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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Riptide

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 仕事をするように、蟻が巣に出入りしている。その規則正しい様子を見つめながら、それでも時々、翔平は柵の方に視線を向けた。触れたら危ないと思い、少し離れた日陰に座れる場所を見つけて、そこで誰かが来るのを待っていた。水筒に入ったお茶はもう残っていなかったが、日の当たらない岩の上は涼しく、汗は止まっていた。スマートフォンの時計を見ると、十四時になったところだった。いつもなら、どれだけ遅くても、十三時までに圭織にメールをする。『遅れる』と送っていたが、何度送っても不達になった。もし、ずっと出られなかったら。まだ夜になるまで時間はあったが、日が暮れて真っ暗になった林の中に取り残されるのは、想像するだけで恐ろしかった。
 正人は、あのまま知り合いの女の人と、一直線に林を抜けられたのだろうか。一瞬、木の影から顔を出した女の人と、目が合った。遠目だったが、印象に残った。その垢抜けた雰囲気は、明らかに地元の人ではなく、雑誌の表紙に載っている人のように整った顔をしていた。ただ整っているだけではなく、その表情は、演技をしている途中みたいだった。そこまで考えたとき、足音が近づいてきて、横で止まった。
「ごめん、この辺の人かな? 道分かる?」
 酒井は、額の汗を拭うと、笑った。巻田は立ち上がって、一歩後ずさった。今、頭に浮かべていた女の人と、表情がよく似ている。答えていいかどうか迷っていると、酒井は言った。
「迷っちゃってさ。柵に電気が入ってて、抜けられないんだ」
「僕もです。あの辺で、タヌキが死ぬのを見ました」
 巻田は、柵を指差した。酒井は悲しそうに眉を曲げると、三脚ケースを木の根に下ろした。右手の拳を大きく開くと、五本の指が準備体操をするように強張った。
「七夕に、悲しいな」
「あの、七夕は明日です」
 巻田が言うと、酒井はケースの中へ手を差し込み、ハンマーを掴んだ。
「そうだっけ」
 血と髪の毛でまだらになったハンマーを抜いたとき、酒井は真後ろに気配を感じて振り返った。散弾銃の銃口と目が合った。
「若いの、わしの林で何をしとる」
 田井は、高石の死体を見つけた直後、通報することを考えた。しかし、林の中に殺人犯がいて、自分にはそれに対峙するだけの土地勘と、銃がある。そう確信した以上、立ち止まったり、引き返す理由は一切なかった。酒井は、体ごと振り返った。
「タイキックさん、おれは酒井と言います」
 田井は、その目をまっすぐ見ながら思った。タイキックという呼び名が自分を指しているのは、よく知っている。この男は今、この子供から聞き出したのだろうか。自分と同じように背が高く、三十代ぐらい。物分かりの良さと、抑えようのない無鉄砲さが、目の中で忙しく動き回っている。
「あんた、そのトンカチで殺したのか?」
「何を?」
「あの女の子だ。ただ林に入ってるだけで、銃を向けると思うか」
 田井が苦々しい表情で言うと、酒井は仲間を見つけたように、笑顔を見せた。その表情の変化は、あまりにも急激で、田井は一瞬、同じ人間であるはずの酒井に対して、常識では理解できない怪物を目にしたような違和感を覚えた。
「あー、見たのか」
 酒井はそう言うと、ハンマーのグリップを握る手に力を込めた。田井は、散弾銃の引き金に指をかけた。
「坊主! 逃げろ!」
 翔平が跳ねるように走り去った。その後ろ姿を見届けると、田井は酒井の目を見て、言った。
「若いの、弾は入ってるぞ」
 酒井は拍子抜けしたように笑った。
「そりゃそうだろ」
 言い終わると同時に、銃口に頭が付くぐらいに間合いを詰めた酒井は、ハンマーを振りかぶった。人間として当然持っているべき恐怖心が、すっぽりと抜け落ちたような動きに、田井は一瞬たじろいだ。咄嗟の判断で身を落としたすぐ上で、ハンマーが宙を切った。大振りでなければ、避ける時間はなかった。この男に、脅しは通用しない。直感でそう理解した田井は銃口を向けようとしたが、酒井は銃身より手前まで間合いを詰めており、小回りが利かなかった。振り子のように帰ってきたハンマーが田井の右肩をかすめ、直撃ではなくても、振動と激痛が全身に走った。田井は顔をしかめながら、散弾銃から手を放し、酒井の空いた脇腹に蹴りを入れた。銃以外の攻撃手段を持っていることが意外だったのか、酒井は真横にふらついたが、田井の作業服を掴んだまま、体重をかけて一緒に引き倒した。ハンマーの頭で首を押さえ込み、マウントを取ると体重をかけた。
「タイキックだったな。忘れてたよ」
 酒井はそう言うと、ハンマーを田井の左目に当てた。冷え切った鉄の感触が、思わず閉じられた左目の上をなぞった。
「玲奈ちゃんと同じでいいか?」
 それが殺された女の子の名前だと気づいたとき、田井は右目を大きく見開き、拳を固めた。溶接された鉄の棒のように、親指に力が籠った。
「人生……」
 呟きに近い小さな声を、酒井は聞き逃さなかった。その続きを待つように田井の首を押さえると、ハンマーを振りかぶった。その手が頂点で止まり、酒井の顔ががら空きになったとき、五年前にイノシシに対してやったように、田井は酒井の左目に親指を突き刺した。それまで腹の上を押さえていた岩のような重りが抜け、田井は膝蹴りを入れた。倒れこむように体を離した酒井は、三半規管が狂ったようによろめきながら立ち上がると、残った右目で田井の姿を捉えた。田井は、拾い上げた散弾銃の銃口を向け、自分自身に念を押した。この男に、脅しは通用しない。引き金を引くと、酒井の着ているTシャツが弾け、体がぐらりと揺らいだ。ハンマーが地面に落ちて鈍い音を鳴らし、酒井はその場に座り込むと、胸に開いた銃創から規則的に溢れ出す血を眺めて、言った。
「続きは……」
 田井は散弾銃の銃口を向けたまま、声がよく聞こえるように少しだけ近寄った。酒井は、死にかけている人間に聞き返すのは失礼だとでも言うように、眉をひそめた。
「続きだよ……、人生がなんだって?」
 田井は言った。
「百二十年じゃ」
 酒井は、その途方もない数字に呆れたように笑うと、銃創から気道に入り込んだ血を口から吐き出しながら言った。
「長いな」
 まだ何かを言おうとしていたが、それよりも先に、酒井は死んだ。田井は、突然蘇ってきた体中の感覚に押しつぶされそうになり、思わず腰を下ろした。翔平が木陰から顔を出したことに気づいて、途方に暮れている時間などないことに気づいた田井は、言った。
「戻るぞ」
 その目を塞ぐと、翔平は困惑したように手をばたばたと振ったが、田井は酒井の死体をやり過ごしながら、言った。
「見るんじゃないぞ」
 翔平に背を向けさせると、散弾銃を拾い上げて、弾を抜いた。撃った一発の空薬莢が飛び出してきて、田井はそれを作業服の胸ポケットに入れた。残った一発も抜き出すと、ポーチへと戻した。薬室を開いたまま肩に担ぎ、出口に向かって翔平と歩きながら、名前を尋ねた。
「巻田さんとこの子かね。立派な家に住んどるよなあ」
「助けてくれて、ありがとうございます」
「柵に電気を入れたのは、わしじゃ。すまんかった」
 田井が言うと、翔平はもう見えなくなった『格闘の現場』を振り返った。
「いつもは、電気を入れないんですか」
作品名:Riptide 作家名:オオサカタロウ