洋舞奇譚~204号室の女~
珠子さんは、不思議な経歴の持ち主で、文系の大学に行ったが、2年で中退してしまい、職を転々としつつ、30過ぎて音楽専門学校に行き、しばらく新幹線の客室係をしながらお金をため、ロンドンで音楽の勉強をしてきた。帰ってきたが、音楽の職はなく、派遣でデパートのお菓子売り場で働いている。ピアノは上手ではあるが、なんというか、きちんと弾くタイプ。自分が演奏する場はないようで、会の企画には熱心、妹の子供にピアノを教えているとかで、発表会をしてやりたい、というのが第一の希望で、最初は浦安の公共ホールを使った。珠子さんの両親(姪のおばあちゃん)などが来てくれて、自分たちでも企画できるねえ、という感じで、色々と話が進んだ。
11月、芳江先生の演奏会の2週間前に、浜松町にあるサロンでコンサートを企画した。その名もピアノフォルテ。参加者も期待通りの人数で、なかなか賑やかな会になった。演奏会の宣伝も兼ねて、康子はホームページやブログを熱心に更新するようになった。折しも、ずっと使っていたケーブルのアカウントが使えなくなるので、フリーのホームページサービスに丸ごと引っ越したのもこのころだった。演奏動画も、アップロードして見れるようにしていた。ショパンとラフマニノフは評判が良かった。
その女性は、銀行の前にいた。六本木交差点から泰子の勤務先までの間に、セブンイレブンと、三菱UFJ銀行のATMがある。ATMのドアの前、ただ、立っていた。
何日も、そこで見かけた。そのあたりに勤務しているのかなと思った。
金曜の夜はよく美術館に行く。
六本木から上野は日比谷線で1本、東京都美術館で見たのはバルテュスの展覧会。あまり一般的ではない画家だから、空いていた。また視線を感じで横を見ると、彼女。すぐそばで、康子の足元あたりを覗き込むようにして見ている。近いでしょ、と思って、すぐにその場を離れた。違和感が残った。なんだろう。。
数日後、また電車が一緒になった。ふと視線を感じて顔を上げると、彼女はこちらに向いて立っていて、スマホを自分の胸の前に持っていた。そのカバーが、康子が使っているものと同じ、ラプンツェルの、音符とイラストの。
心臓が冷たくなった。なにか、おかしい。
康子はおしゃれだ。
お金もあるし、美人でスタイルもよいから、かなり素敵に見えることは知っている。気に入っているブランドがいくつかあって、エトロ、パオラ・フラーニ、エミリオ・プッチなど、イタリア系のプリントが多い。靴はスペインのものが好きで、旅行に行っては買ってくる。日本で買うのは主に表参道あたりのセレクトショップか、鎌倉の行きつけの靴屋だ。特殊なデザインの靴が多い。
演奏会のドレスも、舞台で映えるように、曲構成のイメージに合うように、数か月前に注文で作っている。たまにはネットで安いものを買うこともあった。
暑い夏の始まりの日、康子の目に留まったのは、ペイズリープリントの布製のバッグ。持ち主は彼女。よく眺めると、康子が持っているエトロのサブバッグの色違いのようだった。よく見ると、サンダルのようなものを履いていた。スペイン製の靴だった。彼女はまたスマホを胸の前に持っていた。
大学病院は一時経営がかなり傾いていたが、銀行の介入と経営陣の交代があって、おおいに持ち直し、新しい病棟を建て始めた。学生もレベルダウンしていたところだったが、学費を大幅に減額した結果、偏差値は急カーブで上昇、泰子たちの時代程度には回復していた。新病院での外来診療も始まった。泰子の担当する外来は二階フロアの端に位置していた。新病院の入口がまだ完成していない。医局棟は病院の裏側、かつて基礎医学の実習室があった場所に移動していた。セキュリティが強化されており、パスがなければ入れないようになった。勤退管理の登録も同じ場所になった。
十月のある晴れた日、その裏側にある管理棟の入口に向かっていると、前方からあの女性が歩いてきた。関係者しか通らないルートである。妙だな、と思って振り返ると、病院に入っていった。
外来フロア、二階の待合室に彼女は座っていた。通路沿いにある柱の陰にかくれるように、座っていた。
患者か。
次の週も、彼女は待合室にいた。
その次は、同じバスに乗っていた。そして、何度も、午後二時過ぎの東大前駅にいるのを見た。いつもいるなあと思ったが、患者だったら同じ曜日に通うだろうか。もっとも、体が悪いようには見えなかったが。ある日、彼女は黒いトートバッグを持っていた。見覚えがある。学会のコングレスバッグだ。数年前に主幹をやったときのもので、泰子がデザインをしたので間違えようがない。他大学の関係者か、事務局の関係者だろうか。
自主企画の演奏会も年数回を数えるようになり、ほかの演奏会も含めると、毎月1回ぐらいはホールで本番という、かなりハードな演奏者生活になってきた。
チェロのほうも順調に上達し、オーケストラに呼ばれることもある。アマチュアの音楽界はなかなかに活動が多く、一方で狭い世界。芸術の領域は、経歴がものをいう部分はあるが、実績のほうが重要で、特別な資格試験があるわけでもないから、プロとアマチュアの区別はなかなかつけられないように思われた。演奏を、売ることができるか、そこだけだと思った。伴奏ピアニストとしての腕はかなり評価が高い。事務所(芳江先生の音楽事務所である)としては、均一の伴奏ピアニスト料金をとったらどうかというので、伴奏ピアニスト協会に登録することにした。動画をみたり、演奏を聴いて直接依頼がくることもあった。もともと好きなスペイン音楽関係では学会での論文発表などもしていた。
彼女は、混雑する朝の山手線の中にいた。同じ車両の隣のドア。池袋で大量の人が降りた後、泰子はたいがい座れるが、その日、彼女も隣に滑り込むように座ってきた。バッグの口が開いていて、中の封筒が見えた。今井麻子様、と宛名のかかれた封筒だった。
その年の春は、東京で大きな学会があった。久しぶりに会う先輩や後輩と、銀座で美食三昧だった。一時期のように、製薬会社が接待で、ということはなくなった。もともと業務上の会食などは嫌いであったが、おいしい食事は大好きなので、機会を見つけては食事会に行くのが楽しみだった。
ゴールデンウイークを過ぎたころから、頻繁にその女性が同じ電車に乗るようになった。泰子は毎日同じ時間に同じ場所に行くわけではないが、週3日ほどは同じ経路をとる。
駒込から恵比寿まで山手線、である。同じルートをとっている人はたくさんいるので、各段不思議には思わなかった。あれ、と思ったのは帰り道である。
三菱UFJ銀行の前に、毎日のようにいるのである。
その近くで仕事をしていて、帰りがその時間なのかもしれない。しかし、六本木の交差点から、泰子の職場までは3分ほど、ノートパソコンを持ち歩くような職種がある職場はない。しかも、一般職で、泰子と同じ時間帯の勤務というのは、条件が良すぎる、少々理解しがたいものだ。契約社員ならありうるが、むしろ時間帯が違うだろう。
六本木の駅にもたびたびいた。康子が乗る17時すぎの電車に乗ってきた。いつも、ホームにいて、泰子が乗った後、隣の車両に乗ってくる。
作品名:洋舞奇譚~204号室の女~ 作家名:夕顔