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癌になった親の介護記録

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私はその後もしばらく何も言わずにいたが、ふとした時に息子に聞いてみた。
「もしも、おじいちゃんが居たら嬉しい?」と…。
息子は満面の笑みを浮かべて「え?おじいちゃん生きてるの?お婆ちゃんは天国にいるじゃん!会ってみたい!」と無邪気に言った。

こうして、何度か会って食事をしたり孫を遊びに連れて行ってくれたりしたある日、
「もうすぐ定年になるし…迷惑でなかったら一緒に暮らしたい…」と父が言った。
私はこの時、息子と父が公園で偶然会って会話をしたのは因縁だと思った。
そして、私にとっては嫌な存在でも、息子にとっては優しいおじいちゃんなのだから、歳をとって少しはかわったのかもしれないと自分に納得させた。

そんな事を思い出しながら、車を走らせ帰宅した私は、ありのままの病状を息子に話した。息子も冷静を装っていたが、顔つきは信じられない様子だった。

次の日、朝早くに病院から連絡があった。父の容態が悪く、峠を越えられないかもしれないとの事だった。
息子には普通に仕事へ行くように伝え、私は急いで高速に乗り病院へ向かった。
この時は、「私が着くまでは生きててよ!」と言う気持ちだけだった。

病室に着くと、顔を真っ赤にして息遣いが荒い父が先生や看護師に囲まれていた。
熱が39度を超えているとの事で、周りがざわついていた。
先生から「身内の方に連絡をしておいた方が良いかもしれません」と言われ、私は、取り急ぎ父の妹に連絡をした。

叔母は急な話しに言葉を失っていたが、私が子供の頃から身近で我が家を見ていたのもあり、「兄さんが最後まで迷惑かけてごめんね。」といつもの声で言った。
叔母にも生活があり、少ない年金とパートの収入で生活しているので、すぐには来れない事は分かっていた。

とりあえず、身内への連絡や職場への連絡を済ませた私は、病室に戻って椅子に座り込んだ。(息子には何て言おう?)と思いながら、LINEを開き始めた。
仕事中だから出来るだけ動揺させない様な内容を打ちたかったが、打った言葉はオブラートに包んでいるとは言えない言葉だった。
「おじいちゃん、死んじゃうかもしれない」と…。

それから、お昼休みになった息子がすぐに電話をしてきた。
「今、会社に説明して帰らせて貰ったから、このまま病院に行く!」と言った。
私は、迷惑をかけてしまったと思いながらも、息子が来てくれる事に安堵した。

病室に戻って息子が向かっている事を父に話すと、息を荒げながらも父は嬉しそうに笑っていた。「急ぐと危ないから、ゆっくり来い!って言ってくれ」と…。

それから30分程で息子が病院に着き、早足で病室に来たのが分かると、父は満面の笑みで「悪いな、迷惑かけて!」と精一杯の声で言った。
息子は元気を装い「じいちゃん、俺が来たんだから早く良くなってよ!」と笑顔で言った。とりあえず、昼食を摂っていない息子を連れて病院の食堂に行くと、息子はやはり険しい顔になっていた。そして、「あんな苦しそうな顔、初めて見たわ…」と呟いた。

30分程食堂で色々と話をして、お互いに覚悟を決めると、再び病室へと戻って行った。とにかく明るく振舞おうと二人で決めていたので、いつも通りの対応を心掛けた。

その日は夕方まで付き添い、先生からも「急変したら連絡しますから、一度帰って少し休んでください」と言われ、私と息子は病院を後にした。

家についてからも私達は至って普通に過ごし、疲れていたせいか、いつのまにか寝ていた。

次の日、朝の9時頃に病院から電話が鳴った。休みを貰った息子と私は飛び起きた。
私は、(やっぱりダメだったか…)と思いながら覚悟を決めて電話に出た。
担当の看護師さんだった。何となく声が明るかった事を覚えている。
「お父様ですが、朝になったら熱が36度8分まで下がっていて、危険な状態を何とか越えられた様だと先生から言われましたので、まずはご連絡させて頂きました!」と。

私は、自分が思っていた事とは真逆の展開にとても驚き、「えっ?あっ!えっ?」と
おかしな返事をしていた。
電話を切ってから息子は「何て言ってた?すぐに支度して行くの?」と慌てていたが、
私が「おじいちゃん、熱が下がって峠を越したらしいょ…」と徐に言うと、
「は?何?どう言う事か意味が分からない!」と理解できないでいた。

とりあえず、一度落ち着こうとして二人で椅子に座ると、昨日までの数日が嘘だったかの様に拍子抜けしてしまった。
何より、父の生命力に私と息子は驚かされた。
息子は思わず「じいちゃん、やっぱ気持ち悪い!無敵じゃん!」と呆れていた。

その後、先生から告げられのは、元々は体が丈夫で病気と言う病気をしてあかったから
薬と点滴が効いたのだと言う、何とも笑ってしまう様な事だった。
病室でも、ベットのギャッジを上げて座位になっている父が居た。
にっこり笑いながら、「テレビが見たい!」と言い放った。

こうして、持って二時間だと言われた父は一週間程で良くなり、問題の食道癌の治療へと臨む事になった。



〈エピソード2〉

季節はもう年末に近くなっていて、本人は「早く治して家に帰りたい!」が口癖になっていた。身体は良くなっているのに一向に退院出来ない事を不審に思う様になり、夜も眠れない日が続いていた。
まぁ、当然ながら私でも同じ事を思うだろうと考えた私は、先生と色々と話した結果、今の状態からして、癌を本人に告知した上で闘病した方が良いのではないか?と言う結果に至った。先生からも、「体力がある今のうちなら選択肢はいくつかあります!」と言われた事もあり、本人に告知する事を決めた。

告知当日、相談室に呼ばれた私と父は、先生から告知を受けた。
父は、自分がどうして退院出来ないかを悟り肩を落とした。
先生から「これからどうしたいですか?一番やりたい事は何ですか?」と聞かれ、
父は「十分生きたし、今はご飯が普通に食べたいです!」と言った。

私は少し驚いた。絶望して泣き崩れてしまうと思っていたのが正直なところだったので、十分生きたから、後は好きなものを食べて死にたいと思っている事が、何とも潔く見えたからだ。

それを聞いて、先生から3つの提案を出された。
前提として、手術にはかなりのリスクはあるが、必ずしも乗り越えられない状態ではないと言う事だった。どれを選ぶかは本人に任せると。

1つ目は、完全に癌を取り除く為には声帯まで取るしかないとの事。
当然、手術する事になり、食べる事は出来るようになるが、その後は喋れなくなるのだと言う選択。
2つ目は、根治出来ないが食道に物が通るだけ癌を取り除き、残された時間を治療しながら生きるかと言う選択。
3つ目は、癌は取り除かず抗がん剤と放射線治療をして安全な道を選んで行く事。
ただし、癌は取り除かないので、普通に物は食べられないと言う選択。

この3つの中から父が選んだのは「二番目」だった。
父の希望は「食べる事」で、話せなくなってまで生きるより、皆と話しながら食べたい物を食べて死にたいと言うのが選んだ理由だった。

方針が決まったところで、やっと本人は退院したいと言わなくなり、眠れない事も無くなった。年末年始を病院で迎える事も仕方ないと諦めた。
作品名:癌になった親の介護記録 作家名:TSUKIKO