洋舞奇譚~204号室の女~
恵比寿の駅でもたびたび見かけた。日比谷線には乗っていないときでも、恵比寿の山手線ホームの同じ車両に乗ってくる。乗り換えの途中で、後ろにいることに気が付くこともあった。ホームでは柱の陰に隠れるように立っていた。視線を感じて振り向くとすっと隠れた。
時には、土曜から2日間ほど実家に帰ることがあった。六本木から恵比寿、そのまま湘南新宿ラインである。湘南新宿の車内で見かけたときには驚いたが、横浜で降りた。そんなことが2回あった。
変だなと思って、泰子は少々調べ物をした。
名前は、知っていた。封筒を見たので。
すぐにいろいろ、わかった。40歳ぐらいかと思っていたが、34歳。
大学病院には患者で来ていた。泰子の夫が数回診察している。あとは、皮膚科と総合診療科。患者だったころは東都大の学生で、農学部の大学院生だった。かれこれ8年ほど学生で在籍している。頻繁に山手線で見かけるようになったころ、出身校である農業大学に農業マーケティングの講座の助教で採用されていた。学位が取れたのだろう。こればかりは、がんばったな、と感心した。泰子でさえ、医学博士の学位をとるには3年かかったから。あげくに、女子が、一般の理系で、大学院まで行ってしまうと、その後の人生はなかなかに大変だったりする。
なんと、同じマンションに住んでいる。最近、入居があった2階のワンルーム。職が決まったので転居したのだろう。勤務先の農業大学は、渋谷から田園都市線とバスを乗り継ぐ。9時に出勤であれば、泰子と同じ電車に乗ったら遅刻だが。木曜はなおのこと、全く遅刻だ。金曜は、早退か。大学の教職員はかなり自由度が高いが、それにしても自由過ぎだ、と思い、シラバスを調べた。今はなんでも調べられる。
初年度の助教だから、担当時間が少なかった。週3回ほどで、朝一番のコマは持っていない。納得である。学位の論文が仕上がって、時間ができたのだな。
しかし、それにしても。なぜ泰子と同じ場所にいるのだろうか。
芳江先生の音楽教室は山手線の数駅はなれたところにある。毎週同じ曜日、同じ時間、に行くようにしていた。伴奏合わせもあるので、毎週だったが、時々時間が違った。
あるときから、気が付くと、彼女が同じ時間、同じ電車に乗っていた。いつも、先にホームにいる。そして、同じ駅で降りる。しばらく同じ方向に歩いていく。泰子の後ろからのこともあれば、前を歩いていることもあった。途中、住宅街になるあたりで、右に曲がっていく。同じ時間に、同じような場所で用事があるのか。
いつもと違う時間であれば、いなかった。
何か月か、そんなことが続いて、泰子は彼女が曲がったあたりを調べてみた。接骨院がひとつ、あとはそろばん塾。バイトか、患者か、いずれにしても可能性はあるなと思ったが、ある日、彼女はその場所で曲がったあと、ビルの軒下に入り、立ち止まってじっとしていた。回り道をしながらそっと観察していると、しばらくして、もとの道を帰っていた。
この近くに、用事は、ないのだ。
月に1回ほどは、会議で遅くなることがある。山手線は18時を過ぎると帰宅ラッシュがすごい。いやだなと思いつつ乗っていると、また視線を感じた。
3人掛けの優先席の前にいると、右側に車両連結部がある。そこに、彼女はいた。スマホを胸元にもっていた。
泰子はいくつかの会社の産業医を引き受けていた。嘱託なので、数ヶ月ごとの職場巡視と安全衛生委員会に出席するのが主な業務だが、クリニックが終わってから、先方の業務時間内に訪問することが多い。金曜の17時、いつもと反対方向の日比谷線で、東銀座まで乗った。約束の時間まで少しあったので駅前のカフェに入った。ドアの外、小雨が降る隣のビルの前に、彼女はいた。店内を覗き込むように、スマホを胸元に持っていた。
その年は、桜が遅かった。
大学の近くに、素晴らしい枝垂桜が見られるお寺がある。八百屋お七の逸話がある古刹だ。何回か、泰子はSNSに写真を載せた。
大学の診療が終わった木曜日の午後、久しぶりに用事がなかったので、泰子は桜を見に行った。人もまばらな境内に、彼女がいた。タブレットをもって、写真を撮っていた。
バレエは不定期だった。ほぼ同じ曜日に行くようになったのは、時間割が変更になってトウシューズのクラスに定期的に行けるようになったときからだ。帰宅が午後九時ぐらいになるクラスに、ほぼ毎週行くようになった。
帰ってきた駅の改札口、出たところに大きめの柱が二つ。
改札口に近いほうの柱の陰に、彼女はいた。胸元にスマホを持っていた。
駅前のコンビニで買い物をする。翌日の朝用におにぎり、などである。
そのコンビニでも視線を感じた。陳列棚を挟んで反対側、泰子が顔を上げると、さっと隠れたのは間違いなく彼女。
近くのスーパーで買い物をする。夕食の材料などである。
また視線を感じた。斜め後ろにいて、買い物かごの中を覗き込んでいた。
気味が悪くなってきたので、泰子は彼女を見かけたら避けるようにした。
夫にそれとなく聞いてみたが、数年前に少しだけ診察したアレルギー性胃炎の患者のことなどまったく覚えていなかった。
泰子はとてもおしゃれである。日常着ているのは、パオラ・フラー二の洋服が多い。小物はエトロかグッチである。一方で、仕事にいくときなどは、手軽に通販のワンピースなどを着ていることも多かった。
朝、同じ電車に乗ってきた彼女は、見たような柄のワンピース。デザインが違うが、泰子が着ていた通販のものと同じ柄。
夕方、三菱銀行の前にいた彼女は、見たような色合いのスカート。泰子が着ていたパオラ・フラー二のニットスカート。
土曜日の昼、三菱UFJの前にいた彼女が持っていたのは、見たような独創的デザインのバッグ。泰子が持っている10年ほど前のエトロのトートバッグの色違い。
足元には、地味だが、2足目のスペイン製。
夏の暑い土曜日、泰子は、金沢の提携大学が企画した演奏会に出かけた。
衣装バッグをもって山手線にのったら、彼女がいた。
大丸でお弁当を買って、北陸新幹線に向かった。すごい勢いで、人混みをかき分けて進んでいる彼女がいたが、新幹線改札口で当然ブロックされていた。
9月にスペイン音楽の演奏会があった。
学会主催になったので、プログラムは学会のホームページにフルネームで記載されていた。当日は満席だった。
客席に、彼女はいた。演奏者の集合写真を撮っていたときには、スマホで写真をとっていた。会計報告で、当日チケットも数枚出ましたね、とのことだった。
10月に、外苑前の新しいサロンで、サークル・エトワールの演奏会があった。
とても心地よく響くサロンで、泰子はこのところ弾きこんでいるショパンのバラード、2番と4番を弾いた。このところ、気の合う腕のいい連弾相手に恵まれていて、メンデルスゾーンの連弾も楽しかった。
客席に、彼女がいた。
派手にメイクをして、びっくりするほどドレスアップしていた。パオラ・フラー二の透ける素材のワンピース、エトロのバッグ。
集合写真のときも、泰子が弾いた後も、写真をたくさん撮っていた。
終演後、打ち上げに行こうとすると、彼女が近くにいた。スマホをこちらに向けて、斜め前を歩いていた。
作品名:洋舞奇譚~204号室の女~ 作家名:夕顔