⑥冷酷な夕焼けに溶かされて
忍の本領
闇夜にまぎれて処刑場まで移動すると、月明かりにぼんやりと白い広場が浮かび上がった。
ルイーズを助けに乗り込んだ時と違って、誰もいないそこはとても静かで、何人もの命を飲み込んだ場とは思えないほど穏やかだった。
けれど、近づくと生臭い、濃い鉄の臭いがする。
(これは、ここに染みついた香りなのかしら。)
誰もいないのに、たった今、ここで大量の血が流れたような生々しいその臭いに思わず顔を歪めると、フィンが小さく笑った。
「奏ですよ。」
「…え?」
言われた言葉の真意がわからず、首を傾げたところに、カナタ王子が現れる。
「痕跡は残してないね。」
マル様の問いに、カナタ王子はこくりと頷いた。
「…?」
「ここの警備は全て排除しました。
これから裏庭までの警備も、奏が処理しますのでご安心ください。」
(排除…処理…まさか!)
その言葉の裏に隠された恐ろしい事実に目を見開くと、平然としたマル様と、冷笑を浮かべるフィンと目が合う。
「…あ…の…ここの警備…ミシェル様の親衛隊…」
何度か手合わせした騎士達の顔を思い浮かべると、声がうまく出せなかった。
「ルーチェは今、帝国の支配下にあります。」
(……………あ…。)
ということは、警備はすべて帝国の騎士ということなのだろう。
でも、だからといって殺して良いわけではないけれど…正直ホッとしたのも事実だ。
「戦場に立ってた人が、なに『イイ人』気取ってんですか。」
フィンの鋭い言葉が、胸に突き刺さる。
(たしかに、戦場では数えきれないほど手に掛けてきた…。)
自分のしてきたことを思えば、確かにこの程度のことで動揺するのはおかしい。
けれど、ミシェル様を護っていた人達が失われるということは、ミシェル様まで失ってしまったような気持ちになってしまう。
それに、ミシェル様を救出した後、悲しい思いをされるのではないかと思うと、心穏やかにいられなかった。
「芬允。」
マル様が、たしなめるように名を呼ぶ。
「おまえも、長く暮らした国が落とされ、主の行方もわからなくて、心中穏やかでないな。」
マル様の言葉に、フィンが顔をふいっと逸らした。
(そう…か。)
(たしかに、そうよね。)
(私なんかより、フィンのほうがよほど動揺しているはずだわ。)
フィンの気持ちに無頓着だったことを深く反省する私に、マル様が静かに声を掛ける。
「我々は、遺体の痕跡を残さないように始末します。
だから、潜入が露見することはそうそうありませんので、ご安心ください。」
月光に青白く照らし出された小柄な黒い影が、不敵に微笑んだ。
その姿は絵のように美しかったけれど、氷のような冷たさと鋭さに、思わず身震いする。
改めて、忍という人たちの恐ろしさを感じ、またその世界に生きてきた彼らを憐れにも思った。
「ほら、ぼやっとしてないで案内!」
フィンに背中を叩かれ、ハッとする。
「キレイ事だけではやってけないことって、いっぱいあるでしょ。
ひとつひとつの些末なことに一喜一憂してたら、生き抜けませんよ!」
(っ!)
「たとえ汚れても、大切なことを見失わなきゃいいんです。」
13歳とは思えない達観した言葉に、私は苦笑した。
(フィンのほうが、ちゃんと自分を持っているわね。)
「ん。」
マル様がやわらかく微笑みながら、そんなフィンの頭をくしゃりと撫でる。
フィンは生まれてすぐに母親を亡くしたけれど、ララからもマル様からもこうやって目一杯愛情を掛けられて育ったのだろう。
5歳で修行と称して親元から離されたことは不幸だけれど、それもきっと何かフィンのための事情があったはず。
そう信じてしまうくらい、星一族には愛が溢れていた。
けれど、ミシェル様はそんな愛情の欠片すら掛けられず育った…。
「これから、たくさん幸せにならなきゃいけないんだから!」
心の中の決意が、言葉として口をついて出た。
きょとんとした表情でフィンがふり返ったけれど、マル様は大きく頷いてくれる。
「ええ。だから、調略する前になんとしても見つけましょう。」
一分一秒ですら惜しい、とリク様は言っていた。
本当は、ミシェル様を探している場合ではないのだろう。
けれど、マル様はギリギリまで探してくれるつもりのようだ。
私はその思いに感謝しながら、銀の剣をギュッと握りしめた。
その瞬間、地を踏みしめる乱れた足音と小さな叫び声が聞こえる。
「!」
けれど、それも一瞬のことで、風に乗って濃い鉄の臭いがするだけで、人の気配はもうしない。
不快な音を立てる心臓を押さえていると、カナタ王子が無言で現れた。
その瞬間、より濃い血の臭いがする。
「!」
頭から爪先まで黒装束に包まれて、鼻と口は銀のマスクで覆っているカナタ王子。
目だけが露出しているけれど、その瞳すら常に伏せられて瞼に隠されている。
それなのに、その全身に幾人もの返り血を浴びたのだろうとわかるほど、血生臭かった。
「着替えな。」
マル様は背負った荷物から黒装束を取り出すと、カナタ王子へ投げ渡す。
「行きましょう。」
そして、何事もなかったように私を促した。
「…はい。」
カナタ王子も、まだ17歳だったはず。
そんなまだあどけない子が、こういう仕事を淡々とこなすのが…『忍』。
私もその頃から戦場に立っていたけれど、こんなに人を殺めることに慣れていなかった。
これが星一族の本領なのだろうけれど、やはり私はそれを心から理解できそうもない。
けれど、理解するしないは今は問題でない。
フィンが言うように、大切なことを見失わないようにしなければいけない。
ドクドクと不安げに鼓動する心臓の音を耳の奥で聞きながら、私は気持ちを切り替えて歩みを進めた。
「そういえば…ペーシュは無事なのですか?」
砂利を踏みしめる音に紛れるような小声で訊ねると、マル様が忍達をぐるりと見回す。
すると、皆一様に目を伏せた。
「確認できてないようですね。」
マル様の答えに、僅かな希望を抱く。
「苺が逃がしてたらいいけど。」
いつも可愛い鳴き声をあげながら、足元にまとわりついてきたペーシュ。
私やミシェル様の腕の中で眠ることも、よくあった。
ペーシュを抱いている時の、ミシェル様のやわらかな表情を思い出す。
(無事でありますように!)
ミシェル様のためにも、ペーシュの無事を強く願った。
作品名:⑥冷酷な夕焼けに溶かされて 作家名:しずか