⑥冷酷な夕焼けに溶かされて
痕跡
「ここが、私室の裏庭です。」
久しぶりに足を踏み入れた瞬間、私は息をのんだ。
なんと、その木の枝々に、レンゲソウのリースが下げられていたからだ。
ひとつひとつていねいに作られた小さなリースは、まるで導くように奥へ続いている。
「これは…楽楽?」
マル様の呟きを聞きながら、私はそれをひとつ手に取った。
少し前に作られたのだろう。
手に取ると、それはカサカサと乾いた音を立てながら、花が崩れ散った。
この裏庭の奥は、直射が強く射し込まない。
風通しが良く、程良い湿度のおかげで、珍しくもレンゲソウがドライフラワーになっていたのだ。
リースを見ながら奥へ歩いて行くと、リース作りの腕前がどんどん上がっていったようで、美しい円形になっていく。
そして、何より奥へ行けば行くほど、リースの鮮度があがっていった。
「これは…まだ作られて一日二日って感じじゃないですか?」
フィンの言葉通り、しおれたレンゲソウはまだやわらかく、触るとひやりとした瑞々しさを感じる。
「楽楽は…いつだっけ?」
マル様の視線をたどってふり返ると、いつの間にかカナタ王子が私の後ろに立っていた。
(全く気配を感じなかった!)
先程とはうってかわって何の匂いもしないカナタ王子が、右手の指を折って示す。
「少なくとも、死後一週間は経っていた…か。」
「っ!」
やはり亡くなっていた事実に、私は思わずフィンを見た。
「苺は、まだ死んで間がなさそうだったけど。」
けれど、私の予想に反して、フィンは淡々としている。
「ん。てことは…」
言いながら、私を見た黒い大きな瞳に、月光が煌めいた。
「!!」
(もしかして…もしかして…!!)
期待で一気に加速する鼓動に急かされるように、私は駆け出す。
そしてミシェル様と過ごした最深に飛び込んだ瞬間、目の前の大木に何かがぶら下げられているのが見えた。
「!…これ…?」
近づいてみると、それは二重のレンゲソウの首飾りだった。
入り口付近のリースと違い、ドライフラワーになれずすっかり枯れてしまっている。
(なんで、こんなものが…。)
ほとんど繋げた茎だけになっているその首飾りを手に取った刹那、ひとつの思い出が一気に溢れ出た、
そう。
これは、ミシェル様と作った首飾りだ。
「…もしかして…。」
枝に掛けられたあれらは、リースでなく冠だったのかもしれない。
「…ということは…やっぱり…」
私は枝に掛けられた、まるで先程作られたばかりのような花冠をひとつ取った。
そして、それをふるえる手で、そっと頭に乗せる。
「…。」
これを戴いたら 現れてくれるような気がして、私は辺りをキョロキョロ見回した。
けれど、そこはシンと静まり返った、人の気配のしない穏やかな庭だった。
「…ミシェル様…。」
うなだれながら、その名が零れ落ちる。
やはりいなかった、と諦めかけたその時。
ガサッ。
草木を分ける音に、私は反射的に顔を上げた。
その瞬間、白い小さなものが腕の中に飛び込む。
「にゃん!」
「!ペーシュ!!」
別れる前より少し大きくなってはいるけれど、甘えるその姿はペーシュにまちがいなかった。
「生きていたか!」
フィンが駆け寄ってきて、腕の中のペーシュの頭をぐいっと掴む。
「がんばったわね…。」
私がギュッと抱きしめると、ペーシュは甘えた声で何度も鳴いた。
「ペーシュ、ミシェル様は?」
フィンが指をパチンと鳴らすと、ペーシュがピクッと体をひきつらせる。
その表情は飼い猫でなく、野生の獣のように鋭かった。
「にゃー…」
聞いたこともない、低く唸るような鳴き声に、背筋がぞくりとふるえる。
「案内しな。」
フィンが指で合図を送ると、ペーシュの身体中の毛が逆立った。
「にゃー…おぅ…」
険しい表情で低く鳴くけれど、ペーシュは腕の中から動こうとしない。
「…。」
まるでフィンを威嚇するような様子を見て、マル様とカナタ王子が顔を見合わせた。
カナタ王子は小さく頷くと、ペーシュが飛び出してきた茂みの奥へと足を踏み入れて行く。
「ペーシュ。」
マル様がやわらかな声で呼びながら、ペーシュの頭を優しく撫でる。
「おまえ、どこに隠れてたの。」
「にゃぁん。」
先程までとはうってかわって、可愛い表情で答えるペーシュに、マル様は顔を近づけた。
「毛並みも綺麗だし、あまり痩せてない。
美味しいもんも食べてそうだね。
ねえ、ペーシュ。
私もそこに連れていってほしいなー。」
言いながらニコッと微笑むマル様に、ペーシュは得意気な表情を浮かべると腕から飛び降りる。
「にゃん!」
そして『来い』と言わんばかりに一声鳴いて、走り出した。
「…さっすがぁ。」
フィンが口を歪めながらマル様を見ると、マル様はいたずらっぽい笑顔を返す。
「おまえの3倍以上生きてるからね。」
「とてもそうは見えませんけどね。」
軽口を交わしながらも、二人は素早くペーシュの後を追った。
そして背丈ほどの草花の茂みを掻き分けながら陽の当たらない奥へと入っていくと、黒装束の後ろ姿が見える。
私たちが近付くと、ふり返ったカナタ王子がマル様に深々と頭を下げ、跪いた。
すると、カナタ王子の後ろからゆらりと人影が現れる。
「!」
私とフィン、そしてマル様も思わず大きく息をのんだ。
作品名:⑥冷酷な夕焼けに溶かされて 作家名:しずか