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癌になった親の介護記録

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2017年、12月に同居している父が食道癌になった。
ステージ4と診断され、急遽、入院する事になった。

我が家は、私と息子と父の3人家族で、私が一家の大黒柱で働き、定年している父は
高校生だった孫の世話をしながら暮らしていた。

父の喉に異変が起きたのは9月頃だったが、本人も風邪をひいたせいで喉が痛む程度にしか考えていなかった為、私にも異変を言わなかった。
こうして痛みと違和感を抱えたまま過ごし、12月に入ると痛みで物が全く食べられない状態になっていた。

(様子がおかしいな?)と思った私は、父が食事中に頻繁にトイレに行く様になったある日、父の後を忍び足で追ってトイレに見に行った事で異変を確信した。
父は、食べ物が全く通らず、食事の度に物が喉につかえてはトイレで嘔吐していた。

私は率直に「いつから吐いている?」と聞くと、「11月頃から急に詰まる様になった」と言った。改めて見ると、父の見た目もかなり痩せていると感じた。
そして、ここで初めて父が「調子も悪いから病院に連れてって欲しい」と掠れた声で言った。

その数日後、仕事が休みだった私は、体調が悪いと言って寝ていた父を市立病院へ連れて行き色々な検査をした結果、そこで先生から「食道癌のステージ4」と告げられた。
おまけに、「無理やり食べようとしていたのが原因で、誤嚥性肺炎になっている」と言われ、直ぐに県立病院への紹介状を貰い、急を要すると言う理由で、その日のうちに入院させて貰った。

いきなり大きな病院に入院する事になった父は、不安げに「俺の病気はそんなに悪いのか?」と言ったが、その時点では父には食道癌だとは言えず、「肺炎になっているだけだから!」と言って入院させた。
本人は、今まで病気などした事が無いのを自慢していたのもあり、まさか自分が癌になったとは思いもしていないだろうと思った私は嘘をついた。

とりあえず、入院した事で本人も私も息子も安心はしたものの、これからどうなるかが全く予想出来なかった。安心と不安が入り混じり、それでも仕事には行かなくてはならない私は、父の病気で仲間に迷惑はかけられないと思い、職場に事情を説明して社員からパートに変更してもらえるようお願いした。
幸い、入社した時に家庭事情は話した上での就業だったのもあり、突然の申し出にも快く承諾して貰えたのは救いだった。こうして、父の闘病に備えた。

父の年齢が70歳だった事もあり、後期高齢者ではない事から、まずは市役所へ高額医療費の申請や、生命保険会社への連絡を済ませ、そのまま入院に必要なタオルやパジャマなどを買いに行き、先生からの詳しい病状説明がある時間まで動き回った。

説明を聞く当日、息子にはいつも通り仕事に行くよう伝え、出来るだけ不安を持たせないように明るく振る舞った。
息子も、自分の祖父が病気でどうにかなるなど考えもしていなかった様で、
「絶対に死ぬ様な柔なヤツじゃないから大丈夫だわ!」と笑っていた。

そんな言葉に少し励まされた様な気持ちになった私は、(何とかなるだろう…)と思いながら病院に向かい、約束の時間の少し前に到着した。

受付を済ませると直ぐに相談室に通され、主治医の先生が入ってきた。
挨拶を交わし椅子に座ると、
「結論的に言いますと、検査の結果があまり良くないのですが…ご本人を交えて病状説明をする前に、ご家族とご相談したかったので。」と言われた。

正直言うと、介護職をしている私にとって、こう言う場面を何度も見ている分、父の状態が良いわけないとは分かっていた。
だから、「とりあえず病状を聞いてから、本人に言うか考えます。」と答えた。

病状は、食道癌のステージ4で、現状では癌の塊が殆ど食道を塞いでしまっている為、
食べ物が一切通らない状態だと告げられた。
しかも、無理やり食べようとして誤嚥性肺炎を起こし、癌は肺のすぐ近くにある為、弱った細胞に転移するのが早いから、肺に転移するのは時間の問題だと告げられた。

そして、手術するしないの話の前に、肺炎で熱が上がり続けている為、
「癌の進行だけを言うと余命は二年くらいだと思われますが、今の状況を見ると、持って二週間位だと思うので、もしもの事があると言う覚悟をしておいて下さい。」と告げられた。

私はこの時、(やっぱり死ぬんだな…)と率直に思った。

説明をして貰った後、病室に着いた私は、「調子どう?」と普通に聞いた。
父は、点滴と氷枕をした状態で「熱があって暑いしボーっとしてる…」と掠れた声で言った。喉に大きな癌があるから声が掠れてるのだと思いながら、しばらく側にいた。

父は苦しいながらも、「先生は何て言ってた?」と聞いたので、私は、至って普通に「肺炎がちょっと酷くなりすぎたみたいで、しばらくは入院だってさ。」と言った。

父は少し寂しげだったけど、それでも入院できて安心した様子が伺えた。

それから二時間程付き添い、「とりあえず今日は帰るから…」と言って病院を出た私は、帰りの道のりで色々と考えていた。

余談になってしまうが、私は子供の頃に父に虐待を受けていた。
酒癖が悪く、呑んではよく暴れ、おまけに女を作っては母を泣かせていた。
騙されて人の保証人になったりもして、今だから言えるけど、本当にクズな親だった。母は借金の為に身体が弱かったのにも関わらず働きづめで、いつ頃からか入退院を繰り返し、ついに私が13歳の時に病気で亡くなった。
私には五つ離れた姉がいたが、母の死をきっかけに当然の様に父と縁を切って出て行ってからは音信不通だった。
それからも色々と喧嘩や暴力が度々あり、私も16歳で家を出た。
長くなるし思い出したくないから私の話しは省くが、それから結婚をして離婚をして子供と2人で暮らしている時に、偶然にも子供が普段遊んでいた公園で工事をしていたおじさんに話しかけられたのが父との再会となった。

何でも、そのおじさんは「おじさんの孫がこの辺に住んでいるみたいだけど、顔を見たことが無いから、きっと僕と同じくらいの年だよ!」と言ったそうで、
私は、(孫って言うくらいだから、おじさんではなくお爺さんだろうな…)と思いながら、「変な人だと怖いから、やたらに話しちゃダメだよ!」と言って、その時は終わったが、数日後、息子と一緒に公園に遊びに行った際、息子が「あのおじさんだよ!」と指差した先にいた工事作業をしている人を見て私は固まった。
何を隠そう…その人が私の父だったからだ。

父も驚いて固まっていたが、私と父が話をしているのを見た息子は、
「おじさん誰?お母さんの知ってる人?」と不思議そうに言った。
その後、しばらく公園で工事をしていた父と遊びに来ている息子は何度か話しをした様だったが、自分がおじいちゃんだとは言わないでいた。
理由は、私が家を出たからか?他に理由があったのかは分からないが…。

そんなある日、息子が息を切らせて帰ってきた。
「おじさん、もう工事終わったから公園には来ないからって、お菓子をたくさんくれた!」と…。両手に沢山のお菓子が入った袋を持っていた息子は、「おじさんからお母さんに渡してって頼まれたよ!」と携帯の番号が書いてあるメモを渡された。
作品名:癌になった親の介護記録 作家名:TSUKIKO