⑥冷酷な夕焼けに溶かされて
色々想像してみるけれど、思えば、私は正気でない人を見たことがなかった。
だから、想像できないのだ。
「…それは…答えられません。」
私の言葉に、マル様がわずかに眉間に皺を寄せ、首を傾げる。
「正直、具体的な想像ができないので、その時になってみないとわかりません。けれど」
「けれど?」
食い気味に、マル様が身を乗り出した。
「私がミシェル様を想う気持ちが変わることは、絶対にありません。」
私の言葉に、マル様の丸い大きな瞳がより大きく丸くなる。
「…想う気持ちが変わることは絶対ない…か。」
マル様はそう呟くと、小さく笑った。
「たしかに…カレンが正気でなくなったとしても、私も変わらず愛してるな。」
淡々とした口調で情熱的な言葉を紡ぐマル様に、同性ながら胸がときめく。
「…本当に、カレン王を愛していらっしゃるのですね。」
私が頬を染めながら訊ねると、マル様は花が開くように艶やかに微笑んだ。
「カレンが死んだら私も死ぬ、と確信できるくらい愛してます。」
「!」
そう言い切るマル様からは、きっとカレン王も同じ思いだという自信を感じられる。
「…さて、あなたの意識もしっかり回復したようですし、そろそろ出発しましょうか。」
言いながら、マル様は手早く武器と荷物を装備した。
そして私に、見覚えのあるものを差し出す。
「これは!」
「ミシェル王から、預かっていました。」
言いながら、鞘から刀身を抜くマル様。
「潰れていた刃は研いだので、いつでも使えますよ。」
焚き火にかざされた剣は、紅蓮の炎を映しながら銀色に輝く。
橙色が光を弾いて、時々金に光った。
それはあたかもミシェル様の瞳と髪色のようで…。
「ご褒美に頂いた銀剣…てっきりミシェル様が持ち帰られたのだと思っていました。」
ジッと剣を見つめながら呟く私の前で、マル様は音を立てて鞘へ剣を納めた。
「ミシェル王からの伝言です。」
「…伝言…。」
「『これで愛する者を護れ。』」
マル様は、私の手に銀剣を握らせる。
「…。」
私はその剣を、無言で見つめた。
「お気づきですか?」
マル様が、身を屈めて鞘のある部分をトンッと指で突く。
「これ、帝国の紋章です。」
「!」
鞘に施された精巧な細工は、全体を使ってルーチェの紋章を形作っており、まさかその中に帝国の紋章が紛れているとは思わなかった。
「これは、もしかしたら覇王がミシェル王を産んだときに授けた、守り剣かもしれませんね。」
「っ!そんな大事な剣…。」
この剣は、ルイーズとの伽の時に私へ突きつけられた。
そして枕元に置かれ、私の反逆を誘った。
(その翌朝、腰に差そうとしたのをやめて、私へくださった…。)
ということは、日常的にミシェル様はこの剣を使っていたということ。
「ミシェル様…。」
この時、私はようやくミシェル様の複雑な思いに気づいた。
覇王を憎悪しながらも、実は母として求めているのでは…。
どんなに踏みにじられ非道な目に遭わされようと、この剣の存在で母の愛を信じようとしていたのではないだろうか…。
そんな大切な証を与えられた時、私は罠かもしれないと疑い、刃を潰して保身をはかったのだ!
『まさか、刃を潰してるとは思わなかったな。』
よみがえるミシェル様の言葉と共に、一気に後悔が膨れ上がる。
「ごめんなさい…ミシェル様…。」
私は、銀剣を抱きしめた。
(なぜ、そんな大事なものを私にくださったのですか?)
心の中のミシェル様に問いかけても、答えは返ってこない。
誰からも愛されず、むしろ死さえ願われながら育ったミシェル様。
この剣は、ミシェル様にとってわずかな希望だったのだ。
『これで愛する者を護れ。』
(ミシェル様は、この剣で愛する者を護っていたのかしら…。)
戦にも日常的にも使われていた、覇王からの守り剣。
(覇王様の命に従って、周辺国を侵略していたミシェル様。)
(それは…つまり、ミシェル様はやはり覇王様を…お母様を愛しているということ…。)
(ミシェル様は、この剣でお母様を守っていたのだわ。)
(それなのに、覇王様はミシェル様を…。)
きっとミシェル様は、覇王だけは自分を愛していると信じていたはず。
それなのに、その母にさえ踏みにじられ裏切られた…。
(今、ミシェル様はどんな気持ちで…。)
私は銀の剣を腰に差すと、外套を羽織る。
「…この剣で、ミシェル様を護ります!」
強く決意してマル様を見つめると、力強く頷かれた。
「今から辿る千針山越えは、忍でも上忍でないと不可能な超難関ルートです。
でも一日で越えるには、これしかありません。」
「はい。」
「できる限りサポートしますが、頑張って頂かないと厳しいポイントもあります。」
「はい。」
返事をしながら見れば、火の始末をするマル様は二人ぶんの荷物を背負っている。
「マル様、自分で持ちますから。」
「いえ。ご自身の身ひとつでも厳しいと思うので、あなたの荷物は全て私が引き受けます。」
先ほどまでとはうってかわって、冷ややかな忍然とした表情できっぱりと断るマル様。
「それ、僕が持ちますよ。
いつまでも若くないんですから、無理しちゃダメですよ、叔母上。」
作品名:⑥冷酷な夕焼けに溶かされて 作家名:しずか