短編集52(過去作品)
公園では子供たちが遊んでいる。数人の親が見守る中、子供たちの容赦のない声が聞こえてくる。
実に楽しそうな声を聞いていると、またしても記憶の逆流を覚えた。公園ではなかったが、家の横にある空き地で遊んでいた子供たちを思い出すのだった。
空き地で何もないとは言え、球技を楽しむことはできた。地面は整備されていないが、子供のサッカーくらいはできただろう。
子供の容赦のない大きな声は、あまり気にならなかったのだが、ある日を境に嫌なものになっていった。嫌に感じ始めてから少ししてから隣の空き地が立ち入り禁止になったため、嫌な気分は少しの間で済んだ。今となっては、何がどう嫌だったのか思い出せないくらいになっていた。
母親も最初から嫌だったわけではないだろう。だが、ある日を境に頭を抱えるように嫌がっている姿を何度か見るようになった。
座り込んで小さくなって、背中を向けている。背中が小刻みに震えているが、泣いているのか、小さくてハッキリは聞こえないが、奇声を上げているようだった。
そんな姿をまともに見れば自分も声に敏感になる。だが、母親が嫌に感じるサイレンの音に関してだけは、静香も平気でいられるのだ。
ということは母親の後姿に刺激を受けているからというのが原因ではないのだろうか。静香は考えるが一つに纏めることができない。おぼろげながらに何かが見えている感じを受けるが、とても自分を納得させられるものではなかった。
声に対する怯えを見ていると、なぜ母親があまり自分の考えを表に出さないか分かってきた。
元々が物静かで、あまり娘にやかましく説教をすることはなかった。
父親がやかましかったわけではない。母親が静かなら父親が口うるさい家庭も多いだろうが、静香の家庭は大人しいものだった。
だが、父親は静かなだけではなく、強い面も持っていた。言葉に出さずとも、母親に対しての威厳や、娘から見た頼もしさは、いかにも一家の大黒柱であった。
だが、出張がちであったので、なかなか父親と話をすることはなかった。だからこそ余計に威厳を感じていたのかも知れない。
父親の背中ばかりを見ていたので、母親が後ろを向いて身体を震わせているのを見ると、何とも痛々しい。別に暴力によるものではないはずなのに、何が母親をそこまでさせるのか、不思議で仕方がない。
「お母さん、どうしたの?」
子供の頃に聞いたことがあったが、
「大丈夫よ。何でもないの。でも、時々こういう風に震えが起きることがあるのよね。お母さんにも分からないけど」
その時、遠くでサイレンの音が聞こえていた。
サイレンの音はどこからしてくるのか分からないが、気にしなければそれほどの大きな音ではない。だが、気持ち悪いのは、どこから聞こえてくるのか分からないところだった。
今でこそ携帯電話を持っていない人が珍しいほど普及してきたが、携帯電話が普及する前というと、ポケットベルが主流だった。
通称「ポケベル」と呼ばれた文明の利器は、ドラマ化されたりして、社会現象にもなっていた。だが、すぐに携帯電話にとって変わられて、短い命であった。
ポケットベルは、短い命ではあったが、急速な進化があった。その進化が携帯電話にとって変わられるという皮肉な結果を生んでしまったが、間違いなく文明の利器であったのだ。
最初は音も数種類しかなく、表示も大した意味を持たなかったが、音にもバリエーションが加わり、さらには、文字や数字が暗号のようになり、仕事以外でも楽しめるアイテムになっていった。
音が数種類しかなかった時、どこからともなく聞こえてくる音に、ビックリしたものだった。時代は携帯電話に移って、着信音がやはり少ししかなかった頃は、どこの誰の電話が鳴ったのか分からなかった。
その頃はポケベルや携帯電話に興味もなかったが、何か気持ち悪さがあった。何に気持ち悪さを感じていたか分からなかったが、携帯電話の着信音がメロディを使用するようになってから、
――音がどこから聞こえるか分からないところに違和感があったんだ――
と気付いた。
携帯電話やポケベルの着信音が聞こえてくる時というのは、たいてい静寂の中だったように思える。
最初の頃はマナーなどあったものではなかったので、静かな場所で携帯電話が鳴ることも少なくはなかった。さすがに普及率が少なかったので、それほど頻繁ではなかったが、携帯電話を所持している人というのは仕事で使用している人がほとんどだったので、誰も咎める人もいなかった。
携帯電話の着信音への気持ち悪さは、身体がビクッと反応するところにあった。
しばし震えを感じ、収まるまで待っている感じだったが、気がつけば、少し気持ち悪さが残っている。
軽い吐き気のようなものがあり、頭痛がしてくる。だが、すぐに収まってしまうので、それほど意識はない。目を瞑って頭痛をやり過ごそうとしていると、瞼の裏に浮かんでくるのが母親の震えが止まらない後ろ姿だった。
ポケットベルも携帯電話の着信音でも、他の人が音に気付くよりも少し遅れて静香も気がつくのだった。そのうちに誰も振り向かなくなるが、ビクッとする瞬間を感じると、音が聞こえてくる。その分、音に集中できる余裕ができるのかも知れない。
虫の知らせを感じるようになったと、人から思われるようになったのは、それからだった。短い期間ではあったが、何か嫌な予感を感じると、的中していた。
ちょうど、目の前で事故があったのを目撃したことがあったが、それも皆が反応したと感じたことで遅ればせながら反応して、思わず、
「あっ」
という奇声を上げると、皆がこちらを振り返るのが早いか、目の前で交通事故が起こっていた。
「事故が起こるのがあなたには分かったの?」
と友達に聞かれて、
「胸騒ぎがあったの」
としか答えられなかった。
――胸騒ぎ、そう、胸騒ぎを感じさせたのは、他の皆なのに――
と心の底で感じていた。
その日、家に帰ってきてから母親に事故の話をした。
「お母さんも、分かるのよ。事故がある前触れがね。でも、本当はそんなものない方がいいと思っているの」
「どうして?」
「あなたには分からないかも知れないけど、それが分かるようになったのは、お母さんがまだ小さかった頃、隣の教会に雷が落ちたことがあるのよ」
「大丈夫だったの?」
「ええ、落ちたといっても避雷針に落ちたのだから、別に危害があったわけではないのね。でもその時のショックは今も忘れられないの。雷の音だったり、どこから聞こえてくるか分からないような音には怯えを感じるのよ」
その時は話の内容が分からなかった。あなたには分からないと言った母親の言うとおりである。
今までなら、
「あなたには分からないでしょうけど」
と言われたら、カチンときて、何としてでも分かってやろうと意地になったものだが、その時は分からないことが一番いい気がした。踏み込んではいけない何かがそこにあると感じたからだ。
その話はしばらく忘れていた。無理にでも忘れようと記憶を封印していたのだ。雷の音に関しては、遠くから聞こえてくる音でも気持ち悪いのだから、すぐそばで聞いたなら、それがトラウマになってしまうことも当然といえるだろう。
作品名:短編集52(過去作品) 作家名:森本晃次