洋舞奇譚~204号室の女~
次の先生はコンクール関係の事務局で探してみた。いろいろ条件を出してみて、20時以降の夜でレッスンができる、というのが第一条件なのだが、あっという間に絞られた。事務局の人は、泰子の演奏を聴いたことがあり、かなりの指導経験がある先生で、と勧めてきたのは、コンクール入賞者も出しているし、音大にもたくさん入れているという泰子より10歳ほど上の先生だった。体験レッスンをということだったので、泰子は次のサークルで弾こうと思っていたグリーグの叙情小曲集を持っていった。エネルギッシュな芳江先生は何ヶ所か、表現方法を指摘した。仕事のことも、お忙しいですよね、だから夜をご希望ですね、とあっさり理解した。自分のところでは年に3−4回の公開演奏を企画しているので、時間が合えば出てください、もしコンクールに出るとか、演奏会をやるとかであればそれも見ます、とのことだった。泰子も考えたのは、レッスンに行くのなら週1回は行かないと、後戻りするだけだ、ということだったので、毎週通うことにした。
他にも、体験レッスンを何人か頼んでいた。留学から戻ったばかりの若い先生は、とても楽しく曲の解釈や、演奏の作り方を教えてくれたが、時間が合わなかった。しかし、短時間で曲を形にする方法、を教えてくれて、とても参考になった。お医者さんも生徒さんにいますよ、といわれ、定期でなくても、セカンドオピニオンみたいなことでもいい、ということだったから、時々お願いしようかと思ったが、いつも通うには時間が合わなかった。下町で音楽教室をしている先生は自宅が教室だったが、最初から、私が教えるられることはあまりないように思いますと、少々引き気味で、伺ってみると確かに生徒さんはみな小さいお子さんばかり。ショパンのノクターン18番を持っていったので、弾いてみると、わたしも弾いたことないですよ、と、もし通われるのならば、どちらかというとゲストのような感じですね、発表会で講師演奏の連弾とかしていただけるといいのですけど、といわれた。ピアノの先生もいろいろだな、というのはわかった。泰子が高校までついていたのは芸大の先生方ばかりだったが、そういえば、社会人の生徒というのはいなかった。生徒は音大を出ると自分が先生になったりしていたから。
新しい先生のところは泰子の自宅の隣駅で、歩いても20分ぐらいで着く。秋の学会が終わった後から、ということで提案したら、それはちょうど秋の演奏会のあと、ということで、都合がよかった。1月に、次の演奏会があるから、なにか弾いてください、とのことであったので、泰子はシューマンの「夜に」、を選んだ。
1月の会は、ファツイオリがつくったショールームだった。ビルの倉庫のようなところだが、すばらしいピアノがならんでいて、実に楽しく弾いた。門下生は20人ぐらいいただろうか、現役音大生も多く、かなりのハイレベルでもあり、一方で、習い始めて数年という50台の男性も何人かいた。先生は声楽を教えていて、歌を主にやっている方も何人かおり、専門家じゃなくてもオペラアリアを歌うということに驚いた。選曲が少々マニアックであったことが前評判を呼んでいたらしく、泰子はいろいろ話しかけられ、早速声楽の伴奏をたのまれてしまった。
人前での演奏というのは、一般的に緊張を招くらしい。医者をしていると、よく講演をする。学生の授業もする。泰子は人前がまったく苦手ではない。芳江先生は舞台度胸をほめた。4月と5月にまた会があるので、選曲をしてくださいといわれた。泰子はおぼろげに理解した。この先生だと、3ヶ月で作品を仕上げることになるのだ、と。フォーレのノクターン4番と、シューマンの夕べに、を選び、久しぶりにコンサート会場で弾くことになったのを、両親も夫もよろこんでいた。演奏会には来てほしかったが、父はもう体力がなく、実家にいるときに、隣の部屋でよく聞いていて、むかし弾いたモーツァルトやベートーヴェンをリクエストしていた。演奏会はお客が総勢100名近く、盛会であった。ドレスアップしての演奏は久しぶりで、さすがに緊張したが、状態のよいスタインウェイのフルコンは楽しく、しかし、まだまだ弾きこみが足りないのを実感させられた。
ピアノサークルの管理人ももこさんが演奏会に来ていて、花を用意してくれた。
ももこさんとは連弾をしたりと一緒に演奏する機会も多かった。サークルは演奏会という名の公開演奏を何回かしており、メンバーも固定してきたし、楽しかった。
父がまだ聞ける間に、と思って、泰子は若いころ、弾ききれなかったショパンのバラード1番を練習した。なんとか暗譜もでき、秋のホール演奏会では最後のコーダで崩壊することもなく、また、ももこさんが来てくれて、花束をくれた。
そのころ、共同管理人だった さんが結婚してこられなくなり、音大声楽家のあきこさんが突然来なくなったあと、ももこさんのメンタル不調でサークルは空中分解してしまった。泰子もももこさんから少々恐ろしい目にあい、交友関係には気をつけようと思った。
ほかにいくつかサークルを探して、実家のある神奈川を拠点にするプロヴァンスと、都内中心に活動する大人のサークル、エトワールに参加してみた。結婚している人や、もうそこからは超越した人、が多く、どちらもまともかな、と思った。
バレリーナの母と話したことが泰子にきっかけをくれたのは確かだ。踊りたい、と思ったのだから。バレエはピアノが忙しくなって、7歳で止めた。1年しかやっていないのに、楽しかったことは覚えている。ピアノに合わせて飛び跳ねるのが楽しかった。バレエというより、リトミックみたいだったけど。肩こりも悩みだった。頭痛も悩みだった。不眠にも悩んでいた。動いたら、たぶんよくなる。
バレエは躊躇した。きついだろうなと思ったからだ。好きなスペインの踊りはどうだろう。通勤途中にあるフラメンコ教室が気になっていた。新宿のスペインバルで見るフラメンコの舞台も好きだった。
体験レッスンに行ったのは土曜日の夕方。ちょうど発表会が近いという時期で、熱気のこもったスタジオで、一緒に体験レッスンを受けたのは二人。同じ年頃のOLさん。先生は時折スペイン語を交えつつ、簡単な振りつけね、と言って、少しだけ足を打つことと、腕を使うことを教えてくれた。少しだけといっても、慣れないことで、1時間後にはへとへとだった。でも、音楽に合わせて動くのが楽しく、発表会後の新しいクラスに参加することにした、翌日。立てない。地下鉄の階段が、降りられない。筋肉痛だ。ショックだった。負けず嫌いの泰子は、筋トレマニアになった。
スペインのロマ音楽はリズムが特徴的で、エネルギッシュで情熱の塊。深い人生の悲しみも味わいもそろっていて、すぐにのめりこんだ。思うように体は動かないが、楽しかったし、なにより、頭痛が消えた。安眠は相変わらず出来なかったけど、少し幸せになった。
作品名:洋舞奇譚~204号室の女~ 作家名:夕顔