小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

天空の庭はいつも晴れている 第1章 辻占い

INDEX|2ページ/4ページ|

次のページ前のページ
 

 彼女は街への道を歩きながら、昨日の客のことを思い出した。
「あの客なら今日も来るぞ」
 カズックが周りに人がいないのを見計らって言った。
「うん」
 ルシャデールもそんな気がしていた。別に根拠があるわけではないが、彼女のそうした予感は滅多にはずれない。
 物心ついた時、ルシャデールには幽霊や精霊などが日常的に見えていた。それだけではない。過去や未来の情景が目の前に浮かんだり、御宣託のように突然言葉が降りて来ることもある。
 普通の子供なら、血だらけの幽霊など怖がって泣いてしまうが、彼女は平気だった。経験上、強く拒絶すれば彼らは手出しできないとわかっていた。
 空から寄せられる高貴な慈愛、地の底から湧く怨念、生きる者から発する悲しみ、喜び、怒り…さまざまな感情が風に乗って彼女のそばを通り過ぎていく。
 だが、周囲は彼女の能力に不審な顔をすることが多かった。とりわけ亡くなった母はその話を嫌っていた。

 ルシャデールは仕事を始める前に腹ごしらえをすることにした。肉とレタスをはさんだパンとチーズを買い、寺院の前の階段に座って食べる。肉は半分カズックにやった。彼はまだ足りなそうな顔をしているが、気づかないふりをする。
 大気は少し湿り気を含んでいた。西の方に少し雲が見えたが、すぐ降りそうな様子はない。
 朝食を終えた彼女は寺院前の広場の噴水で顔を洗う。古い木綿の首巻で顔を拭いていると、後ろに気配を感じて、振り返ると昨日の二人が立っていた。
「君に話したいことがあるのだが、少しいいかな?」
 ルシャデールはうなずいた。
 どことなく戸惑った表情で、彼は近くの茶店にルシャデールを誘った。
 パシクンというヨーグルト風味の飲み物と上げ菓子を食べる彼女に、男はトリスタン・アビューと名乗った。フェルガナ王国から来たという。南にあるナヴィータ王国をはさんでさらに南の国だ。
「私の家は代々神和師《かんなぎし》を務める家柄でね、神和師というのは知ってるかい?」
 ルシャデールは首を横に振った。
「フェルガナの王様お抱えの呪術師、とでも言えばいいかな」
 フェルガナ王国の王が専属の呪術師を置くようになったのは千年ほど前のアルシャラード王の御世だった。カームニルの北に興ったグルドール帝国が周辺国を支配下に呑み込んでいった頃だ。
 軍備を増強する一方で、王はそれまで怪しげな者として蔑まれてきた呪術師のうち、力のある者十五人を身近に登用した。神和師十五家(今では九家に減っているが)の始まりだった。
 彼らは遠方の出来事を居ながらにして視ることができ、帝国の侵攻などを事前に察知したという。
 そのうち幾人かは帝国に派遣され、反乱軍を支援することとなった。彼らの尽力もあって、やがて、二百年続いた帝国は崩壊していった。反乱軍の参謀格だった魔術師サラディン・アズフィルとその弟子シヴァリエルスの物語は今でも楽師たちが歌っている。
 その後、お抱え呪術師は神和師と名を改め、功績を評され国内の寺院を統括する役割を担うようになり、各地の修道院が所有していた荘園を与えられた。今では大貴族並の家格を誇っている。
 ただ、一般の貴族と違い、神和師はユフェレンでなければならない。そのため、ふさわしい能力を持った子供を養子に迎え、跡を継がせるのが慣例となっていた。また、神和師は聖職者に準ずる者として、結婚を許されていない。そのため、実子による相続はありえないことだった。

「それで、もし君さえ承知してくれるなら、君に私の跡継ぎとして養子に来てもらいたいと思っているんだ……」
(跡継ぎ?)
 唐突な話だった。彼女は顔を上げずに、不信に満ちた視線を彼に向けた。
「なんで?」
「そう聞かれても説明しづらいんだが」困ったように彼はその端正な顔を歪めた。
 継嗣の選択と決定は『始源にして一なるもの』に委ねられていた。啓示は何らかの形で神和師に与えられる。夢見や遠視の術で、あるいは通りすがりの他人の一言だったり、どこそこへ行かなければという理由のない切迫感だったり。気をつけていなければわからないようなものだ。
 トリスタンの場合はカームニルから来ていた商人と会ったことだった。
 旅先で胃痛に苦しんでいた商人は宿の主人の案内で、アビュー家の施療所を訪れた。トリスタンの手当で痛みはさっぱりと解消したのだ。
 饒舌な親爺だった。治療が終わった後も、だらだらと彼のおしゃべりは続いた。その時に彼の口から、近所にいる小さなまじない師のことが出たのだ。
「年の頃は七つか八つってとこでしょうかねえ。今回の旅の吉凶を占ってもらったんですよ。なにせ、船で来ますからね、あたしは地に足をつけてないと、ひどく意気地がなくなるもんでして。そしたら、そのガキは『海はあんたを呑み込まないよ。でも、食い過ぎはやめときな』とね。『食い過ぎ注意』ぐらいの御宣託ならうちのかみさんにだってできますさね」
 彼の話から察するに、生意気な子のようだった。患者のおしゃべりが少しうっとうしくなっていたトリスタンは話の内容はあまり聞いていなかったのだが、
「会ってみたい子だね」と、適当にあいづちを打った。
 と、そばに控えていた侍従のイェニソール・デナンがはじかれたようにトリスタンを見た。
 侍従はそれを啓示だと疑わなかった。主人が困惑するほど速やかに旅の支度をし、すでに決まっていた予定の調整にあたった。そうしてフェルガナのバザルカナル港を出たのが十日前だった。
 そういえば、ひと月くらい前にそんな親爺が来たかもしれない。ルシャデールは記憶をたぐった。
 見てやった後ぐちゃぐちゃ文句を垂れて、わずかな見料も値切ろうとしたケチなおやじだ。そのおやじを介して自分のことが異国にまで伝わり、神和師とやらを連れてくる……。あまりに突拍子ないことで、かつがれているような気がした。
「漂う霧をつかむような、心もとない話と思うかもしれないがね」
 そう言って、たいして暑くはないのに、ハンカチで額の汗をふく。たぶん、彼が一番困惑しているのだろう。
 ルシャデールは答えなかった。この世に起こることに偶然はない。すべては始源にして一なる者がもたらす必然。カズックはよくそう言っている。
「急にこんな話を聞かされても、すぐには答えられないだろう。家族とか身内の人はいるのかな?」
「そんなものいたら、辻占いなんてやってないよ」
 鼻でせせら笑う少女にトリスタンは苦笑した。 
「しかし、考える時間は必要だろう。三日後に返事を聞かせて欲しい。私はカルソー通りの黒猫亭に泊まっている」 
 トリスタン・アビューはそう言って立ち去った。
 ルシャデールは椅子に座ったまま、しばしその姿を見送った。今日はもう商売を続ける気にはならなかった。立ち上がると、街の西へ歩き出した。
 
 丘の上の修道院の廃墟はルシャデールのお気に入りの場所だった。眼下に広がるカズクシャンの街。レンガ色の赤い屋根が連なり、広がっている。ところどころに寺院のドーム屋根と尖塔が突き出ていた。西へ向かうカラプト川の川筋が銀色に光っている。天気がよければ金開湾まで見えるはずだ。
 ルシャデールは廃墟の石積みに腰をかけて、その風景を眺めていた。