短編集55(過去作品)
リーグ戦を重視して見ていれば、おのずとそんな気持ちになってくる。リーグ優勝してビール掛けをしているシーンを見ると、完全なお祭り騒ぎである。ファンもその日は完全にお祭り気分。その時点でシーズンが終わったような気分になって、あとはおまけのように思えても仕方がないかも知れない。
それは高校野球にも感じていた。
高校球児が目指すのは、あくまでも甲子園出場、いわゆる全国大会である。
池田は本当は、「甲子園大会」という言葉が嫌いだった。高校野球の聖地として「甲子園」が代名詞になっているが、要するに全国大会である。それをわざわざ「甲子園大会」と呼ぶのは高校野球を特別なものだと考えている人がいるからではないかと思うようになった。
自分が野球をしているから気がつかなかったが、決勝まで来ると、却って
「野球をしていたから気がついたのかも知れない」
と思うようになった。
甲子園という合言葉、最初は皆と同じように使っていたが、同じことをチームメイトも感じてきたのか、誰もが、
「甲子園大会」
という言葉を言わなくなった。スタンドに見える
「めざせ甲子園」
の横断幕すら、億劫に見える。それも自軍の応援団にもいえることだけに、ある意味興ざめの部分もある。緊張がほぐれたのは、そんな興ざめした気分にも由来しているので、何が幸いするか分かったものではない。
イニングは次第に進んでいって、こちらも塁上をランナーが賑わすようになっていた。形勢は十分に五分と五分の状態である。
「よし、これからだ。それにしてもよくここまで相手を零封できたものだ」
キャプテンも、自軍の守りにはビックリしている。その視線の先には投手がいるのは間違いのないことである。
最初の一点はテキサスリーガーズヒットだった。いわゆる「ポテン」である。
「やったー」
小躍りしてホームに帰ってきた選手を全員で迎える。まるで勝ったかのような雰囲気だ。
何よりもスタンドがどよめいた。
「まさか」
という雰囲気がスタンドを支配している。しかし、選手にはそんなことは分からない。スタンドは自分たちの味方だと思い込んでいた。
押せ押せムードであったが、その回は結局一点で終わってしまった。完全に勝った気分になっていた。普段冷静沈着な池田にしてもそうだったので、他の選手が浮き足立っていたのは間違いないだろう。
だが、それが実は悲劇の始まりだった。
一点取ってしまったために眠れる獅子を起こしてしまったのだ。自軍は今までどおりの野球をやっているつもりだったが、実際には緊張でコチコチになっていた。柄にもなく勝利を意識してしまったのだ。今まではいくら自分たちがリードしていても、平常心でいられた。
残されたイニングも少なかった。
「相手はおそらく焦ってくるに違いない。そうすれば、こっちの思うツボだ」
と考えていた。だが、それは甘かった。相手は百戦錬磨、こんな試合は慣れていた。むしろ、
「自分を見失ってしまった方が負けだ」
ということに気付いていなかった。相手があることであっても、結局は自分との戦い。我に返った方が強いのだ。
相手は決して先方を変えようとしない。恐ろしいまでに落ち着いている。
そのことに気付かされた時にはすでに相手は五点を入れていた。
「一体どうしたんだ」
ヒットを打たれることはショックではない。これまでのイニングもヒットは打たれても点をやらないところに価値があったからだ。塁上を賑わせていても、点が入らなければ焦ってくるのは相手である。そこにつけこんでの先取点だったはずだ。
一点取られて同点になっても、それほど焦りはなかった。逆転されると、そろそろ、
「あれれ?」
と感じ始める。
「こんなはずでは?」
と思ってしまうと、点を取られたことが不思議なのか、逆転されたことが不思議なのか分からない。
焦っているのだが、心の奥で、
「相手は優勝候補、当たり前のことだ」
と思ってしまっている。焦っているはずなのに、焦りを表に出すことを恥ずかしいと思うようになっていた。
こんな気持ちは決勝戦まではなかった。なりふり構わずにやってきたはずなのに、今さら体裁を装ってしまうのは、一点取ったことで「よそ行き」の野球になってしまっていた。逆転されても、自分たちが先取点を取ったことに変わりはなく、スタンドをどよめかせたことで、「強豪」の仲間入りができたと思うようになっていたのだ。
強豪チームがなりふり構わない試合をしていてはいけないだろう。だが、それは自分たちの野球ではない。分かっているはずなのに、うろたえることが恥ずかしいのだ。
相手は勢いついたわけではないだろう。相手も自分たちの野球に目覚めただけだ。本当の実力の違いを思い知らされるようになる。
「まだまだこれからさ」
マウンド付近に選手が集まってピッチャーを励ましているが、何をどう励ましていいのか分からない。すぐに輪が解け、試合再開。
ピッチャーの表情に怯えはない。だが、投げている球はさっきまでとはまるで違う。がむしゃらさがないのだ。
投球フォームが大人しくなっている。小さく固まろうとしているのが分かる。格好良く投げている雰囲気を感じる。これでは、相手も打ちやすいだろう。
バッターにとって、整っていないピッチャーほど攻めにくいものはない。どこに来るか分からないと、当てられる恐怖もあるので、怖いのも当たり前だ。石のような硬球が飛んでくるのだ。誰だって怖い。
分かっていても打てないほどのスピードがない限り、こじんまりと纏まったフォームではいつでも打てると相手に思われてしまう。守っていてそれに気付いた時には、もう遅かった。
そのイニングは五点で収まった。
ベンチに帰ってくると、ピッチャーの顔面は蒼白で、野手もうなだれていた。逆転された時とはまるで違っている。
「こんなはずじゃ」
一人が呟いた。誰もが同じ心境なのだが、それに対して口を開く者はいない。気がつけばこの状態だったのだ。
皆、この時に悟っていたに違いない。眠れる獅子を起こしてしまったことを。そして、起こしてしまった獅子が相手では、ヘビに睨まれたカエルのごとく、自分たちには何もできないことを。
「これで俺たち、負けだな」
一人が口を開いたが、その言葉に反論する時間はなかった。あっという間にチェンジだったからである。
また気がつけば三点入れられてチェンジになった。
――本当にこの回、終わるのだろうか――
という気持ちになるほど、自信喪失していた。三点で終わったのがよかったのかどうなのか分からないが、相手はエースを引っ込めた。出てきた投手は控えの選手である。
本当なら、
「舐めやがって」
と、怒りをあらわにするのだろうが、完全に戦意喪失してしまったベンチ内では、誰が来ても一緒にしか見えなかった。舐めてきている相手よりも、自分たちに自信がないのだから、試合になるはずもない。
「こんなことなら、決勝まで進まなければよかった」
そんなことを口にする選手まで出てくる。
本当なら、
「弱音を吐くな。意地を見せようぜ」
作品名:短編集55(過去作品) 作家名:森本晃次