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夢幻圓喬三七日

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「もとは上方根多(ねた)だよ。それを小さんさんが吉原にして移したんだよ。そのときに蓄音機用に五分くらいの噺にしたのさ」
 何代目の小さん師匠なんだろう
「そうなんですか」
「蓄音機に入れるのにずいぶん迷ったみたいだけどね」
「どうしてですか」
「短くしすぎて素見(ひやかし)のノンビリした様子がなくなっちまったんだよ。これじゃぁ河岸見世(かしみせ)の通り抜けだって、小さんさんが困ってたけどね」
「河岸見世っていうと吉原の羅生門河岸(らしょうもんがし)ですよね」
 廓噺(くるわばなし)に良く出てくるから名前だけは知っている。
「名物の長屋見世があったのは御維新(ごいっしん)までみたいだね。明治には名前だけしか残ってないよ。それよりひどいのは、反対側にある西の浄念河岸だよ。日当たりが悪くって昼間でも暗くてさ、だからほとんどが大年増の厚化粧だよ。逆に羅生門河岸は日当たりがいいから若い子が多いんだ。そのかわり愛想もこそもなかったな。人から聞いた話だけどな」
「そうなんですか、それで志ん生師匠のはいかがでしたか」
「いいね、これぞ張見世の素見だね。小さんさんも悔しがるだろうな。俺もこれだけの尺でやりたかったってね」
「これだけの噺にしたのは志ん生師匠なんですかね?」
「そうだろうね。小さんさんは寄席で何度か演ったようだから、それを覚えてて拵えたんだろう。自分で拵えた余裕が感じられるからね、ところで、今の吉原はどうなってるんだい。少し変わったというようなことをマクラでは言ってたね」
 師匠が知っている吉原が跡形もなくなってしまったことを聞いたらどう思うのだろうか。また、寂しそうにするのかな。
「その辺のことは後でまとめて説明させてもらいます。それより、何か食べましょう、もう2時ですよ」
「そうだね、蕎麦でも、おっと蕎麦は高かったんだ。なんでもいいよ、納豆定食にでもするか」
 納豆定食はお気に入りになったみたいだ。
「さっきのコン、食料品店で弁当でも買ってきて家で食べませんか。食べながら今後のこととかを師匠に説明させていただきます」
「コンビニってんだろ、そうしよう。さっきの若い衆(し)にも会いたいしな」
 店長が若い衆になってしまった。さっそくコンビニに向かうことにして玄関を出る
「お隣の御亭主が帰ってきたら挨拶に行くんだろ、何か買っとこう」
「良く覚えてますね、すっかり忘れていました」
「なに、今は気が張ってるだけだよ」
「そうなんですか、少しノンビリして下さい」
「言われなくても、じきそうなるよ。元々は座って喋らせておくほか使い道がないんだから。女房にもよく言われたよ」
 初めて奥さんのことが話に出てきた
「そんなこと言われていたんですか?」
「ああ、かみさんはチョンキナだからな」
「なんですかチョンキナって?」

 ここまで歩きながら話していると、管理人室から出てきた管理人さんが挨拶をくれる。師匠はすかさず
「ちょいと教(おせ)えてもらいたんですが、お隣に持って行く挨拶の品は何がいいでしょうね?」
 管理人さんは、えっという顔をしていたがすぐに理解してくれたようだ
「ああ、お隣ですか? そうですねビールをお飲みになるみたいですよ。よく空き缶をゴミ置き場に持ってきてますから」
 発泡酒ではなくて有名なビールの銘柄を教えてくれたが、師匠に質問されてはまずいと思いあわてて
「ありがとうございます、今から買いに行ってきます」
 師匠の腕を引っ張って外に出た。
「ビールも缶詰も知ってるよ。馬鹿にするなよ」
 取り越し苦労だったみたいだ。現代とは違う”馬鹿にするなよ”のイントネーションを聞いて昭和の噺家を思い出した
「ビールも缶詰もあったんですか」
「あったよビールの缶詰はなかったがね」
「ビンを返しに行くとお金が貰えたんですか」
 僕は中途半端な知識を披露した。
「瓶だけじゃないよ。コルク栓も買い取ってくれたんだ」
 やっぱり僕の知識は中途半端だった。
「コルク栓だったんですか」
「ああ、色々試しているがコルクが一番みたいだね」

 コンビニへ入ると師匠はレジにいるアルバイトの女の子に向かって
「さっきの若い衆はいるかい」
 また、先を越されてしまった僕は、あわてて補足する
「店長です」
「ちょっとお待ち下さい」
 そういって女の子はバックヤードへと向かった。肩が少し震えている。きっと笑いをこらえているに違いない。笑顔の女の子の後ろから店長がやってきた。
「おお、さっきはありがとな。たいそう喜んで貰えたよ」
「それは、ようございました」
 店長、言葉がかなりおかしくなってるんですが。女の子は赤い顔をして下を向いている。今度は体全体が震えている。師匠はお構いなしに
「お隣にビールを持って行くんだが」
 師匠が銘柄を伝える
「それとあたしらの御飯(おまんま)だ、どこにあるね?」
「こちらです」
 ドリンクのショーケースに案内してくれる。ちょうど六本入のパックがあったので、それを手に取ると店長が持ってくれた
「お弁当はこちらです」
 ビールを手に弁当売場に案内してくれる。店長はそのままカウンターに戻っていった。師匠は数多くの弁当に少し興奮している
「こいつは豪華だな、おお、蕎麦もあるじゃないか、納豆定食よりも安いぞ」
 店長が思わず振り返る、女の子の視線はこちらに釘づけだ。穴に入りたい恥ずかしさをこらえて、師匠にたずねる
「蕎麦にしますか」
「そうだな、どうせ夕飯(ゆうめし)までのつなぎだ、蕎麦と洒落とこう」
 つなぎだから蕎麦と洒落たのかな。ざる蕎麦を二つ取ってカウンターへと向うと店長が
「ビールの熨斗はどうされますか?」
 コンビニで熨斗のことを聞かれたのは初めてだ。しかも品物はビール、女の子が店長を驚いた顔でみている。師匠は平然と
「いや、熨斗はいいよ、ほんのご挨拶の品だ。そうだ、同じビールを一本貰っとこうか。せっかくお隣にやるのにこっちが味を知らないと情け無いからな」
 なんか言い訳じみている、タバコのときはそんなこと言わなかったのに。
師匠はきっとお酒が好きなんだ。急いで缶ビールをショーケースから取っきて会計を済ませる。
「ありがとうございました」
 二人の声に送られ、僕は蕎麦、師匠はビールを持って
「また来るよ」
 と、コンビニをあとにした。
 師匠は嬉しそうに管理人さんにビールを掲(かかげ)げて見せている。管理人さんも笑顔を返してくれた。僕もお辞儀をしてエレベータに向かう。管理人さんとの距離が少しだけ暖かくなった。

 パソコンを脇にどけたテーブルに、向かい合わせで座りビールをコップに注(そそ)ぐ
「柴田さんはお酒がお好きなんですか」
「それほどは飲まないが好きだよ。これはビールだがね」
 そうか、お酒といったら日本酒、ビールはビール、きっと洋酒というカテゴリーもあったに違いない。師匠はそういう時代の人なんだ。
 師匠はコップに半分ほどを静かに喉へと送り込んでいる
「このビールは旨いな、お隣の御亭主は趣味が良いや。あんまり蕎麦には合いそうもないけどな」
「そうですね、蕎麦には日本酒ですね」
「この蕎麦も旨いよ、ちょいと汁(つゆ)のあたりが弱いけど、これだけの蕎麦が食えりゃ満足だよ」
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢