洋舞奇譚~204号室の女~
2時間ほどの打ち上げが終わった後、またしても彼女がビルの出口近くにいた。無理やり、数人でお茶をしてから帰ることにした。11時になるころにはもう彼女はいなかった。
近くを歩いているときに、写真や動画を撮っているんだ。
バレエのクラスはいつもは平日の夜だったが、舞台が近くなると、土曜のお昼にも行くことが多くなった。
土曜日の昼、原宿はものすごく人が多い。竹下口を出たところ、人だかりの中に彼女はいた。
泰子がレッスンを終えて帰る途中、花屋のところの電柱に隠れるように、スマホを胸元にもって立っていた。何回も、その様子は見かけた。
そして、木曜の夜は、駒込駅の改札前に立っていた。
木曜の夜、改札にいるな、と思って通り過ぎた後、ゆっくり歩いていると、一本隣の通りを走る彼女を見た。すごい勢いで走っていた。マンションで待ち伏せるつもりかもしれない。
直観で、泰子は遠回りをして買い物をした。
彼女はエレベーターホールの外に立っていた。何人か、住民が出入りした後、外階段を使って帰ったようだった。彼女は二階なので、エレベータより外階段のほうが移動が早いのだろうか。よく外階段を使っているようだった。
そろそろ、泰子は疑問に思うようになった。
気付かれていないと思っているのだろうか。
それにしても、どこで演奏会の情報を得ているのだろうか。
今の時代、検索でもすれば、すぐに見つかるのだろう。演奏家なんて、人気商売でもあるし、仕方ない部分もあるかと思った。
11月になった。珠子さんとの企画演奏会は、雑司が谷のクラシック専門ホールで秋晴れの午後だった。彼女ははじめからいたわけではない。
泰子が何曲かのソロ、ソプラノの伴奏をする頃にやってきた。
ピアノフォルテのSNSに掲載したプログラムを見ているんだな、と泰子は確信した。
忘年会のシーズン。
どういうわけか、平日にもかかわらず、彼女は六本木の病院隣のビルの入り口付近で出待ちをしていることが多くなった。ちらりとふりむいたりすると、物陰に隠れる。
泰子がタクシーを拾ってしまうと、さすがについてこない。
近場でレントゲン技師と会食した時は、すごい勢いで裏道を追ってきた。
会員制クラブに泰子が入ると、その手前のコーナーでじっと立ち止まっていた。
12月の金曜日、職場近くの友人宅でクリスマスパーティがあった。
少々ドレスアップしていた泰子であった。のんびりと歩いてタワーマンションに向かう泰子を、彼女はまたすごい勢いで追いかけてきた。知っている道を行く泰子の後を追いかけている彼女は、信号のトラップなどで焦りながらすごい勢いだった。
赤坂のタワーマンションは地下鉄に直結した入口が合って、ガードマンとコンシェルジュがいる。地下鉄のその出口は、タワーに用事がある人しか通らない。コンシェルジュが恭しく泰子を案内しているときにちらりと見ると、ガードマンに声をかけられた彼女はしばらくこちらを見ていたが、間もなくまた地下鉄に戻っていた。運動能力は高いみたいだ。
泰子は演奏会によく行く。招待も多いし、友人と好きな演奏家を聴きに行くことも多い。
紀尾井ホールで、モスクワ音楽院の教授がリサイタルをしたのは二月のこと。土曜の昼、クリニックが終わってから、ちょうどよい時間であった。行った時には見当たらなかったが、帰りに四ツ谷駅で自分の左前方に彼女を見かけた。バレエのタンジュの動作をしていた。運動能力が高そうなのは、バレエをやっているのかもしれない。
金曜日の夜、サントリーホールに出かけるときは、10分ほどなので歩いていくことも多い。住宅街の裏道を通っていく泰子の後ろを、カメラを向けながら追いかけていた彼女は、ホールの入口で止まった。当日のチケットはあったようだが、少々高額な巨匠であった。
三月、泰子は、金曜日の演奏会を企画した。そのころにお教室の演奏会があるという友人が数名いるので、リハーサルを兼ねてホールを使おう、という企画である。
泰子の友人たちは、なかなか忙しい社会の第一線の人々であった。月初の金曜は、比較的夜は自由になりやすい。18時過ぎから、2時間の演奏会は、6名ほどが参加し、近場であったので観客も多数来てくれて盛会であった。知人にしか告知をしなかった会に、彼女は来ていた。会場に入ることはなく、ホワイエに座っていた。
終演後、会食に向かう泰子たちの一行の、右側やや後方を走るようにして彼女はついてきた。スマホを胸元に持ち、カメラを泰子たちのほうに向けていた。会食の場所は近くのテレビ局御用達の店で、業界人の友人の紹介だった。ふらりと入れる店ではなく、彼女の前でドアマンが恭しく扉を閉じた。2時間ほどの会食が終わった後、地下鉄に向かう歩道橋をあるいていると、斜め後方に彼女がいた。すごい勢いで、追いかけてきていた。
ある金曜日、泰子は文化服装学院の博物室にでかけた。見せてもらえるという衣装の展示があったからだ。いつもと違うルートであった。隣のビルの美容室前、エレベーターホールにいた彼女は、六本木の大江戸線に乗った時点で、彼女は1本遅れた。新宿の複雑な出口を通って10分ほど歩いていったのだが、見終わって出てきたところに、彼女がいた。受付で何か聞いていて、受付の人がやや困惑している様子であった。閉館時間であったのだが。
泰子がそのまま帰路につくと、またすごい勢いで追いかけてきた。地下街の迂回ルートを使ったところ、見失ってもらえたようだった。
泰子の予定をどうやって調べているのか、と疑問に思う。カレンダーのハッキングでもしているか、とも思ったが、それにしては、行く先を知っている動きではない。
ストーカーだなと思うが、とにかく知らないふり、を続けるしかない。
この年の桜は早かったが、思いがけない雪が降り、名曲演奏会は雪の中だった。早目に咲いた枝垂桜を見に行った大学近くの寺には、どういうわけか彼女が先にいた。泰子が前のシーズンに着ていた通販で安かった夏物のワンピースを着ていた。まだ寒いのに。
神奈川方面の女性ピアノの会ではいつも公共ホールを借りての演奏会がある。あざみ野のホールで開催したとき、泰子は最後に弾いたのだが、開演前に彼女を見かけた。観客が関係者ばかりであったので、休憩時間の終わり間際に入ってきて、端に座っていた。また打ち上げ会場までついてきていたが、帰り道にはいなかった。
ゴールデンウィークの1日、泰子が企画したのは、連弾の演奏会で、表参道の小さなホールを使った。あまり告知しなかったにもかかわらず、満員御礼で楽しい会になった。
終演後打ち上げに出かけるときに、ホールの前、カフェのウィンドウを見ている彼女がいた。近くのバルで三時間ほど散々おしゃべりをして出てきたら、同じような場所に彼女がいた。カメラをこちらに向けていた。
この年は暑い夏だった。いつも実家から横浜のクリニックに行っている泰子は、夏休み期間になって少しだけ空いている横須賀線に乗った。そしてびっくりした。彼女がいるのだ。一つ離れた斜め向かいの座席に座っていた。そのとき、泰子は思い出した。いつかの月曜日の朝、横浜のクリニック近くのスターバックスで見かけた女性。あれは彼女だ。しかも、たしか1回ではない。
作品名:洋舞奇譚~204号室の女~ 作家名:夕顔