短編集55(過去作品)
この思いだけが残ってしまって、せっかくのヒットだったのに、何とも後味が悪い。それもこれも相手チームが悪いのだ。
彼らは甲子園に出場することのできるチームで、期待を一身に受けていた。実際にチームは県大会で優勝し、華々しい見送りとともに甲子園へと向った。
さすがに優勝した時は彼らも小躍りして喜んでいたが、それも束の間。その後はいつもの無表情になっていた。
壮行会も催されたが、表情は硬く、まわりだけが盛り上がっているだけで、見ていると実にぎこちなく感じられる。それは一戦交えた人間でないと分からないものである。
彼らは「大人」なのだ。大人しいという言葉が示すように、賑やかではない。何を考えているか分からないほど静かだった。
冷徹に見えるかも知れない。子供の前に出れば、泣き出してしまう子供もいるだろう。もし子供が泣き出してしまえば彼らはどうするだろう。あやすこともせずにその場から逃げ出すように去っていくのではないだろうか。
ある意味潔い。だが、どう考えても人間味は感じられない。試合を終えてからの方が、余計に感じられるようになった。
二年になると、池田もレギュラーを張るようになった。選手層の薄さのせいか、あまり部員もたくさんはいない。それでも池田が一年の時に比べれば、それなりにいいチームに纏まっていた。個性が強い選手の集まりでもあった。
烏合の衆ということで、細かいサインプレーなどできっこない。監督もそれくらい分かっていて、細かい指示もなかった。もっとも監督自体が片手間で、誰もなり手がなかった中で高校野球の監督を一度やってみたかったというOBが名乗りを上げただけのことだった。
今までの監督は野球をやっていた人はいなかったようだ。OBにしても、卒業してから野球を続けている人も珍しく、監督に就任した人はそれでも大学、社会人と続けていた。
大学に入ってそれまでの甘さに痛感し、
「これじゃあ、甲子園なんて夢のまた夢」
と感じるようになったという。
先輩が進学した学校の野球部には、元甲子園出場者などもいて、彼らは完全に特待扱いであった。
面白いもので、
「俺が大学に入ると、それまで高校でやってきた野球がバカバカしくなってな。高校野球と大学野球ってまったく違うんだ。高校野球をやっていた時期がバカみたいだったぜ」
監督が高校時代、チームは今に比べて圧倒的に強かったという。監督自身も甲子園出場経験があり、ヒットを打ったと今でも自慢しているらしい。同じ野球の話題をするなら、大学野球や社会人野球よりも高校野球の方が馴染みがある。「甲子園」という言葉が聖なるものになっているからだろう。
だが、甲子園に出場するには、個性など捨てなければならないとも話していた。よほど超高校級と呼ばれるほどの選手が一人でもいれば違うのだろうが、そうでもなければチームワークと称して、個性を殺した面白くもない野球でなければ、甲子園など夢のまた夢で終わってしまう。
「高校野球なんて、そんなものさ」
監督はそう言い放った時があったが、それなのに、なぜに高校野球の監督など引き受けたのだろうか。実に不思議だった。
練習も基礎練習が主で、やはりチームプレーを重視するところは、強豪高校と変わりはない。だが、特訓のような激しいものはなく、甲子園などやはり夢なのだと思うようになっていた。
県大会では順調に勝ち進んでいった。優勝候補と呼ばれるシード校に当たるまではまだまだ負けるチームではない。練習での基礎プレーが身体に馴染んでいるせいか、勝手に身体が動いてくれる。
監督はあまりサインを出す人ではなかった。
ノーアウトでランナーが出ても、送りバントをあまり使わず、犠打などあまりなかった。
――まだ、この程度の戦いなら、細かい作戦を取る必要がないということかな――
と考えたが、負ければ終わりの一発勝負、勝負は時の運というだけに、下馬評だけでは難しい。
だが、おかげで楽しく野球ができた。一年の時も同じように楽しく野球ができたが、二年生の大会はまた違った意味で楽しい。チームプレーもやればできる自信があるのに、それをやらずとも勝ち抜けるのだから、それだけ実力が個人個人についてきた証拠だろう。
その証拠に送りバントの場面で強行攻撃をすると、かなり高い確率でヒットになっていた。送りバントや犠牲をせずに自分が目立てる喜びを表に出しているだけなのだ。元々運動能力に自信を持っていた。これも日頃の練習の成果なのだが、それだけに成功した時は胸を張りたいくらいの気分になっている。
累上から相手投手を睨みつける。バッターへの注意を削ぐことにかけては、練習でもやっていた。塁に出た方が、バッティングが冴えるのである。わざわざ送りバントでアウトを増やす必要などないのだ。
それは自分たちも途中から分かってきた。
「相手投手にどれだけのプレッシャーを掛けるか」
これが塁に出た選手の役目である。
楽しかった。試合が進むごとに自分が何をすればいいのか、何をしなければいけないのかが手に取るように分かってくる。これこそが選手の自主性、個性に繋がっていくのだろう。
勝った翌日の新聞には、
「ノビノビ野球」
と書かれていたが、まさしくその通り。だが、書き方が漠然としているので、読む人が感じる思いはさまざまだろう、実際に池田自身も、
「うちはノビノビ野球なのだろうか?」
と疑問視してしまう。
確かに監督のサインに雁字搦めになっているチームに比べればノビノビとできる。だが、責任は監督にあるのではなく、選手個々にあるのだ。確かに表に出る責任は監督である。しかし選手の中に確実に責任がのしかかってくることは間違いない。それだけ自分の意志で動いているからだ。
チーム全体がそうなのだから、それぞれの考えていることなど手に取るように分かる。中には緩慢プレーをする者もいるかも知れないが、そんなことをすれば、すぐにまわりの選手から非難の声が上がってくるに違いない。
「お互いがお互いをけん制する野球」
これがチームのスタートだった。
勝ち上がっていっても監督はサインを出さない。
順調に勝てていたチームだったが、さすがに準決勝あたりから、少し歯車が狂い始めた。
今までうまく行っていた個々の考えが裏目に出るようになってくる。
作戦としては間違っていないのだろうが、ことごとく失敗を重ねた。
送りバントしてみれば、一塁ランナーは走っていないし、さらにランナーが走れば、んバッターが協力しないので、そのままアウトになってしまう。
「どうしたんだろう。俺たち」
皆、それぞれが考え込んでしまって、試合に集中できなくなってしまっていた。
それでも監督は何も言わない。ベンチに座っている補欠選手たちは業を煮やして、中には、
「監督、俺を試合に出してください」
と直訴するものもいた。
監督は迷わずにその選手を代打に使う。そんな時に限って代打策が成功するもので、補欠選手からすれば一世一代の大舞台で目立つことができて、本当に嬉しそうだ。
それを見て池田は思った。
「まるで去年の俺のようだな」
すると、他の選手も、
「俺にもあんな時があったな」
作品名:短編集55(過去作品) 作家名:森本晃次