⑥冷酷な夕焼けに溶かされて
糸口
途中で雪嵐に遭いながらも、なんとか千針山を越え、私たち三人はデューの国境で馬を調達した。
そして、そのまま城へ立ち寄ることなく不休で移動し、宿場ごとに馬を乗り替えながら、ルーチェの国境まで辿り着く。
すっかり闇に包まれた山からルーチェを見下ろすと、そこには懐かしい町並みが広がっていた。
(本当に、一日でルーチェへ着いた…。)
「…。」
驚く私をよそに、厳しい表情でマル様はその夜景をジッと見つめる。
「…。」
フィンも、いつになく表情を険しくした。
「済んだ?」
突然マル様に質問され戸惑った瞬間、カナタ王子が現れる。
(!!…びっくりした…。)
(カナタ王子に訊ねたのね…。)
(ほんと、相変わらず神出鬼没で慣れないわ。)
「何か掴めた?」
マル様の問いかけに、カナタ王子は美しい所作小さく頷いた。
「そ。
でも、その様子だとあまり芳しくなさそうだね。」
マル様が小さく息を吐き、天を仰ぐ。
「楽楽(らら)が始末されたし…どうするか…。」
「え!?」
ぼやくように呟かれたマル様の言葉に、私は思わず声を上げてしまった。
そんな私を一瞬、カナタ王子がちらりと横目で見る。
「…そんな…。」
ララは、フィンの乳母だった下忍。
二人は、ルーチェでずっと親子を演じてきた。
それはもはや演技の域を越え、本当の親子にしか見えないほどだった。
いや。
もしかしたら、母の記憶がないフィンにとって、ララは本当の母親だったかもしれない。
「どうして…。」
ふるえる声で訊ねると、フィンが淡々と答える。
「星一族だからでしょ。」
当然のように答えるけれど、フィンの表情は強ばったままだ。
きっと、当然だとは思っていない。
「そうじゃなくて…どうして…どうしてララが亡くなったって…?」
私は、フィンとマル様とカナタ王子を交互に見つめた。
すると、フィンは無機質な瞳で私を見つめ返す。
それは虚ろな表情にも見えた。
「ああ…それは、繋ぎが生きてないからです。」
「…繋ぎが、生きていない?」
「我々の『繋ぎ』とは、使役動物をさします。
動物は、人間よりも自由に動けますから。」
言いながらマル様が腕を伸ばす。
すると、その腕に千針山で見た梟が舞い降りた。
「これは、私と理巧の使役動物です。」
「…そして、楽楽と僕の使役動物は…これ。」
いつの間にか少し離れたところへ移動していたフィンが、なにかを掴んで掲げてみせる。
「!ペー…シュ?」
そう。
それはまぎれもなく、ミシェル様が可愛がっていた子猫。
「ペーシュはこいつ…苺(いちご)の子どもです。」
フィンがそう言った時、それまで雲で遮られていた月光が辺りを照らした。
「っ!!」
その瞬間、私は息が止まるほど驚いて、思わず目を逸らす。
月光で明らかになった猫の両瞳は、くりぬかれていたのだ。
「…外道め…。」
憎しみのこもった唸るような声でフィンは呟くと、イチゴをぎゅっと胸に抱きしめる。
大量の出血をした白い体は、その名のように赤黒く染まっていた。
それでもなお、この子は繋ぎの役目を果たすべく、国境の山まで…恐らく星一族の繋ぎ地点であろうこの場所まで来て、息絶えたのだ。
「…っ!」
私は口を両手で覆い、涙が出そうになるのを堪える。
この無惨な姿を見つけたから、二人とも表情が険しかったのだ。
「野良猫のふりさせてたのに…こいつが僕らの使役動物ってことまで、覇王は掴んでやがったのか…。」
フィンは地面を掘りながら、苦々しく呟く。
「…。」
マル様はその穴に、そっと苺を横たわらせた。
私もその場にしゃがむと、丁寧に土を被せる。
そして四人で手を合わせ、苺の労をねぎらうと共に冥福を祈った。
「…奏(かなた)。
そろそろ結果を聞かせてもらおうか。」
長い祈りから顔を上げたマル様が、すらりとした長身を険しい表情で見上げる。
すると、美しい忍は小さく頷き、サッと手を上げた。
その瞬間、どこからともなく黒い影が湧き出るように現れる。
その影達は、カナタ王子の足元に跪くと頭を下げたまま各々が報告していった。
「ルーチェ城内、天井裏から見える範囲では確認できませんでした。」
「芬允様から教えて頂いていた後宮中庭、王私室裏庭、ともに確認できませんでした。」
「芬允様から伺った地下牢でも、確認できませんでした。」
どの報告も、ミシェル様を発見できなかったものばかり。
「後宮はどうなっていた。」
マル様が低い声色で訊ねると、カナタ王子が横に首をひとふりした。
(…それって…まさか…。)
嫌な予感に背筋がふるえ、反射的にマル様を見る。
すると、マル様が唇を噛みしめながら目を伏せた。
「…皆殺しか…。」
「!!」
のんだ息が、ひゅっと音を立てて喉で詰まる。
「やはりあの時、あなただけでも理巧が連れ出していて良かった。」
マル様は黒い大きな瞳を僅かに揺らめかせながら、私を見上げた。
私はその潤んだ瞳の中に月光を見ながら、後宮でのことを思い出す。
一週間ほどしかいなかった、ルーチェの後宮。
すぐにミシェル様の私室で生活するようになったので、後宮にいた方達とほとんど交流していない。
けれど、廊下ですれ違う時に交わした挨拶や、見かけた妾達の美しい華やかな姿、世話をしてくれた侍女や下男、騎士達。
(あの方達を覇王様が…!)
ふつふつと、怒りが沸き上がる。
気がつくと腰の剣にかかっていた私の手を、マル様がそっと押さえた。
「ルーチェ王から、何か聞かれていませんか?
たとえば抜け道や、誰にも知られていない場所など。」
(…抜け道や、知られていない場所…。)
ミシェル様と過ごした僅かな期間のできごとを、思い返す。
けれど、どんなに思い出しても、特別なことは何もなかった。
「…私がルーチェにいたのは、一週間足らずでしたので…。」
改めて名ばかりの寵姫だった現実に、情けない気持ちでいっぱいになる。
思わず項垂れた私に、マル様は更に質問を重ねてきた。
「城内は、どれくらい把握してますか?」
僅かな糸口でも探ろうとする黒い瞳に、なんとか応えたい。
けれど…、あまりに不甲斐ない自身がそこに映し出され、心をえぐられた。
城内を知り尽くすほど、室外へ出ていなかったこと、ミシェル様と心を交わしていなかったことを今更ながら後悔する。
「…ほとんど…知りません。」
情けない思いに、私は項垂れたまま目を伏せた。
そんな私の前で微動だにしないマル様が、何を思っているかわからない。
けれど、役に立たない寵姫にがっかりしたのは間違いないだろう。
「行ったことがある場所を、教えてください。」
質問を変えてきた口調は、変わらず淡々としたものだった。
その声色からは、私に失望しているのか、まだ期待しているのか、全くわからない。
私は伺うように、ちらりと視線を上げ、マル様を盗み見た。
「私が行った場所は…後宮とその中庭、ミシェル様の私室と執務室、そして私室の裏庭、その先にある近衛隊の鍛練場…です。」
「あと、処刑場でしょ?」
「!…そう…ね。」
作品名:⑥冷酷な夕焼けに溶かされて 作家名:しずか