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天空の庭はいつも晴れている 第1章 辻占い

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第1章 辻占い



 空はすっきりと青かった。
 ルシャデールはその青さを味わうように空気を吸い込むと、思い切りよく吐き出す。
礼拝堂の尖塔が、その空を突き刺すようにそびえていた。
 広場には一日の活動を始めた人々が忙しそうに往来する。
 野菜を運ぶ荷馬車、炭を摘んだロバ、ジュースを売る屋台。リンゴ売りのおばあさんは、今日も礼拝堂前の石段に座っていた。
 彼女はいつものように、噴水のそばで店開きの準備を始めた。あたりを見回し、商売を妨害してくる奴がいないか確かめる。
 広場は公共の場だから場所代など取られることはないが、時に嫌がらせを仕掛けられることはあった。何の憂さ晴らしか、通りすがりに「邪魔なんだよ」とつばを吐いて足を蹴っていく大人や、わずかな金を巻き上げようとする連中だ。とりあえず今のところ見当たらない。
「つじうらない 五タラ」と白墨で書いた小さな木の板切れを立て、噴水の縁石に半ば擦り切れた敷物を敷いて座った。
 枯草色の髪は無造作に麻ひもで縛り、やせっぽちの体にまとうチュニックは、汚れて元の色がわからない。裾からはつきだした足は真っ黒。一見、浮浪児の少年といった風だ。

「辻占か…当たるのかい?」
 気がつくと二人の男がルシャデールの前で足を止めていた。話しかけてきた男は三十過ぎくらいだろうか。
 ビロードのカフタンに長いコートを羽織る異国風のいでたちだ。もう一人は従者だろう。腰に帯びた剣に手をあて、抜け目なく周囲に目を配っている。
 子供だと馬鹿にされてか、冷やかしの客は多い。だが、目の前の男にからかいの色はなかった。いい意味での好奇心が優しそうな目の奥に明滅する。
 品のいい顔立ちだな、と彼女は思った。いばりくさった貴族連中とは違う。街中の修道僧によく見る人種だ。まるっきり清廉というわけでもなく、世事にも多少は通じているような。
 彼はルシャデールの前にしゃがみ込んだ。
「私がどこから来たか当ててごらん」
 ルシャデールは貫くような視線を彼に向けた。
 その瞬間、あたりの風景は陽炎のようにおぼろげなものとなる。目の前にいる男は、自らが放つ緑色の光に包まれていた。それは並の者よりずっと強い光だ。
(ユフェレンだ)
 ユフェレンとは、『ユフェリに属する者』を意味する。
 死者の魂、精霊、神霊……。それらが住む見えない世界はユフェリと呼ばれていた。『冥界』や『黄泉』といった言い方もあるが、それはユフェリを正確に表したものではない。
 死者が赴くところであり、始源の地ユークレイシスへの入口でもある浄福の地。普通の人間には見ることのできない世界だ。
 ルシャデールはユフェリにあるものを見たり、感じることができる。そういった者はユフェレンと呼ばれていた。呪術師や占い師、巫女、ユフェリの浄められた気を操って病を治す癒し手などである。
 自分と同類の者とあって、ルシャデールは少し警戒する。緑の光なら、たぶん癒し手だろう。
 再び、意識を現実の世界に少し戻す。彼を包む光は、その歩いてきた道に軸跡を残していた。彼女はその方角を黙って指さした。男はあいまいに微笑《わら》った。
「なるほど。もう少し前のことはどうかな?」
 軽く流された。どうも彼女の能力をわかっていないようだ。来るところを見ていたとでも思っているのだろう。
(信じようと信じまいと、どっちでもいい。それよりも肝心なのは……)
 彼女はそばの看板代わりの板切れを指で軽く叩く。
「これは失礼した」微笑って男は銅貨を一つ出した。
 ルシャデールはもう一度男の顔をじっと見た。それから目を閉じ、自分の額の真ん中に意識を集中させる。ギリギリまで集中させて、今度はそれを一度に解放する。
「白い石の大きな屋敷…門のところに大きな木…ポプラかな?木が2本。とても広い庭があって、そこを小川が斜めに横切っている」
 彼女の意識は見知らぬ土地を、鷲のように上空から見下ろしていた。屋敷の南側で小川は別の大きな川に流れ込む。川は上流の山で大きく蛇行している。その山には城が建っていた。
 ふいに、その景色は消え、別の情景に切り替わる。粗末な藁屋根の家。貧相な男と身なりのいい三人の男、彼らの間に泣き叫ぶ男の子がいる。男の一人が小さな布袋を貧相な男に渡し、彼は男の子の手を取った。ルシャデールはその光景を説明し、最後に言った。
「アトール?……アタル?そんな名前のところ」
 男はもう微笑っていなかった。深い想いに沈んだ様子で立ち上がると、
「ありがとう」と彼は銀貨を彼女の手に握らせた。
 彼らはもと来た方へと立ち去った。
 ルシャデールは手の中の銀貨をうれしそうに眺めた。
(これで、四、五日はいいものが食べれる)


「そろそろ起きろ、ねぼすけめ」
 翌朝、狐顔の犬に起こされたのは陽も高くなってからだった。ルシャデールはむっくり起き上がった。祠《ほこら》の入口に立てかけた扉代わりの板の隙間から朝の光が差し込んでいる。石の床に敷いたわらの先が首に当たってチクチクした。彼女は立ち上がって、わら屑をはらう。
 さびれた小さな祠(ほこら)だった。大人が寝泊まりするには頭がつかえる。子供ならば頭をぶつけることもなく、足を伸ばして横になれる。その程度の広さだ。石壁には苔が生え、屋根の朱い瓦の隙間からは草が伸びている。天井近くにはいつもヤモリが一匹張りついていた。
 かつては土着の神を祀《まつ》っており、花や供物も絶えなかった。今では参拝する者もない。名残の祭壇には、犬型をした御神体の石に欠けた花瓶と皿が置かれていた。
「腹が減った、何か食わせろ」犬は横柄に要求する。
「おまえは精霊だろ、食べる必要はないじゃないか」
 髪をくしゃくしゃとかきながら、あくびをする。
「精霊ではない、神だ。神には供物が必要なんだ。ついでに言わせてもらえば、この祠だって俺のだ。居候のくせに態度がでかいぞ」
「神なら大人しく祭壇に鎮座してなよ」
 彼女はそう言い捨てて、辻占いの看板を手に外に出た。カズックもついてくる。
 
 父は生まれたときからいなかった。母を亡くしたのは四年前、六歳の時だ。住んでいた家を追い出され、橋の下をねぐらにした。 
 食べ物を調達するため、盗みは日常茶飯事だった。時々はつかまって鞭で打たれたり、殴られることもあった。寺院の前などで物乞いをしたこともあるが、縄張りがあるということを知らず、他の物乞いに袋叩きにされてしまった。
 生活が変わったのは、母の死から一年ほどたった頃だ。
 寝場所の橋の下を、他の浮浪者に奪われてしまった。数日さまよった挙句に、この祠を見つけた。すでに住人(カズックのことだ)はいたが、居候を許してくれた。
 彼女がユフェレンであることに気がついたのはカズックだ。彼は『ちょっとした才能』と評価してくれた。かつて神であった彼の『指導』のもと、ユフェリを訪れることもできるようになった。
 彼女が辻占いで日々の糧を得るようになったのは、ごく自然な成り行きといえた。

 日差しがまぶしい。畑はようやく種まきの時期だが、木々には柔らかな青さの若葉が風にそよいでいる。荷車を引かせた牛を連れた農夫とすれ違う。荷車は空だ。きっと野菜を市場に卸してきたのだろう。