白い鳩、夏の青空に(掌編集~今月のイラスト)
今月のイラストは爽やかな柄の浴衣を着た清楚な女性。
少し顔を上げた視線の先にあるものは……。
今年も8月15日がやって来ます。
『白い鳩、夏の青空に』
7月上旬、お祖母ちゃんが亡くなった。
早紀は東京に住む大学四年生、母の田舎にはもうずいぶんと足を運んでいなかったが、子供の頃は毎年のように来ては冷たい小川のせせらぎや緑を吹き抜けて来る風の爽やかさを楽しんだ。
都会では味わえない夜の暗さは、何か目には見えないものが潜んでいる様で怖かったが、日常を離れたワクワク感があった、そして満天に輝く星々も宇宙の広がりを感じさせてくれた。
お祖母ちゃんにはずいぶんと優しくしてもらった、同じ優しさでも都会の人の優しさとは違っていたように思う。 都会人の優しさはその人自身が纏うものだがお祖母ちゃんの優しさはこちらを包んでくれるような優しさだったように思う。
お祖母ちゃんの死は突然だった、前日の夜は普段通りに過ごしたのだが、翌朝、普段は早起きの人が中々起きてこないので様子を見に行くと冷たくなっていたのだと言う。
診断書には心不全と書かれていた。
心臓に何か異変があったのだろうとは思うが、亡くなる直前まで元気に暮らしていたとはいえ九十歳、天寿を全うしたのだと誰もが納得するような、やすらかな死顔だったと言う。
早紀も懐かしいお祖母ちゃんの遺体と対面して、(ちいさくなっちゃたな)とは思ったが、その顔は穏やかで可愛らしく、もし森の精がいるならこんな感じなのだろうかと思うようだった。
大往生とあって、故人を偲ぶ話は尽きることはなくとも、湿っぽさはあまりない。
親類縁者だけではなく村総出と言っても良いような葬儀が終わり、翌日、『形見分け』と称してお祖母ちゃんの遺品が並べられた。
「これって、おじいちゃん?」
早紀は一枚の写真に目を止めた。
セピア色のその写真には現代でも通用しそうなイケメンが写っていた。
お祖父ちゃんは十年前に亡くなったのだが、歳をとってさえ中々のイケメンだったのだ。
だが、写真はお祖父ちゃんではなかった。
「それはあたしの父親、早紀にとってはひいお祖父ちゃんだよ」
そう教えてくれたのはおばあちゃんの妹、早紀にとっては大叔母に当たる人だ。
同じ村に嫁いでいたので、子供の頃何度か会っている。
お祖母ちゃんとは顔も似ているが、雰囲気も良く似た優しい、穏やかな人だ。
「いい男だろう? 顔もきりっとしてるけど体も頑健でね、その写真を撮ったのは昭和十六、大東亜戦争に出征が決まった時に町の写真館まで行って撮ったんだよ」
真新しい軍服に身を包んで少し斜めに座り、顔だけを真正面に向けるポーズで撮られた写真、曾祖父はぱっちりと大きな瞳に太い眉、すっきり通った鼻筋にきりりと締まった唇、頭は丸刈りだが、むしろ顔立ちに良く似合っている。
現代的な『イケメン』の基準からは外れるかもしれないが、今でもこの人が街を歩いていたら振り向きたくなる女性は少なくないはずだ。
「大東亜戦争? ああ、第二次世界大戦のことね?」
「今はそう教えるんだったね、あたしらには今でも大東亜戦争だけどね」
大叔母は少し顔をしかめてそう言った。
(どうして一つの国の中で戦争の呼び方が変わるのかな?)
早紀はチラっとそう考えたが、その時はそのまま流してしまった。
「戦争からは無事に?」
「いいや、戦死しちゃったんだよ……だから母さんはずいぶん苦労しただろうねぇ」
大叔母は遠くを見るようなそぶりでそう呟き、ちょっとの間口を開かなかったが……。
「その写真、持って行くかい?」
「大叔母さんは? 欲しいんじゃない?」
「あたしは持ってるもの、いずれは早紀が、その前にお前の母さんが持っているべき写真だろうからね」
母は病気で入院中、もうだいぶ良いのだが、夏の長旅は医師から許可が下りずに葬儀には来れなかったのだ、早紀はいわば名代でもある。
「うん、じゃあ、これ、もらって帰る」
「ああ、そうおし」
写真をもらって帰ると、母はたいそう喜んだ。
それはそうだろう、母にとっては祖父、三十代で戦死してしまっているので会ったことはなかったのだが、祖母からはずいぶんと話を聞いていたらしい。
昭和初期のこと、曾祖父の写真はそれ一枚きり、プリントも限られていたから手元にはなかったのだ。
『第二次世界大戦で戦死した曾祖父』
その写真の存在は、早紀にとってちょっと不思議な感じがする。
今まで、自分にとって第二次世界大戦はもう『歴史』に過ぎなかったのだが、会ったこともないとはいえ自分の曾祖父がその戦争で命を落としている……まるではるか昔のことのように思っていた戦争だが、自分にも連なっていることとして感じられたのだ。
(そういえば……)
大叔母は第二次世界大戦を大東亜戦争と呼んだ。
そして、第二次世界大戦と言う呼び方が気に入らないようだった、いつも穏やかな大叔母がその時ばかりは顔をしかめていた。
当事国の間で戦争の呼び方が異なるならわかる、それぞれの『正義』があったのだろうから……だが、日本と言う国の中で呼び方が変わると言うのはちょっと奇異な感じがする……大東亜戦争と呼べない、呼びたくない理由があるのだろうか……それに、主に日本とアメリカが戦った戦争を『大東亜戦争』と呼んでいたのはなぜなんだろう……。
早紀は貰って来た曾祖父の写真をきちんとした写真立てに入れて机に置き、ネットの検索ボックスに『大東亜戦争』と打ち込んでみた……。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
八月十五日、早紀は靖国神社を訪れた。
大学はこの近くだし、日本武道館のコンサートにも度々訪れている、千鳥ヶ淵の桜を見に行ったこともある。
だが、ここには来たことがなかったのだ。
『英霊』と言われてもピンと来なかったし、なにより戦争は絶対悪と教えられ、ずっとそう思って来た、靖国神社は戦争礼賛の施設のように思い、足を運ぼうとは思わなかったのだ。
だが、イケメンの曾祖父の写真一枚が早紀に自分で調べ、自分の頭で考えるきっかけを作ってくれた。
戦争は絶対悪、その考えは変わらない、しかし世界に目を向けてみれば今でも戦争の火種は尽きない、日本は憲法で侵略戦争を放棄している、たとえ押し付けられた憲法だったとしてもその精神は尊く、正しいと思う、だが、戦争は日本を放棄してはいない、今でも……。
戦争を美化したり正当化する行為は醜いと思う、だが、調べれば調べるほど、あの時日本は自国を守るために戦ったのだと考えざるを得ない、
『第二次世界大戦』でも『太平洋戦争』でもなく、『大東亜戦争』。
そこには自国を守るだけでなく、そのほとんどが欧米列強に支配されていたアジアの国々を解放し、大東亜共栄圏を築こうとした思いが込められているのだと知った。
そして、大東亜戦争を戦ったのは紛れもなく自分たちの祖先であり、そのDNAは自分にも受け継がれているのだと誇りに思った、そしてそれを途絶えさせてはいけない、それを汚されてはいけないのだと……。
日本人であること。
それを形で表そうと思って浴衣を着て来た。
少し顔を上げた視線の先にあるものは……。
今年も8月15日がやって来ます。
『白い鳩、夏の青空に』
7月上旬、お祖母ちゃんが亡くなった。
早紀は東京に住む大学四年生、母の田舎にはもうずいぶんと足を運んでいなかったが、子供の頃は毎年のように来ては冷たい小川のせせらぎや緑を吹き抜けて来る風の爽やかさを楽しんだ。
都会では味わえない夜の暗さは、何か目には見えないものが潜んでいる様で怖かったが、日常を離れたワクワク感があった、そして満天に輝く星々も宇宙の広がりを感じさせてくれた。
お祖母ちゃんにはずいぶんと優しくしてもらった、同じ優しさでも都会の人の優しさとは違っていたように思う。 都会人の優しさはその人自身が纏うものだがお祖母ちゃんの優しさはこちらを包んでくれるような優しさだったように思う。
お祖母ちゃんの死は突然だった、前日の夜は普段通りに過ごしたのだが、翌朝、普段は早起きの人が中々起きてこないので様子を見に行くと冷たくなっていたのだと言う。
診断書には心不全と書かれていた。
心臓に何か異変があったのだろうとは思うが、亡くなる直前まで元気に暮らしていたとはいえ九十歳、天寿を全うしたのだと誰もが納得するような、やすらかな死顔だったと言う。
早紀も懐かしいお祖母ちゃんの遺体と対面して、(ちいさくなっちゃたな)とは思ったが、その顔は穏やかで可愛らしく、もし森の精がいるならこんな感じなのだろうかと思うようだった。
大往生とあって、故人を偲ぶ話は尽きることはなくとも、湿っぽさはあまりない。
親類縁者だけではなく村総出と言っても良いような葬儀が終わり、翌日、『形見分け』と称してお祖母ちゃんの遺品が並べられた。
「これって、おじいちゃん?」
早紀は一枚の写真に目を止めた。
セピア色のその写真には現代でも通用しそうなイケメンが写っていた。
お祖父ちゃんは十年前に亡くなったのだが、歳をとってさえ中々のイケメンだったのだ。
だが、写真はお祖父ちゃんではなかった。
「それはあたしの父親、早紀にとってはひいお祖父ちゃんだよ」
そう教えてくれたのはおばあちゃんの妹、早紀にとっては大叔母に当たる人だ。
同じ村に嫁いでいたので、子供の頃何度か会っている。
お祖母ちゃんとは顔も似ているが、雰囲気も良く似た優しい、穏やかな人だ。
「いい男だろう? 顔もきりっとしてるけど体も頑健でね、その写真を撮ったのは昭和十六、大東亜戦争に出征が決まった時に町の写真館まで行って撮ったんだよ」
真新しい軍服に身を包んで少し斜めに座り、顔だけを真正面に向けるポーズで撮られた写真、曾祖父はぱっちりと大きな瞳に太い眉、すっきり通った鼻筋にきりりと締まった唇、頭は丸刈りだが、むしろ顔立ちに良く似合っている。
現代的な『イケメン』の基準からは外れるかもしれないが、今でもこの人が街を歩いていたら振り向きたくなる女性は少なくないはずだ。
「大東亜戦争? ああ、第二次世界大戦のことね?」
「今はそう教えるんだったね、あたしらには今でも大東亜戦争だけどね」
大叔母は少し顔をしかめてそう言った。
(どうして一つの国の中で戦争の呼び方が変わるのかな?)
早紀はチラっとそう考えたが、その時はそのまま流してしまった。
「戦争からは無事に?」
「いいや、戦死しちゃったんだよ……だから母さんはずいぶん苦労しただろうねぇ」
大叔母は遠くを見るようなそぶりでそう呟き、ちょっとの間口を開かなかったが……。
「その写真、持って行くかい?」
「大叔母さんは? 欲しいんじゃない?」
「あたしは持ってるもの、いずれは早紀が、その前にお前の母さんが持っているべき写真だろうからね」
母は病気で入院中、もうだいぶ良いのだが、夏の長旅は医師から許可が下りずに葬儀には来れなかったのだ、早紀はいわば名代でもある。
「うん、じゃあ、これ、もらって帰る」
「ああ、そうおし」
写真をもらって帰ると、母はたいそう喜んだ。
それはそうだろう、母にとっては祖父、三十代で戦死してしまっているので会ったことはなかったのだが、祖母からはずいぶんと話を聞いていたらしい。
昭和初期のこと、曾祖父の写真はそれ一枚きり、プリントも限られていたから手元にはなかったのだ。
『第二次世界大戦で戦死した曾祖父』
その写真の存在は、早紀にとってちょっと不思議な感じがする。
今まで、自分にとって第二次世界大戦はもう『歴史』に過ぎなかったのだが、会ったこともないとはいえ自分の曾祖父がその戦争で命を落としている……まるではるか昔のことのように思っていた戦争だが、自分にも連なっていることとして感じられたのだ。
(そういえば……)
大叔母は第二次世界大戦を大東亜戦争と呼んだ。
そして、第二次世界大戦と言う呼び方が気に入らないようだった、いつも穏やかな大叔母がその時ばかりは顔をしかめていた。
当事国の間で戦争の呼び方が異なるならわかる、それぞれの『正義』があったのだろうから……だが、日本と言う国の中で呼び方が変わると言うのはちょっと奇異な感じがする……大東亜戦争と呼べない、呼びたくない理由があるのだろうか……それに、主に日本とアメリカが戦った戦争を『大東亜戦争』と呼んでいたのはなぜなんだろう……。
早紀は貰って来た曾祖父の写真をきちんとした写真立てに入れて机に置き、ネットの検索ボックスに『大東亜戦争』と打ち込んでみた……。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
八月十五日、早紀は靖国神社を訪れた。
大学はこの近くだし、日本武道館のコンサートにも度々訪れている、千鳥ヶ淵の桜を見に行ったこともある。
だが、ここには来たことがなかったのだ。
『英霊』と言われてもピンと来なかったし、なにより戦争は絶対悪と教えられ、ずっとそう思って来た、靖国神社は戦争礼賛の施設のように思い、足を運ぼうとは思わなかったのだ。
だが、イケメンの曾祖父の写真一枚が早紀に自分で調べ、自分の頭で考えるきっかけを作ってくれた。
戦争は絶対悪、その考えは変わらない、しかし世界に目を向けてみれば今でも戦争の火種は尽きない、日本は憲法で侵略戦争を放棄している、たとえ押し付けられた憲法だったとしてもその精神は尊く、正しいと思う、だが、戦争は日本を放棄してはいない、今でも……。
戦争を美化したり正当化する行為は醜いと思う、だが、調べれば調べるほど、あの時日本は自国を守るために戦ったのだと考えざるを得ない、
『第二次世界大戦』でも『太平洋戦争』でもなく、『大東亜戦争』。
そこには自国を守るだけでなく、そのほとんどが欧米列強に支配されていたアジアの国々を解放し、大東亜共栄圏を築こうとした思いが込められているのだと知った。
そして、大東亜戦争を戦ったのは紛れもなく自分たちの祖先であり、そのDNAは自分にも受け継がれているのだと誇りに思った、そしてそれを途絶えさせてはいけない、それを汚されてはいけないのだと……。
日本人であること。
それを形で表そうと思って浴衣を着て来た。
作品名:白い鳩、夏の青空に(掌編集~今月のイラスト) 作家名:ST