隆子の三姉妹(前編)
「何だい、そんなこと。僕たち二人には関係ないじゃないか」
と、言われるに決まっている。
もし、自分が男でも、同じことを言ったに違いない。しかし、隆子はその言葉を耳にすることを嫌った。
「そんなこと」
この言葉は隆子には許せない言葉だった。確かに二人の間には関係のないことだが、関係がないからと言って。
「そんなこと」
と言われるのは。筋違いだ。
隆子としては、
「何も知らないくせに」
と言いたくなるだろう。それは自分の気持ちが、
「あなたよりも妹たち」
ということを、ハッキリと口にすることを意味している。
それは口が裂けても言いたくないことだった。そのために、理由も言わずに別れるしかない。
「何だい、あの女は、理由も言わずにせっかく勇気を出して告白してくれる相手を振るなんて、何様のつもりなんだ」
と言われることだろう。
それも分かっている。分かっているだけに、男というのが自分とは違う世界に住む人種だと思うのだ。
その考えに、待ったを掛けたのが、山男の彼だったのだ。
同じ三人兄弟の一番上、気持ちはお互いに口にしなくても分かると思っていた。実際に口にしなかったが、さりげない気の遣い方が自分に似ているのを感じると、隆子は自分が初めて男性を好きになったことを感じた。相変わらず他の男性には人種の違いを感じていたが、彼だけは違っているのだ。
「出会いって本当に運命なんだわ」
と感じたのも無理のないことであり、その思いが熱い間に、まさか運命の悪戯によって、地獄を見せられるなど、思ってもみなかった。
それ以来、隆子は出会いを信じなくなった。さらに運命ということすら考えないようになった。下手に考えれば、
「運命はこの私に微笑むことはない」
と思った。
彼がいなくなって、嫌というほど運命を憎んだのだ。それは自分の中での運命と決別を意味していた。
だが、運命からは逃げられないという思いも隆子の中にはあった。逃げらないのに、それを分かっていて敢えて決別したのだ。もし、相手が襲ってくるなら、迎撃するしかない。運命は隆子にとって敵以外の何物でもなくなってしまったのだ。
そんなところへ、次女の洋子が失恋したと言って相談に来た。
最初は、
「そんなこと自分で解決しなさい」
と、言ってやりたいのを妹なので、邪険にもできないと思って耐えていると、次第に隆子の中で心境が変化していった。
――妹を自分のようにしたくない――
妹の失恋は、どう逆立ちしても自分の気持ちに適うわけはないと思っているが、隆子には妹たちの仲にはない感情移入の激しさがあった。それは、文字通りの
「相手の身になって考えることができる」
というもので、その思いを隆子は、自分の長所だと思っていた。
隆子は、自分の辛さを人に置き換えて考えるようになっていた。それが感情移入の激しさという性格を生みだしたのだ。
「人の身になって考えるって大切なことよ」
これは自分たちの母親が、まだ隆子が小学生の頃に言った言葉だった。
その頃はまだ優しい母に、物静かだが、貫禄のあった父という自慢すらできるのではないかと思うような両親に囲まれて、幸せだった。
両親が別れるきっかけになったのが、父が単身赴任で二年ほど家を離れていた時のことだった。
寂しさから、母が不倫をしていたことが分かったのだ。
物静かな父が怒りに震え、母親に罵声を浴びせる。元々父に逆らうことのできなかった母には何も言うことはできなかった。
父は離婚を切り出した。だが、母は納得しない。離婚だけは何とか阻止しようという努力をしたが、
「もう疲れたわ」
と言って、母の気力をそいだのは、何と父がその時からさらに数年前、自分も不倫をしていた時期があったことが露呈したからだ。
父としては、自分のことを棚に上げてのはずなのに、自分の不倫を隠したまま、母の不倫を理由に離婚することを、自分の中で得策だと思ったのだろう。
だが、離婚について揉めているうちに、ふとしたきっかけから、父の昔の悪行が露呈した。
父としては、自業自得だったのだろうが、結果としては離婚することができた。不倫はお互いだったので、慰謝料などありえるはずもなく、父としては。
――あわやくば――
という狙いは崩れたが、何とか円満離婚できたのはよかったのかも知れない。
だが、どう考えても円満離婚とは思えない。泥仕合の中での、ただの痛み分けになっただけではないか。子供の隆子にそこまでは分からなかったが、とりあえず離婚が成立し、母親の手で、自分たちが育てられることになったのだ。
とにかく複雑な家庭環境であることに違いはなかった。
隆子は隆子で、洋子は洋子でそれぞれに苦しんだことだろう。三女の由美はまだ小さかったこともあって、ほとんど覚えていないはずである。ただ、何となく息苦しさは感じていたのだろう。由美が抱えている悩みを、今は知らない姉二人だったが、このことがこれから三人の間にどのような渦を巻き起こすのか、まだ誰も知る由もなかったのだ。
隆子と洋子がこの部屋で暮らし始めてそろそろ四年が経とうとしていた。隆子も洋子も、最初は、
――一年も一緒に過ごせばいいだろう――
くらいにしか思っていなかったようだが、気が付けば、四年が経っていた。それはマンネリ化してしまったことで、そのまま惰性で暮らしているのかも知れない。少なくとも洋子はそうだった。
――ここは過ごしやすい――
と思っている。
隆子も、別に一人暮らしにこだわっているわけではない。彼氏がいるわけでもないし、この部屋に誰かを連れてくるわけでもない。それならむしろ洋子が出て行ったことで、姉として気に病むよりも、そばに置いておく方がどれほど気が楽かということである。お互いの利害関係が一致しての同居が成立していたのだ。
そんな二人のところに母親から連絡があったのが、年が明けてすぐくらいだっただろうか。
「二人とも元気?」
「うん、元気だよ。お母さんも?」
「由美と二人、元気にしているわよ」
と、電話口では元気そうだが、少し疲れているように聞こえたのは、母親の顔を思い浮かべながら声を聞いているからであろうか。電話での受け答えをしている隆子は、手に取るように分かっているつもりだった。
「それで、どうしたの? 急に電話してくるなんて」
ここ三年近く電話をしてくることはなかった母だった。かといって、ずっと連絡を取り合っていないわけではなく、隆子と洋子は、一年に二、三度は家に帰っていたので、音信不通だったわけではない。
「実はね。今年、由美が高校を卒業したのね」
「もうそんな年なんだね」
家にいたのは五年前のことだった。最初の一年一人暮らしをしていて、それから四年間洋子と一緒に暮らしているのだ。今年由美が高校を卒業するということは、ずっと由美のことを見続けていたっもは、まだ中学に上がった頃のことだったのだから。
それを思うと、
「月日の流れって早いわね」
と、思わず考えていたことをしみじみ電話口で話した。
「そうよね、あなたたちがいなくなって、もう五年だもんね」
母親も感慨深げだった。少し沈黙の後、母が思い出したように話始めた。
作品名:隆子の三姉妹(前編) 作家名:森本晃次