夢幻圓喬三七日
サゲ:大正元年12月12日 木曜日
再びの地獄。今日も圓朝師匠と葬頭河の婆が待っていた。師匠の目が優しく出迎えてくれる
「ご苦労さん。思う存分に噺が出来たようだね」
「はい、師匠のお蔭様で存分に演れました。思い残すこともございません」
「ちょっと待っとくれよ」
また、婆さんが割り込んでくる
「おまいさんは、あたしと顔馴染みとか云ってたね。おまいさんが好きな吉原に喩(たと)えると、馴染みってのは三度目からじゃないのかい? 今日で二度目だろ。まだ裏だろ」
百年後の世界での話を聞いていたのか? 確かに、あの二人へ六文錢を見せたときに云った。師匠が執り成してくれる。
「まあまあ、皆さんお待ちですから、今は急ぎましょう」
それでも婆さんは「渡し賃はあるのかい? 黙ってないで何とかお言いよ! フン、今度は無舌じゃなくて無言かい!」ブツブツ言っていたが、圓朝師匠と共に無視だ。
舟に乗り込むと師匠は鬼の船頭に向かって突き刺すように声を掛けた
「船頭さん! 急ぐから、早いことやっとくれ!」
久しぶりに聞いた、師匠の気が乗ったときの声だった。さすがの鬼も気圧されたのか。
「へい! や、うんとしょい!」
あたしが噺の中では云ったことがない掛け声で舟を漕ぎ始めた。
揺れが落ち着くと師匠から声が掛かる。
「色々と爲(し)てもらって悪かったね。まだ先の話だけどね、朝太郎も成仏できそうだよ。すまなかったね、ね」
「やっぱり、朝の血を引いてたんですか?」
「たった一人血を引いた男だったんだよ。よく分かってくれたね」
「こっちに戻る期限が近かったんで……、あれでよかったんですか?」
「ああ、あたしが思った以上におまえはやってくれたよ。それに自分のことも始末をつけて、あたしも嬉しいよ。嬉しいよ」
「全ては師匠があたしを生き返らせてくれた御蔭様です。お礼を言わなくてはならないのはあたしの方です。ありがとう存じます」
「それでね、閻魔様とも話したんだが、此度(こたび)のおまえの苦労に褒美を出そうと思ってね。何か一つおまえの願いを叶えることが出来るよ。向こう岸に着くまでに考えておきなさいよ、よ」
一つだけ願いが叶えられる? それならもう決まっている。それが無いために画竜点睛を欠くところだった。師匠にその願いを伝えると、少し驚いていたが納得してくれた。そして、ここからが本題とばかりに、師匠は話し始めた
「それで、向こうに着いたらすぐに寄席に出るからね」
「地獄で寄席に出るんですか?」
「ああ、みんな楽しみにしているんだよ。あたしも地獄の寄席に出るのは初めてだから、楽しみだよ」
「今まで出なかったんですか?」
「ああ、どうしても親子会が演りたくてね。これまでは断っていたんだよ」
「大師匠もこちらにいるでしょうし、師匠の弟子たちも大勢いるでしょう?」
「それじゃあ駄目なんだよ。あたしが演りたいのは、えんちょう親子会なんだよ」
「えッ! あたしは師匠の圓朝というお名前を継いでいませんが……」
「ああ知ってるよ、三周が色々と爲てくれたようだね。よく辛抱をおしだね。だから、えんちょう親子会なんだよ。漢字じゃないんだよ。仮名書(かなが)きの『えんちょう』なんだよ」
「え〜〜! あれも師匠の思惑ですか?」
「そうだよ。それが一番肝心な筋書だったんだよ」
なんということだ。仮名の『えんちょう』まで師匠の謀りごとだったとは
「恐れ入りましてございます。それで、何を演りましょう」
「牡丹灯籠だよ。おまいはこの噺は途中で諦めたろ。今ならあたしと同じに出来るよ。二人でみんなを震え上がらせようじゃないか」
地獄の亡者たちを震え上がらせる。面白いじゃないか。
舟が着いたようだ。仄(ほの)明るい中、師匠と二人寄席を目指して進む。『えんちょう親子会』の幟が立ててある寄席へ着くと、すぐに楽屋へと案内(あない)される。
みんな待ち兼ねているようだ。すでに紋付袴で着替える必要もない。雨蛙の高座着でなくて良かった。あれで怪談は、ちとつらい。
楽屋の御簾(みす)内から客席を覗くと、後方に一際大きな男が見える。あれが閻魔だろう。腕を組んで今か今かと高座を睨んでいる。そんな姿に蕎麦屋の大将を思い出す。ふと隅の男に目がとまった。気の良さそうな、気の弱そうな、それでいて期待で目をキラキラと輝かせている男。やっぱり面差(おもざ)しが似ている。モグモグと口を動かしている。何を喰っているのかと凝らして見ると、茹で卵だった。
フッ、落語だけでなく、卵好きも血筋だったようだ。
よし! おまえさんのために聴かせよう。
師匠とあたしの怪談を――