貴重で有難い存在か。ここ一年の間に、明弘は強く実感していた。理由は一つ。正人のクラスにいる、転校生の巻田翔平。父親は都会の人間で、十分に金を稼いだ後、突然田舎に引っ越すということを思いついた、『人生をセミリタイアした、ふらふら生きているタイプ』というのが、研吾の評価だった。しかし、自治会にも入っているし、一応仕事もしている。いわゆる『よそ者』だが、巻田夫妻は近所と折り合いもいい。
 正人からすれば話は別で、巻田家の一人息子である翔平は、完全に異物だった。学校の中では普通に接している。最初の頃、正人が体育の授業でペアになったとき、翔平は普通にニコニコしながら話しかけてきた。通学中にランドセルを引っ張られて、危うく砂浜に落とされそうになった昨日の出来事は、夢だったのではないかと、正人はそのとき思った。しかし、その日の帰り道、少し晴れやかな気持ちで学校から帰っている途中、正人は後ろから車道側に突き飛ばされた。車は一台も通っていなかったが、普段体をつけることのない車道に転んで、正人は心臓の動悸が跳ねるように激しくなるのを感じた。
 翔平が、明弘と正人が兄弟だと知った日から、しばらくの間、暴力は止まった。明弘は六年の中でも大柄な方で、小柄な正人と並べば、ほとんど別の生き物のように見える。翔平が力で勝てるという見込みは、全くなかった。明弘と正人があまりに対照的な性格で、正人が自分の身に降りかかったことを、兄も含めて、誰にも言おうとしないということに気づいた日から、また暴力が再開された。
作品名:Riptide 作家名:オオサカタロウ