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短編集53(過去作品)

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 そんなバカなことはありえない。だが、朝井自身が幽霊となって、しかも人の身体を借りているなどということを誰が信じるだろう。信じられないことが他にあっても、不思議なことではない。
「あなたも普通の恰好をすればいいのに、まだまだ人生これからですよ」
 怜奈が近づいてきて、朝井が乗り移った男に話しかける。その雰囲気は今まで見たこともないような怜奈の姿だった。
 いつも毅然としていて気位の高い怜奈からは想像もできない。気位の高さゆえに、朝井はホームレスなら意識されないと思ったのだ。その時の怜奈の顔は明らかに哀れみに満ちていた。夫を殺してしまったことへの懺悔の気持ちもあるのか、なぜか一人のホームレスを家に連れて行って、シャワーを浴びさせ、服まで買って与えようとしている。
 朝井もビックリしたのだが、ホームレスであっても、中身は朝井なのだから、身だしなみさえしっかりすれば、紳士になりうるのだ。何はともあれ、怜奈に血がづくことができた。復讐への段階の手間が省けたというものだ。
 だが、怜奈の献身的な姿には屈託はない。
――なぜなんだ――
 朝井を殺したというのは、独りよがりの考え方なのだろうか。怜奈と知り合った頃の懐かしさが思い出されてならなかった。
 一旦思い出してしまうと、もう忘れることはできない。それも一度死んだ人間の性のようだ。完全に情が移ってしまった。
 情が湧いてくると、今度はまた不吉な予感に苛まれる。
――桃井はどうなるんだ――
 やつがどうなろうと知ったことではないが、怜奈の気持ちが探れなくなってしまった。あれほど見えていると思った怜奈がまったく見えなくなってしまったのだ。だが、怜奈への気持ちが再燃してくると、そんなことはどうでもよくなった。自分が人の身体を借りているなど、信じられないくらいだったからである。
 怜奈への気持ちが強くなってくるが、身体はどこか抵抗していた。怜奈がたまに誘いかけるようなトロンとした眼つきに恐ろしさを感じるからだ。それを分かっているのか、妖艶な笑みを浮かべるが、それがさらに恐ろしさを呼ぶ。
 桃井は妻帯者だった。怜奈の誤算は、桃井が自分に真剣にほれ込んでいたことだった。夫を殺した最大の理由は財産目当て、それは分かっていた。共犯の桃井に金を渡してそれで終わりのはずだったが、桃井がしつこく付きまとう。
 桃井とすれば、怜奈との関係を半永久的に続けていきたかっただけなのだが、怜奈にとって桃井は過去の人である。すでに邪魔者であった。
 朝井には怜奈の妖艶で不気味な笑顔の裏に隠された陰謀が分かってきた。
――俺を使って、桃井を殺させようというのか――
 何というしたたかで芯からの悪女なんだろう。考えただけでも恐ろしい。
 だが、桃井も自分を殺した男、二人同時に復讐してやる。
 桃井の人生はここまでで、殺すかわりに、この身体をやつに植え付けてやる。そして怜奈には、老女になってもらい、そのまま寿命までを全うさせてやる。二人にとっての生き地獄である……。
 世の中、本当に何が起こるか分からない。そんな夢を見ていた朝井だったが、
「ご臨終です」
 と言った医者の言葉だけがなぜか夢から覚めても抜けない。
 寝かされているベッド。そのまわりですすり泣く声が聞こえる。
 真っ暗な部屋で、コートを着た男二人と、怜奈がいる。すすり泣いている怜奈は下を向いていて表情が分からない。
 線香の匂いがなぜか分かる。煙たさも分かる。だが、そこに横たわっている自分の姿、それだけを見ることができなかった……。
「結婚記念日だったのに」
 怜奈の言葉だけが、その場に虚しく響いていた……。

                (  完  )






作品名:短編集53(過去作品) 作家名:森本晃次