夢幻圓喬三七日
隣町にも江戸の景色が広がった。そんな景色の中、人家もまばらになった所に幼稚園がひっそりと建っていた。さっきの話に出てきた幼稚園は真っ暗で、そこからは昼間にはしゃぐ園児たちの声は想像できない。幼稚園の前で回れ右をして今来た道を戻る。そこで師匠の足が急に止まった。後ろにいた僕は師匠の背中にぶつかってしまった。振り向いた師匠の顔からは、全ての感情が消えていた。僕に気づくと、師匠は表情を戻したが何かがあったのだろう。
「朝太さんもやってみますか」
師匠は朝太さんに声を掛けて、拍子木を渡してしまった。幸い僕以外の三人には気づかれていない。そこからは朝太さんが火の用心の声を一生懸命に出していた。さすがに話芸の本職だけあって、江戸時代とは言わないまでも、明治か大正、あるいは昭和くらいには聞こえそうな火の用心だった。店に戻ると、今日は僕の母親がじゃこ山椒のおむすびを作って待っていてくれた。師匠の顔も元に戻ってはいるが、その胸中は分からない。師匠にたずねたいが、マンションに帰るまでと自分に言い聞かせた。帰ったところで、それが出来るかどうかは分からないが、他の人の前で聞いていいことではないような気がした。
マンションに戻ってもやっぱり師匠にたずねることは出来なかった。こんな時には美代ちゃんが恋しい。今日の出来事をメールで送ると、すぐに返信が来た。
……柴田さんの師匠によろしくって云われたんでしょ! 頑張れ!……
そうだった。圓朝師匠から弟子をよろしくって云われていたんだ。白湯を二つ用意して、師匠と自分の前に置くと、師匠はすでに覚悟していたようだった
「わかってるよ。詳しいことは明日(あした)まで待ってくれないか? 落語会の後にあの幼稚園で確かめたいことがあるんだ」
「落語会は大丈夫なんですか? 落語会の前に確かめた方が良いんじゃないですか?」
「昼間は子どもたちがいるだろう。邪魔しちゃ申し訳ないよ。それに、落語の方は大丈夫だよ。これで落語まで半ちくにしちまったら、申し訳ないからな」
「わかりました。その代わり僕にも協力させて下さい。幼稚園を訪問するなら、柴田さん一人よりも、僕みたいな地元出身の人間がいた方が良いでしょう?」
「そうだね。その時は頼むよ」
何があっても師匠を助けたいと決意した十四日目だった