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隆子の三姉妹(後編)

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                  第四章

 隆子がゆかり先輩と信二の墓参りをしている時、洋子は付き合っている彼氏と、ホテルの一室にいた。
 洋子の彼氏の名前は、隆二と言った。隆二は洋子にとって初めての男性だった。付き合う相手は決まらなくても、処女ではないと思われていたのだろうが、実際には身持ちはかなり重たかった。実際に気に入った相手でなければ、自分を許さないと思っていたからだ。
 だが、そんな女性ほど一度タガが外れると、
「どうして、今までこんなに身持ちが重たかったのかしら?」
 と考えるもののようで、隆二と出会った時に、
「電流が走ったみたい」
 と思ったのだ。
 そのことを隆二に話すと、
「それは嬉しいな、君のような女性にそう言われると、男冥利に尽きるというものさ」
 普通なら、こんな歯が浮くようなセリフを言われて喜ぶような洋子ではないはずなのに、なぜか隆二にだけはどんな言葉を言われても違和感を感じることはないように思えてならなかった。
 隆二は洋子の身体にピッタリと嵌った。他の男を知らない洋子は、
「これを幸せというんだわ」
 と、感じていた。
 だが、それは彼とホテルにいる時だけだった。
 ホテル以外の場所では、なぜか不安や恐れが彼に付きまとっているのを感じる。
――彼が他の女性に走ったらどうしよう――
 という思いが渦巻いているわけではない。
 どちらかというと、このまま彼に溺れてしまうかも知れない自分が怖かったりする。ホテルのベッドで彼の腕の中にいる時だけが、その思いを打ち消すことのできる時間だった。
 かと言って、彼と一緒にいない時間は、それほど不安も恐れも感じない。約束すれば必ず彼は現れる。そして、洋子を決して裏切ることはないという思いを抱いているからだ。
 洋子は、、恋愛をしたいという思いは人一倍あったが、足を踏み入れることには、さらに人一倍警戒心があった。
 それは、最初に悪い方から考えてしまうからではないかと思っていた。恋愛に関して不器用だと思っているのは、その思いがあるからで、何事も最悪なケースを考えてしまうのは、恋愛以外にもあることなので、洋子にとっては想定内の考えなのだろうが、その思いが隆二にもあった。
「お願い、どこにも行かないで」
 ベッドの中で、そう言って、彼に抱きついたこともある。
「何言ってるんだよ。俺がどこに行くって言うんだい?」
 彼は、きっと洋子が自分の浮気を心配しているのだろうと思ったのだろう。優しく髪の毛を撫でた。
 髪の毛を撫でられるのは、洋子にとってはウイークポイントを刺激されたことであり、気持ちがすでにここにあらずというほど、昇天しかかっていた。
「おっと、そう簡単にいかれてしまっては困るんだよ。ゆっくりと可愛がってあげようね」
 妖艶な笑みは、身体の力を一気に抜き、意識が朦朧としてくるほどになってくると、もう彼に任せるしかなくなってしまった洋子は、手の平だけ、力が入る身体になっていた。
 彼が入ってくると、もう洋子は自分ではなくなってしまうのを自覚していた。
――私は誰なの?
 隆二は満足そうな顔で洋子を見下ろす。それは、完全に相手を征服した快感で、それは身体が受ける快感とは違って、比べ物にならないものなのかも知れない。
「誰?」
 洋子は、声にならない声を上げた。自分たちを冷静に見ている誰かが確かに存在している。
「誰なの?」
 再度、訴えた。
 洋子は不気味な恐怖に駆られたが、それも隆二の与えてくれる振動で、薄らいでいく。
「お願い、快感に集中させて」
 と叫ぶが、相手は何も言わない。
 さもありなん、相手は何かをしているわけではない。ただそこに存在しているだけなのだ。
――存在している?
 その言葉が一番ふさわしいのかどうか、洋子には分からなかった。ただ、その時に感じた不安は、今までにも感じたことがあるような気がして仕方がない。それも、今までに一度だけではない。かつて定期的に感じた感覚であり、むしろ懐かしさすら感じるほどである。
「由美」
 思わず声を上げた。
 この声だけは声になったようで、
「えっ?」
 隆二は身体を揺さぶるのを止めた。
「由美って?」
「ごめんなさい。妹の名前なの。どうして今その名前を呼んでしまったのか分からない。ごめんね」
 と、その場を取り繕った。取り繕ったと言っても、妹であることは事実だが、なぜその時妹の名前を叫んでしまったのか、洋子にはすぐには分からなかった。隆二もそれが分かったのか、それ以上何も言わなかった。
 だが、洋子は冷静になってくると、快感の中に誰かがいて、存在しているのかどうか疑問を感じた時、思わず浮かんできた顔が妹の顔だったことまで思い出した。それがさっき考えたことのすべてなのか、それとも一部だけしか覚えていないだけなのか分からない。ただ、意識は繋がっていたわけではない。そう思うと、すべてではなかったと考える方が自然であろう。
「ちょっと、落ち着こうか?」
「ごめんなさい」
 せっかく盛り上がった気持ちと身体を収めるのはかなり難しいかも知れないが、彼がそこまで精神的にデリケートな男性ではないということは洋子も分かっていた。すぐに回復し、洋子にのしかかってくるだろう。
 洋子もそれを待っているが、二人同時に気持ちが元に戻るわけではない。洋子はなるべく彼よりも先に自分が我に返ることに集中していた。
――どうして由美なのかしら?
 という思いは残ってしまったが、今は集中しないといけないと思った。
 隆二は、その日は、それ以上何もしなかった。しなかったというよりも、何もできなかったと言った方が正解だった。洋子が叫んだ名前が男性であればいざ知らず、女性であるのに、どうしてそれ以上何もできなかったのか、洋子には理解しかねていた。
「今日は、すまない」
 と、隆二は一言いうと、その日は帰っていった。洋子はまるで一人取り残された気分になったが、これもしょうがない。無意識とは言え、自分の口から出てきたものだからである。
――それにしても、由美はこんなところにまで顔を出すなんて――
 優位性を取られていると感じていたが、一番肝心なところで現れるなんて、反則もいいところだ。洋子にとって由美は、やはり天敵のようなものである。
 一人取り残された洋子は、ホテルを出ると、そのまま一人で帰るのも寂しすぎる。ちょうどその日は、姉も帰ってこない。そう思うと行ってみたい場所は一つだった。
 由美に連れて行ってもらったバーが、ちょうどホテルからそれほど遠い距離ではなかった。ただ一つ気になるのは、ホテルの帰りに、お気に入りだと思っている店に立ち寄ることだった。男性に抱かれた身体で、気に入っている店の敷居を跨ぐというのは、心苦しい気がしたからだった。
 しかし、一人になって気持ちが冷静になってくると、ホテルにいた時間が、かなり前だったように思える。時間が経ってしまえば、ほとぼりが冷めたという考えもあまり好きではなかったが、このまま寂しく帰るよりもよほどマシではないだろうか。洋子は足が勝手にバーに向かっているのを感じると、心苦しさが次第に薄れていくのを感じた。
作品名:隆子の三姉妹(後編) 作家名:森本晃次