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夢幻圓喬三七日

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十八日目:平成24年12月9日 日曜日



 
「ドンドコドンのドーン、ドンドコドンのドーンドン……」
 目覚めは師匠の口太鼓だった。今日は幼稚園の清美さんと千葉へ物件を見に行く日だ。早目に車を借りるため実家へと急ごう。オバサンがまだ来ていない定食屋で食事を済ませてから、コンビニで師匠は、実家へのお土産にすると言ってチーズを買っていた。

 実家ではすでに父が車を車庫から出して待機していた。
「満タンにしといたぞ。まさしく満タン(てん)パパだな。アハハハ……」
 朝から腰が折れそうになる。それにしても、後部座席の後ろにティッシュを置くのは、やめてもらいたい。しかも、新品だ。
「カーナビセットしてやろうか? どこまでだ? ETCカード入れてあるから自由に使っていいぞ」
 玄関から出てきた母親にチーズと共に父親を引き渡す。幼稚園で清美さんを、JRの駅で美代ちゃんをそれぞれ拾って、カーナビをセットすると、都心の混雑を避けるためかアクアライン経由のルートが推薦された。音声の出る地図に師匠は目をむいたが、清美さんの手前声は出せないようだ。到着予定は約2時間半後、車内では美代ちゃんと清美さんが保護者への落語会の案内について話し始めている。師匠はプロではないので、保護者へは園長先生の知り合いとして、当日の午後から半日園長をしてもらうと説明したようだった。色々気を遣って大変なんだなぁ。助手席の師匠は小さく上下(かみしも)を切りながら、少しだけ口を動かしている。稽古をしているようだった。順調に川崎からアクアラインにはいると、師匠が思わず「このトンネルは凄いね」口をついて出た。
「柴田さんはアクアラインは初めてですか〜?」
 美代ちゃんのさり気ないフォローだ。
「ああ、生まれて初めてだよ」
「トンネルを抜けるともっと凄いですよ〜」
「そいつは楽しみだね」
 トンネルを抜けるとそこには江戸海が広がっていた。
「おお〜こりゃ凄い。こんな景色を見るのは初めてだよ。広すぎて内海(うちうみ)なのか、外海なのか分からないね」
 ルームミラーには、興奮気味に話す師匠に向けられる、清美さんの微笑みが写っていた。
 自動車道の終点から一般道にはいると、カーナビに表示された目的地までの所要時間は30分になっていた。待ち合わせ時間まで時間がたっぷりあるので、ゆっくりとした昼食をとることができるだろう。美代ちゃんも同じことを考えたみたいだ。
「どこかで落ち着いて食事しませんか〜? 金曜日にボーナスが出たんでプチセレブなんです」
 あ〜っ、それだけじゃなくて僕のご祝儀と古銭代金も美代ちゃんがくすねて、いや、預かっているんだ。そりゃ金持ちにもなるはずだ。その天文学的金持ちの美代ちゃんが店を見つけたようだ。
「あそこにしない? あんこうって幟が出ているところ」
 あんこうって高いんだろうな、と思ったがこの時期のあんこうの誘惑には勝てず、気づいたら、その旅館風の店に車を止めていた。
 師匠の「旬の食べ物を食べると7年長生きするって云うからね」という言葉に誘われて、店の小上がりであんこうドブ汁鍋コースを四人で堪能する。

 食後の睡魔も何のその,安全運転で待ち合わせ場所まで無事到着すると、すでに不動産屋さんが店名が入った車で待っていた。愛想の良いお年寄りで、みんなに笑いながら名刺を配ってくれる。その車を先頭に、10分ほど走ると本来の目的地である物件が見えてくる。車を乗り入れたそこは、まだ土地が広がっているだけで、建物は建っていない。これから建て始めても何ヶ月もかかるだろうに。それでも清美さんは、不動産屋さんの説明を聞きながら、お母さんに見せるための写メを撮っている。つられて美代ちゃんも写メを撮り始めた。確かに海のそばで景観は良いし、東京で見るよりも大きく富士山が見えている。しかし生活するとなると別だ、こんなところでは親子が働ける職場はないようにも思う。
 少し離れた小道を挟んだ区画には、掘建(ほった)て小屋のような家が見えている。清美さんが不動産屋さんに訊ねると、男の人が一人で住んでいると教えてくれた。
「まだ若いのにこんなところに引っ込んで、父親が遺した絵や自分で描いたものを売って生活しているようですね。私の親父が終戦後すぐに不動産屋を始めたときには、もう先々代一家が住んでいたって云いますからかなり古くからいるようです。別に悪い人じゃあないんですが、人付き合いが苦手みたいで町の方にもあまり出掛けないみたいですよ」
 その小屋の方へ近寄って行くと、意外にも綺麗に手入れをされた庭が見える。この季節に咲いている花は少ないが、それでも所々、緑のあいだに花の色が水彩画のように見てとれる。美代ちゃんもミセス・グリーンに見せるためか、写メを撮り始めると、小屋から若い男の人が出てきた。こちらを睨んでいる。確かに人付き合いが苦手、って言うか、人嫌いのようにも見える。
「すみません〜。あまりに綺麗なんで……、写真撮っても良いですか〜?」
 この数日仕事モードで遠慮が無くなっている美代ちゃんは、そう言って庭に入っていった。
「ちょっと!」
 男の人は、美代ちゃんの大胆な行動に声を荒げようとしていたが、師匠が眉間に険を作って睨んでいるのに気づいて、少し声のトーンが落ち着いた。
「まあ、踏んだり、触ったりしなければどうぞ」
 許可してくれたようだ。本音は優しい人なのかもしれない。男の人は、美代ちゃんと清美さんがわ〜わ〜言いながら写メを撮るのを眺めていたが、時々師匠と視線をぶつけ合っていた。
「あの土地は私が言うのもあれですが、すぐに売れるような物ではないので、ゆっくりとお考えください」
 正直で親切な不動産屋さんの言葉を合図のように、僕たちは帰ることにした。

 帰りの車中では、清美さんが率直な感想を述べた。
「たまに息抜きで訪れるには良いところですが、さすがに住むとなると……」
 美代ちゃんも相づちを打っている。ひとしきり清美さんが感想を言い終わると、話題は幼稚園の園児たちのことに移った。思い出に残る園児や保護者の話など、美代ちゃんは上手く清美さんが話しやすい話題を振っていた。助手席の師匠はそれを聞いてか、険しい顔のままだった。
「お土産買いたいから海ほたるに寄ってくれる?」
 美代ちゃんからのリクエストだ。
「お土産って? 家族に?」
「河井君のお父さんへよ。車借りちゃったからね」
「いいよ。朝コンビニでカチョカバロを買ってったから、大丈夫だよ」
「そんなわけにもいかないでしょ。私が借りたんだから、お礼かたがたご挨拶よ」
「ご挨拶って……、何もこんな時じゃなくても」
「なに言ってるの、ご挨拶だけよ。家へは上がらないわよ。帰って仕事があるんだから」
「私もお礼だけでもお伝えします」
 清美さんまで実家に来るのか。隣で師匠はニヤニヤ笑っている。海ほたるでお土産を買って、アクセルワークも重く実家へと車を進める。

 とうとう実家へ着いてしまい、玄関先で停車すると父が飛んで出てきた。全員車から降りると、母も遅れてやって来る。父は美代ちゃんと清美さんを見比べて、母に「おい、どっちだ?」小声で聞いているが当然母に分かるはずもない。
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢